第四話 彼女は監視する

「……っ!?」


 翠川が僕の顔を見つめたまま硬直している。

 僕も硬直している。


 というか、こんな状況を目の当たりにして硬直以外に何ができる?

 学年一の美少女とされる女の子が、ダヴィデ像のおちんちんをナデナデしてるんだぞ?

 あれか? これをネタに強請ってイケナイ関係にでもなればいいのか?

 確かに翠川のおっぱいはだいぶ魅力的ではあるが……。


 ――と、そうこうしているうちに、翠川は大慌てで荷物をまとめ、そのまま何も言わずに美術室を飛び出していった。

 その横顔が、熟れたトマトのように真っ赤だったことがやけに印象的だった。

 そうか、翠川でも赤面したりするのか……。

 というか、明日からどんな顔で翠川を見ればいいんだ!?


 その後、家に帰った僕は相当ひどい顔をしていたようで、両親をはじめ、妹にもかなり心配されてしまった。

 しかし、家族に僕の心境を説明できようはずもない。

 夕食もほとんど味がしなかった。

 僕は呆けたままシャワーを浴び、課題にもろくに手をつけぬままベッドにダイブした。

 もちろん、床に就いたからといって眠れるわけでもないのだが……。


 何故か深夜に飯塚からパジャマ姿の自撮り写真が送られてきたが、これは無視した。


     ※


 翌日、ほとんど眠れぬまま登校した僕は、教室に入るなり恐怖に震えることになる。


 見てる…。

 翠川がめっちゃこっちを見てる……。


 左斜め後方、翠川の席から強烈な視線を痛いほど感じる。

 あるいは昨日のせいで少し自意識過剰になっている部分もあるかもしれない。

 だが、振り返るのは怖い。

 本当にこっちを見ていたらと思うと、恐怖で振り返れない。


「おィーッス、マイブラザァ! 今日も朝から元気かい? ビンビンかい?」


 空気を読まない飯塚がいつもの調子で入室してくる。

 どちらかというとシナシナだが、今回ばかりはその理由を説明するわけにもいかない。

 翠川が美術室にひとり残っておちんちんランドをしていたなんて……。

 そんなことを伝えたところで昨日のように妄言だと思われるだけだし、仮に信じられてしまったら翠川の名誉を著しく損ねることになる。

 これは僕の胸の奥に封じ込めておかなければならないことなのだ。


「んー……?」


 しかし、どうやら飯塚は僕のいつもと異なる雰囲気を悟ったらしい。

 くそ、なぜこんなときだけ察しが良いんだ。

 こういうときこそ昨日のすっとぼけっぷりを発揮するべきだろうが。


「アッくん、なんかめっちゃ翠川さんに見られてない?」


 うわあ、やっぱり翠川めっちゃこっち見てるんだ。

 気のせいなんかじゃなかった。やばいことになっちまった。


「これはひょっとして……恋のヨ・カ・ン?」


 飯塚が人差し指を顔の前でリズミカルに動かしながら言う。

 バカなこと言ってんじゃないよ。こっちは命がかかってるんだよ。


「まあ、さすがにアッくんみたいなドちび陰キャとスーパー美少女の翠川さんじゃさすがにつり合いがとれんか」


 おい、もう少し言葉を選べよ。僕にも心はあるんだぜ。


「はっはァ! 現実から目を背けてはいけないよ! それより、昨日の画像見た? ママが新しいパジャマ買ってくれてさー。ジェラピケだよ? しかも、ニューモデル! めちゃ萌えだったでしょ? ちゃんとオカズにしてくれた? だから返信なかったんだよねぇ?」


 マジでこいつは……。


 ともあれ、それから僕は一日中、翠川の視線に悩まされることになる。

 授業中、教室移動の最中、体育の授業中ですら……。

 完全に行動を監視されている。

 僕が誰かに昨日の出来事を話していないか見張っているのだ。


 今時、会話なんかしなくたって情報を伝達する方法はいくらでもある。

 スマホでちょちょいと入力すれば、情報なんて簡単に拡散されてしまうのだ。

 つまり、僕を見張る意味なんてない。

 逆に言えば、情報が拡散されていない時点で僕にその意志がないということではないか。

 そこに気づいてくれ、翠川……!


 しかし、僕の願いが届くことはなかった。

 その日は最後の最後まで、翠川の視線から逃れることができなかった。

 本当に異常事態だ。

 なんだったら普段まったく話すこともないクラスメイトにこう言われたほどだ。


「翠川さん、今日、ずっとアサキくんのこと見てない?」


 いや、ほんとにそのとおりなんですよ。

 翠川、早く気づいてくれ。

 僕のことを見すぎて、逆に周りから怪しく思われてるぞ……!

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