最終話「俺、やりたい事ができたんだよ」
会場の清掃はいつもより早く終わった。あまりの盛り上がりのために観客側の人達もついつい一緒に掃除をしたのだ。
そのおかげでいつもより早く乾杯できた。
観客がいたスペースにテーブルを置き、全員で立ち飲みをする。五つのバンドが混ざり合う。
その端で隼は静かにビールを飲んでいた。そこに、ウーロン茶を持った由宇がやって来た。
「やりましたね」
「そうだね」
由宇はウーロン茶をおいしそうに飲んでいる。汗で崩れた化粧が、今夜のライブの力を感じさせた。
「二人だけでもこんなに成功できるんですね。隼さんのおかげです!」
「ありがとう」
由宇が驚き、びくっと動いた拍子にウーロン茶の氷がカランと鳴った。
「どうした?」
「隼さんが素直にありがとうと言うなんて……驚きました」
俺の事を何だと思っているのだろう。隼はビールを一気に飲んだ。
「ここにいたか!」
既に顔が赤い拓也が隼と由宇に気がついた。そして玲央とそのメンバー達も合流した。
その時、隼は誰かと肩がぶつかった。
逢音だ。メンバーチェンジに関して互いに気まずい隼と逢音は、どちらも急に口下手になり、無言の空気が流れた。
「悪いな」
結局、隼の方から去ろうとしたが、
「負けないから」
逢音がそう言ったので、振り返った。
逢音は真剣な顔をして頷いた。隼も頷き返した。
まさか逢音の方からそう言われるとは思わなかった。上手くなれたのはきっと由宇のおかげだ。
だけど隼は、少なくとも今夜は由宇にこの事を話さないと決めた。さっきみたいに驚かれるからだ。
☆
翌朝、二日酔いの隼はぼんやりした頭でカフェの扉を叩いた。
カフェに来るだけなのにギターを背負っていたと気付き、自分の酔いを自覚した。
アメリカンコーヒーと梅サンド。いつもと同じ物を食べたい、そう思いながら店内に顔を向けると、光月がいた。
ベースを背負っている。
「お前も酔ってるのか?」
「は?」
振り返る光月は少し機嫌を損ねたようだった。
「俺はここに弾きに来たんだぞ」
光月が黒いジャケットのポケットから、一層の練習場の鍵を出して、隼に投げてよこした。
「やろうぜ、隼」
隼の酔いが覚める。
「ああ」
もちろんだ。今までだって光月がやりたい事には何だって付き合ってきたのだから、今回だってそうするに決まっている。
「でもまずは梅サンドを食べるよ」
二人で同じテーブルで朝食をとった。
二人で一層の練習場に来た。ドアを閉じて、久しぶりだなと顔を見合わせる。
光月が何も言わずにベースを弾く。
『ウェーブ』だ。二人が初めて一緒に作った曲。
嬉しくてつい笑うと、光月も弾けるような笑顔を見せた。
『お前ならできるー!』
いきなりそう叫んで、二人で大きな声で笑う。
ふと、光月が備え付けのシンセサイザーに目をやった。
「隼は俺の事ばっかり歌ってないで、他にも歌う事があるはずだよ」
「え?」
光月がシンセサイザーを軽く弾いた。
『お前、俺がいなけりゃ大変だっただろう』のフレーズだ。
「これ、由宇が作ったんだろう」
「よく分かったな」
「あんな鬼のような難易度は由宇だろうなって」
「確かにな」
クラシック音楽の素養があるから、自然と難易度の高い曲が浮かぶのかもしれない。
そういえば由宇の事を何も知らない。
「俺への歌詞を付けてる場合じゃなかったんだよ」
光月がジャンッと不協和音を鳴らした。
「今度は由宇の事を歌いなよ」
光月は瞳を輝かせているが、返事を急かすことはしなかった。
☆
街に残るか出て行くか、運営に申請する締め切りは三月の末日だ。
それまで二週間を切った三月の半ば。
街の人達はそれぞれ悩んでいるが、今日だけは誰もが晴れやかだ。まだ寒いが春が近づいているのが分かる日だった。
今日は年間大賞の授賞式。
三層に街の全員が集まった。
ステージ上に、いつもお世話になっている運営の女性が司会者として立っている。その横には各音楽会社の社長や重役がいる。二列になり五人ずつ並んで立っている。
運営の開会の言葉、それぞれの音楽会社の挨拶、各方面からの祝辞の後、ようやく発表される。
街の誰もが、確信のある予想をしているけれど。
「大賞」
運営の女性が声を張った。
「小鳥遊光月」
本人含め誰もが納得の受賞に、大きな拍手が贈られた。
壇上に立った光月は黒い革ジャンにデニム、赤のスニーカーといういでたちだ。受賞者は正装ではなく、運営と相談してこれから売り出される路線の格好をする。
光月はこれからスタジオミュージシャンとなる。バンドより厳しいと言われる道だ。
光月にマイクが渡された。
「どんな子供にもチャンスがあると伝えたいです」
これは後から聞いた事だが、当初は運営から寡黙なキャラで売り出さないかと言われたそうだ。いじめられっ子だった事は隠せと。だが光月は断った。自分と同じような子達に夢を与えるために。
隼の瞳から一粒の涙が落ちて頬に伝った。弱い光月が強くなったからではない。
光月があまりに格好良くて眩しすぎたからだ。
街の祝福を受けて、光月を乗せた船が去っていく。
由宇が視界から消えようとしている船を、まだ目で追っている。
「なあ」
由宇が船から隼へと目を移した。
「俺、この街に残るよ」
由宇は視界いっぱいに隼を収めるかのように近づいて来て、手を握った。
「光月さんに会いに行くためですか!」
「うん、それもある」
それは叶うかどうか分からない果てしない夢だ。
でも、それだけではない。
「俺、やりたい事ができたんだよ」
隼を見上げて笑顔になる由宇には、まだ分からないだろう。
四月になり、島にまたたくさんの人が夢を求めて入って来る。
隼は毎日ギターと作曲に明け暮れて、もう海を見に階段を上る事はなくなった。
音楽都市 左原伊純 @sahara-izumi
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