第22話『お前もこっちに会いに来い!』
大箱に出場するのは毎晩五組だ。
隼と由宇は三層のライブ会場の裏に来た。
衣装は二人とも同じ赤のティーシャツにした。
五組のバンドメンバーがこれから一堂に会する事になるが、二人は一番のりだった。誰もいない。
由宇は緊張していないだろうかと思ったが、これは気にし過ぎだと隼は自分を抑えた。既に光月達と大箱で成功しているではないか。
でも、ルーパーを大箱でやるのは初めてだ。
「大丈夫か?」
このくらいは聞いてもいいだろうという事にした。
「大丈夫ですよ」
由宇は本当に大丈夫そうで、気にし過ぎていた自分が恥ずかしくなった。
少しして、拓也と玲央と彼らのバンドメンバーが来た。
「よお!」
「元気そうでよかった」
拓也と玲央に声をかけられ、由宇は元気な笑顔で応じている。
由宇が玲央と話している間に、拓也が隼の肩に腕を回してきた。
「ますます仲良くなったみたいだな」
「うるさいな」
由宇には聞かれなくてよかった。
それから三十分後、全バンドが揃った。
一番最後に来たのは光月達だった。
光月が由宇に手を振った。由宇が会釈する。そして光月が隼に大股で歩いてきた。
「ベース以外何も出来ずに悪かったな」
「え? 聴いてたの?」
わざわざ中箱まで聴きに来たとは。本当に意外に思ったから聞いたのに、光月はむくれている。久しぶりに幼い顔を見た。
「もっと過激な歌詞にすればよかったな」
「俺がサッカー部の先輩にどつかれてた事なんて誰にも言わないでよ。これからデビューするってのに――」
光月は、はっとした顔をして目を逸らした。
「やっぱり、今年の大賞は光月だったんだな」
ぎりぎりまで周りには秘密にされるが、様々な手続きがあるため本人には事前に知らされる。
「……誰にも言わないでくれ」
その真面目な顔に、隼は笑ってしまった。
「何で笑ってるんだよ!」
「公然の秘密だよ、こんなの」
誰が聞いても、『だろうね』と言うに違いない。
この感じは懐かしいなと、隼は目を細めた。
「隼はどうするの?」
光月は少しだけ不安そうだった。
同じ年の、幼い頃からよく知る人に心配されるのは、こんな気持ちだったのか。
光月は長い間、この感覚を受け続けてきたのか。
そして、それなのに今、同じ事を隼にやってしまっている。それも、意図した物ではない。光月なのだから、意図的な物では絶対にないと隼は言い切れる。
「さあ」
隼は静かな笑みを浮かべた。
光月はもっと話したいようだったが、その時、運営からアナウンスがあった。
「各バンドの代表者はくじを引きに来てください」
「それじゃ」
光月は切り替えたように隼の肩を軽く叩くと、バンドメンバーの元へ歩いていった。
隼の元に由宇が静かに歩いてきた。今まで遠慮して離れていてくれたのだ。
「頑張ってください!」
由宇は両手を握り、隼を見上げた。
「任せろ」
由宇にガッツポーズをして、抽選に向かう。
引き終えた拓也が戻ってきた。
「今夜は面白いな」
「ああ。面白いな」
拓也が晴れやかに笑う。隼も同じくらい晴れやかに笑った。
トップバッターは拓也と玲央のバンドだ。
拓也がスティックを掲げて叩き、カウントする。そのままスティックを勢いよくドラムへ叩き落とし、曲の始まりを告げた。
曲は『月に会いたい』だ。この街では曲の作詞者か作曲者であれば、誰と組んでいても演奏する権利がある。
拓也が激しくスティックを捌きながら、吼えるように歌う。それでいて動きに無駄のないドラマーだ。
玲央は体全体で曲を下から持ち上げるみたいに軽く跳ねた。玲央も歌う。タレ目がちの瞳の端が上がる満面の笑みのベーシストだ。
スティックと全身を躍動させてドラムを叩く。ベースが曲の根底となる。
拓也と玲央達のライブは大成功だった。舞台裏にいい緊張感が満ちる。今夜は長く楽しい夜になると、彼らの演奏が告げている。
「おつかれー!」
拓也と玲央達が出番を終え、メンバー達と手を叩き合う。そして、汗にまみれて帰ってきた。
「よかったぞ」
隼の心からの言葉に、二人は笑った。
「俺達の事見てる場合か?」
拓也が汗を拭きながら笑った。
「大役だな!」
玲央がスポーツドリンクを飲む合間に笑った。
隼と由宇は顔を見合わせた。
二番目と三番目のバンドも、拓也と玲央達に匹敵する大成功を納めた。
そして、四番目。
光月が逢音達を従えてステージに立つと、観客はそれだけで最高潮の盛り上がりを見せた。
隼と由宇は今日のトリなのだ。
隼は舞台袖から光月の背を見る。
もうすぐこの街から出ていく幼馴染の最後の勇姿を見たい。
だけど。
「隼さん」
由宇が少し焦っている。
「このままでは今夜の盛り上がりに勝てません……」
「いや、大丈夫だ」
俺は俺のやるべき事をするだけだと、隼は決めていた。
舞台袖から光月の横顔を見る。
はっきりした顔立ちに不安は少しも浮かんでいない。これからの道のりにも不安はないのだろう。
一曲目は『街に出る』だ。今回は逢音が歌う。
光月のベースから始まる。見事にバンドを牽引する。
光月は指でベースを弾く。音の粒が揃い、数もとてつもなく多い。弾くというより弾いている。弦を自在に弾いて音を出させて、曲をいくべきところへ案内する。
『あそこには何もなかったから』
二人が育った小さな町で、光月はいじめられっ子である事に負けず、必死にやりたい事を探した。駄目でもいつまでも結果に浸らず、すぐに次を見つけた。
『あそこにいては夢を見られないから』
地元の高校に軽音楽部は無かった。
『ここまで出てきた』
二人で軽音楽部の人数が多く活動が盛んな、遠くの高校を受験した。隼は要領が悪い光月に必死で勉強を教えた。光月も頑張った。
サビに入る。逢音が肺を膨らませるかのように大きく息を吸い込む。
サビに入る直前、瞬間的にギターが止み、光月のベースが表面に現れる。指を駆使した速弾きに、観客が熱い視線を送る。
『キミと会えたから夢は続くよ』
空気を震わす逢音の声量だ。観客が手拍子から拳を上げる動作に変わる。
光月がこちらを見た。
隼は息を吸えなくなり、息をのんだ。
幼い時の面影を残しながらも進化した顔で、光月が隼に笑いかけた。
隼にとって光月は特別な存在だ。それは、一方方向の思いではないのかもしれないなと、隼はようやく腑に落ちたのだ。
『いつか叶える必ず叶える』
逢音がマイクから顔を話す。ギターの残響が響き、余韻となる。ベースが最後の一音を鳴らして曲を締めた。
光月に夢を叶えてほしい。
僅かな準備時間の後、光月が中央に立った。
「皆、俺の事見てる?」
隼も観客達も驚いた。これはラスト曲の定番『今夜は深い夜』を演奏する前の掛け声だ。今回は二曲目にするというのか。
だが光月の静かな微笑みが、驚く必要はないと、その場の全員に告げた。観客の動揺の気配は消えた。
「見てるよー!」
お決まりのやりとりが、反響して唸る轟音となって舞台袖に届く。この音に飲み込まれたらめまいがしそうだ。
だけど隼は飲み込まれない。
隣に由宇がいるからだ。
由宇も光月の勇姿を熱心に、必死で見ている。
ドラマーのカウントが、普段この曲をやる時より少し速い。ドラムが大胆に叩かれた。キーボードの音色が、今までのサックスのような物ではなく、こないだの由宇を意識したような輝く音だった。
「由宇、凄いな」
こそっと話しかけた。由宇が彼らに影響を与えたのだ。由宇は嬉しそうにした。
そして光月のベースのリフが始まる。
『夜が好き』
弾けるベースラインを見事に弾きこなす。
『余計な物が無いから』
確かに余計な物がない。誰もが光月の音楽を聴き、それ以外は一切ない。
『昼間は僕にはうるさ過ぎるから』
光月が歌いながら眉をひそめている。何かを思い出したのだろうか。
放課後までの音楽をできない昼間の学校の時間は、窮屈だっただろうなと、隼は高校時代を思い出す。隼がクラスメートと体育館で遊んでいても、光月は教室の隅でバンドスコアを読んでいた。
だけど隼は教室に帰る度に光月の肩を叩き、光月も叩き返した。
サビに入る。一度、すべての音が無になった。観客もその瞬間を沈黙をもって迎える。
そして、ベースの音で目を覚ます。
『今夜は君に会いに行く』
普段のしっとりした感じと違い、爽快にアレンジされている。いつもなら静かな夜にそっと寄り添う感じだったが、今は星の降る夜の中、大切な人に走って会いに行く感じだ。
『何も持たずに会いに行く』
やはりいつもと違い、切なそうではなく、元気そうに歌う。光月の笑う顔が好きだ。
『君との夢に目を覚ます』
光月との日々は、後から思い返せば夢のような日々になる事だろう。これからデビューするのだから、どんどん遠くに去っていく。
曲はいつもならここで終わる。
だが、ドラムが炸裂し、ギターが唸り、キーボードが激しく鳴る。
ベースは言うまでもなく、速弾きだ。
『お前もこっちに会いに来い!』
光月の歌は叫びだった。
隼の中に、光月の言葉と歌声がそのまま入って来る。
隼は初めてギターを持った時のようにドキドキした。
光月に連れられて楽器店に入った時、同じ方向を向いてずらりと置かれたギターの数に圧倒された。試し弾きさせてもらった時の、背後のアンプから叫ばれる音色にびっくりした。
ベースを選ぶ光月は迷いに迷っていたが、今までに見た事のない、挑戦的な顔をしていた。
ギターケースとベースケースを背負った二人は、町の鏡に姿が映る度に指さして笑い合った。
始まる。また始まる。
最大の拍手が音楽都市に響き渡る。暗黙の了解を破り、おそらく全住民が三層に来ている。
「最後の曲です」
立ち位置を変えないので、またしても光月が歌うようだ。
「『旅』」
新曲だと、隼と由宇は顔を見合わせる。二人ともわくわくがはち切れそうな顔だ。
ギターから始まった。逢音が伸びやかに弾く。
『ずっと早く旅立ちたかった』
いつもは歌に合わせて表情を作って歌う光月だが、今回はありのままの顔だと分かった。
『何もない場所だったと言い切れないのも悔しいけれど』
あなたの事でしょうねと言いたげに由宇が隼を見た。さすがに照れて、隼は光月から目を逸らしかけたが、すぐに戻した。今は絶対に光月を見ないと駄目だ。
『俺は帰って来ないよ』
そうだよ、二度と帰って来るなよ。
『会いたくなったら会いに来い』
再びの言葉に隼はにやりと笑った。
ギターが止み、キーボードも止み、ついにはドラムも止んだ。
光月のベースだけが残り、バンドの支えではなく主役に躍り出る。ベースでメロディを弾いた。
そして、同時に歌う。
『たくさんの事を見つけられたのは、一緒にやってくれる人がいると思えたから』
そして、ベースを弾いて、曲が終わった。
「隼さん、私達これから本番なんですよ」
由宇が宥めても、隼の涙は止まらなかった。
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