第21話 その場所に私もついていく

 隼と由宇は二層の練習場にいる。

 ピ、ピ、ピとルーパーが鳴る。

 由宇の指がルーパーに記録させる音を奏でる。

 無事に音が軌道に乗った。ベースとドラムが繰り返しリズムを刻む。

 玲央と拓也の生の音には遠く及ばなくても、曲を成立させるだけの力はある。


「よし、やろう」


「まだです」


 由宇はルーパーにさらにサイドギターを録音した。曲になっていく。


「隼さんには思いっきりリードを弾いて掻き回してほしいので」


「分かった!」


やってやるよと言う代わりに、エフェクターを踏みギターを掻き鳴らす。由宇のキーボードも付いてくる。



 中箱のライブの日だ。

 隼が引いたくじの結果、二人はトリになった。


「大丈夫だ」


 由宇を励まそうと思った隼だが、


「大丈夫です!」


 その必要はなかったらしい。由宇は緊張などしていない。由宇の指を縛り付ける物も強張らせる物も、もう存在しない。

 隼はチューニングをしながら、早く弾きたい想いが募っていた。

 ちなみに、由宇の衣装はそのままだが、隼は衣装屋に新しく作ってもらった赤いティーシャツになった。


 二人だけで舞台に立った事で、観客は束の間、戸惑ったようだった。それを吹っ飛ばしてやろうと、隼は挨拶の前にギターを聴かせた。最初はクリーンな音で始めて、次にエフェクターを踏み音色を変える。

 由宇の言った雑味が無い音を目指して、歪めすぎず綺麗なトーンで勝負する。

 瑞々しい音だと由宇に言われた時は、その意味が分からなかったが、会場のアンプの大音量で聴くと、少し分かった。透き通るのにしっかりと形があり、流れる水のようだ。この理解でいいのだと思える。


 観客の戸惑いはいつの間にか消え失せ、弾き終えると拍手に包まれた。

 続いて、由宇がキーボードに手を添える。星を溶かし込んだ海の音が音階を駆け上がり、煌めく。観客の手拍子に応じて、どんどん速く弾く。


「さあ! 皆さん! 今から録音です!」


 張った声がマイクを通して会場に響き渡った。今度は大丈夫なのかという疑いはもう消えていた。


 ドラムがビートを刻む。成功だ。由宇の横顔の笑みを見た。ベースがしなやかな骨となる。また成功だ。拍手が起こる。由宇が視線を送ってきたので、隼は大きく頷いた。サイドギターが立体的な構造を作る。またしても成功だ!

 三種の音が繰り返し奏でられ続ける。その上に波乗りするように隼はギターを弾いた。ただ弾いては単調になる。寄せては返すだけの波の上で、はっきりと踊らなくてはならない。


「それでは聞いてください!」


 隼はほくそ笑む。由宇が書いた曲に隼が歌詞を付けた曲だ。


「『お前、俺がいなけりゃ大変だっただろう』です!」


『お前なんか知らねえ』の時と同様に、タイトルを聞いた観客が笑った。

 隼はメロディを奏でるリードギターを弾きながら全く違うメロディを歌うと、決意してこの場にいる。

 由宇のキーボードの音が、ピアノの音に変わった。もともと由宇が書いたのは綺麗な曲だ。


 繰り返すリズムに乗り、隼と由宇は同時に入った。品の良いピアノとクリーンに色付けしたギターがまずは同じメロディを弾き、そして別れた。

 タイトルがあれなのに随分綺麗な曲だと、観客がざわめいた。


『やりたい事があるんだと、君はいつも俺を誘った』


 綺麗なアルペジオが会場に響く。


『君のおかげでたくさんの事を知れた』


 ピアノが綺麗な和音を奏でる。


『いつだって楽しかった』


 ジャンっと、ここで不協和音が鳴り、転調する。


『お前のせいでサッカー部の先輩とやり合った』


 リアルな歌詞に会場がざわっとする。

 たらら、と綺麗な和音と共にまた転調し、元に戻った。


『一緒に勉強した日々』


 綺麗に歌い上げる。

 転調した。


『お前に勉強教える方が授業時間より長かった』


 再び転調して元に戻る。


『一緒にお祭りに行って』


 転調する。


『迷子になったお前を探しまくった!』


 再び転調して元に戻る。


『お前と一緒にギターとベースを弾いて』


 転調する。隼はFコードをジャジャっと弾いた。


『ベースのお前の方が俺より早くFを押さえたんだクラスの女子の前で!』


 観客の半分が気の毒そうな顔をし、観客の半分が笑った。

 そして、転調したまま、元には戻らなかった。


『お前、俺がいなけりゃ大変だっただろう! 勉強も運動もできず――』


 歌詞を詰め込んだような早口の歌と同時に弾くギターは、三連符だ。スライドにチョーキング、ビブラート、タッピングしまくりだ。由宇の作った楽譜を見た時、俺をステージ上で殺す気かと正直思ったものだった。


『お前はベース以外何もできねえ!』


 ピアノの不協和音がジャンジャン鳴る。


『調子乗んなよ、デビューしたら俺に感謝しろぉ!』


 こうして、曲が終わった。


 全く異なるメロディとリズムの歌とギターを終え、隼は体力的に満身創痍だった。ぜえぜえと息をする。思っていたより数倍きつい。


 由宇が作った曲は難易度の事を一切気にしていなかった。何故こんなに執拗に転調するのかと疑問を抱いているうちに、転調前と後で違う事を歌おうと思い付いたのだ。そして、それには光月の事がぴったりだった。

 観客は隼の熱の籠った演奏には感動していたが、同時に歌詞に私怨を察して引いていた……。

「続いては『ここに来てよかった』です!」


 今度は隼が作曲して由宇が歌詞を付けた曲だ。隼としては弾きやすい。その分表現を気を付けなければならないが。


『会いたかった人は一人だけ』


 この先の歌詞を知っていても隼は少し悔しくなり、弦を揺さぶる回数を増やした。


『会えたのはたくさんの人』


 心が落ち着いた隼は綺麗にミュートした。


『海を見ながら出会った人はこの街一番の』


 隼は口元が緩んだ。


『よく分からない人』


 自分の事だと分かっているけど、歌にされると腹は立たない。


『本来の場所に帰ってください』


 ここで、隼のギターが忙しくなる。

 次の歌詞は『この街に何のために来た』だと隼は分かっている。


『その場所に私もついていく』


 歌詞を間違ったかと、思ったが、ギターを弾くのに夢中で由宇がなんと歌ったか分からなかった。

 その後は予定通り歌い上げ、観客の割れるような拍手が響いた。


「歌詞、間違ったか?」


「本来の歌詞ですよ、渡したのは変えた歌詞なんです」


「なんて歌ったんだ?」


「分かりませんでしたか?」


 頷いた隼に、由宇は残念なのが半分、ほっとしたのが半分、といった様子だった。


「忘れました」


 隼は気になったが、由宇が満足そうにしているのを見て、まあいいかと流した。



 今回はいいライブだった。ステージ上に縦横無尽に転がるシールドを一本一本巻いて片付ける。由宇はエフェクターをしまう作業をしているみたいだ。

 片付けが終わり、由宇が隼の元に小走りで来た。


「今回は成功したと思うんですけど、どうでしょうか」


 言葉とは違い、心配している様子はなく元気そうだ。


「どうだろうな」


 隼も同じようなものだ。


 運営の女性がタブレット片手にこちらに来た。

 やはり成功だった。嬉しいが、驚きはしない。


「あなた達に大箱に出演してもらいたいのですが」


 これには驚き、二人は勢いよく顔を見合わせた。


「隼さん!」


「ああ!」


 二人は思わず手を握った。あまりの嬉しさに、しばらく握りっぱなしだった手を、何人かに見られる程だった。


 由宇を地下への階段の前まで送っていく。螺旋階段を下りて一層に到着した。


「少し休むか?」


 すでに数十段の階段を下りている。


「いいえ。平気です」


 由宇は軽やかな足取りだ。隼は笑顔でその後を追った。


「隼さん、明日は早いですか?」


「いや」


「もし良かったら少し弾いてから帰りませんか」


 もう二十三時なのに、由宇は元気そうだ。だけど隼は首を振った。


「駄目だ。寝ろ」


「……はぁい」


 地下への階段を下りて行く由宇が、見えなくなるまで見送った。

 一層のアパートに帰った隼は、由宇のさっきの言葉から過去を思い出して苦笑した。

 光月と初めて大箱でライブをした夜も、二人とも興奮して、少し弾こうという事になったのだ。その結果、少しでは済まず徹夜になり、ばてばてになった。あの疲労感は由宇に味わってほしくない。

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