第18話 今は、無敵のように感じたから
隼は二層のアパートの玲央の部屋に来ている。拓也も一緒だ。
「お前、めちゃくちゃだせえよ」
拓也が空になった缶ビールを床に置き、隼に言った。すかさず玲央が空き缶を袋に入れた。玲央も、隼を拓也と同様の目で見ている。
酒飲みながら作曲しようぜという話だったのに、いつの間にか隼は二人に責められていた。
「光月に取られたな」
「可愛い子だったな」
二人にちくちく言われて、隼は三缶目を開けながら、
「別に俺のものではないし」
と言い、一気に煽った。
拓也がビールを飲む手を止めた。
「お前、あの子の事どう思ってるの」
「無理やりギターを弾かせてくる子」
拓也と玲央が顔を見合わせる。
「どうして弾いてやったんだ?」
「え?」
「無理やりだとしても、断らなかったのはお前だろう?」
玲央の言葉にすぐに答えられない。
拓也が金髪を無造作にかきあげて、
「俺は、お前があの子を好きなのかと思ってた」
とんでもない言葉をぶっ込んできた。
「は?」
「優しいし、暗黙の了解を破るし」
玲央まで言ってくる。
「破ったのは、そうでもしないと由宇は先に進めないからだ」
「四月に入島者がたくさん来るんだから、待っていても大丈夫だっただろう」
「でもあの子はすぐにでも三層に行きたいと言った」
「だから、その言葉を叶えてやったから好きなんじゃないかと言ってるんだよ、俺達はさ」
「断る事もできたんだぞ」
「お前らは知らないんだ。あの子の押しの強さを」
「お前はよく知ってるんだな」
「やっぱ好きなんだな」
「だから、どうしてそうなるんだ!」
腹が立ち、隼は一気に一缶飲み干した。よく冷えていたため、頭がキーンとする。
本当に押しが強かったんだって……と、説明したいが、二人は分かってくれそうにない。
この感覚をなんと言えばいいのだろう。
その後は、酔った拓也の介抱をする玲央を眺めながら時間を過ごした。
翌朝。
「さあ、練習するぞ!」
あんなに酔っていたはずの拓也が一番早起きして、しかもやる気に溢れている。
玲央の方が寝ぼけ眼で、着替えながらふらっとしていた。セーブして飲んでいた隼は、頭痛等はない。ただ、一晩経っても消化できない思いがたくさんあるだけだ。
三人は二層のカフェで食事を済ませた。朝から焼き魚定食を頼んだ拓也と、サンドイッチ一つしか食べなかった玲央の横で、隼はホットサンドを頼んだ。だがすぐ後悔した。ホットサンドは一層の方がおいしい。生地のサクサク感が足りないホットサンドをアメリカンコーヒーで流し込み、三人は二層の練習場に行く。
練習場で何かが足りない気がしたのは気のせいだ。シールドをギターとアンプに繋ぎ、アンプの音を調節し、準備をする。チューニングも狂いない。
三人合わせての練習の前に、各自ウォーミングアップのような自主練習をする。部屋の真ん中にメトロノームを置き、起動した。隼はメトロノームに合わせてドレミファソラシドと弾く。それを一段階ずつ転調し、繰り返す。玲央も似たような練習をしているようだ。拓也はひたすら一定のリズムで叩いている。ひとしきり基礎練を終え、メトロノームを止めた。
おもむろに拓也がバスドラムを叩き、上半身を使ってシンバルを大きく揺らす。スネアを叩く。
玲央がピックで弦を大切そうに弾く。
隼はまだメトロノームに合わせているような、気のないギターを弾いていた。
「ちゃんとやれ!」
玲央がベースを引く合間に、むっとして注意してきた。
「傷心中なんだろうな」
そう言って拓也はパーン! とシンバルを叩いた。
「さ、新譜やるぞ」
驚くべき事に拓也はビール六缶飲みながら一晩で曲を作ったのだ。
隼は新譜を見ながらメモを入れる。そして軽くギターに触れて手に覚えさせていく。
楽譜を一目見ただけで弾いてみせた由宇の事を思い出さないのは無理だった。紙に刻まれた無数の音の記録をすぐに展開して音楽として出力していた。
「おっしゃ、いくぞー」
拓也が腕を振り下ろし、ドラムを叩く。隼は玲央と視線を合わせて同時に入る。
「なんだその気の抜けた炭酸みたいなギターは!」
「だから、傷心してるんだろうよ」
「そんな訳ないだろ?」
「じゃあなんで、そんな感じなんだよ」
「それは……」
この感覚はなんだろう。
「大変だ」
運営に新譜を提出してきた拓也が、三層のレストランに隼と玲央を呼び出した。飲食の時間から外れている十六時で、客はまばらだ。
拓也は興奮を抑えつけるように、小さな声で言った。
「三日後に大箱に出られるぞ」
「うそ! やった!」
拓也と打って変わって玲央は大きな声を出した。
「静かにしろよなー」
まばらだとはいえ、他の客に配慮しようという拓也に、玲央は苦笑して頷いた。
大箱に。隼は思考停止して固まっていた。
三日後の十六時。
「行ってくる」
「頑張れ!」
三人の代表で拓也が順番のくじを引く。手を振る拓也に、玲央が拳を握り応援した。
「四番目。トリの一個前だな」
「微妙だなあ」
「しかも、トリは光月だ」
「は?」
今まで黙っていた隼がいきなり反応したので、拓也と玲央はぎょっとして隼を見た。
「お前……光月と由宇に反応するロボか……」
「俺達が光月の一個前って事か!」
「そうだよ」
隼はざわざわする胸のうちに戸惑う。
西の楽器優先エレベーターにドラムを頼むと、三人は北の踊り場に向かう。
「おっ。お前らも大箱か?」
声をかけてきたのは、かつて拓也や玲央と組んだ事のある、赤いバンダナのギタリストの田中だ。
「ああ。お前もか」
しばらく三人は世間話をしていたが、田中が、
「そういや、キーボーダーのあの子は?」
気がついてしまった。
拓也と玲央は顔を見合わせる。
「あの子は光月のバンドに行ったよ」
隼の言い方はまるで、何も気にしていないようだった。そうかと、田中は何も思わないみたいで頷いていた。拓也と玲央が密かに目線を合わせて苦笑している。
「しっかし、光月以外に受賞者は出るのかな」
受賞者の発表は三月(大賞見込みの人の島を出るタイミングにより稀に前後する)だ。
「光月以外はどんぐりの背比べなのかな? 運営から見れば、さ」
玲央はため息混じりだった。
光月以外は似たレベルだというのは隼も頷ける。
由宇はどうなるのだろうか。これから時間がたくさんある彼女はさらに飛躍するのだろう。どこまで行けるのだろうか。
照明が落ち、隼達の一つ前のバンドが舞台裏に戻ってきた。
「いまいちだったなー。お前らは頑張れよ」
田中は赤のバンダナを巻き直し、出て行った。
「なあ、隼」
拓也が改めて言うけど、という顔をした。
「練習の時よりちゃんと弾けよ」
「ああ? 分かってるよ」
隼は頷いた。うなじに冷たい汗が滑り落ちた。
「おら! 光月の前座だぞ!」
拓也の第一声が観客にウケた。
大箱の照明は中箱より大きく、暑い。後ろから熱を押し付けられている気分になる。光の加減で、観客の面白そうにする顔が時折見える。
「いくぞ!」
拓也がスティックでリズムを刻む。そしてシンバルが曲の開幕を告げた。
玲央がベースの低音を伸びやかに響かせる。キーボードがいないため、ベースの音は増えている。
キーボードがいない事で隼の音数も増えている。音色も歪みを強くしている。リフを弾く。指先に意識を向ける。
お、あの曲かと観客が期待して手拍子する。
『お前なんか知らねえ』
あ、駄目だと瞬時に悟った。声が出ない!
玲央がこちらを見てくる。大丈夫だと頷いたが。
『お前なんか知らねえ』
やはり持ち直せない。
どうした、どうしたんだ、俺は。隼の汗の種類が、暑さのためのものではなくなってきた。ギターは辛うじて弾けているが、声が前に出ていかない。客が何人か出ていく。駄目だ、行かないでくれ。あと少し時間をくれ、すぐに立て直すから。
だが声は掠れ、どうにも上手くいかない。まだだ、まだ帰らないでくれ!
由宇もあの時こんな気持ちだったのか。延々と失敗したフレーズが繰り返されるのはどんな苦痛だったのだろう? 俺は彼女に何をしてやれたのだろう?
ふと、気がつけば玲央がすぐ隣にいた。
玲央が目で、どけと言っている。隼はセンターマイクからどけた。
『お前なんか知らねえー!』
いきなりのボーカル交代に観客は、隼の不調を察したような顔をした。それもまた屈辱的だが、仕方ない。受け入れるしかない。
玲央がベースラインを弾きながらボーカルとしても声を張る。
俺は一体何をやっているんだ、どうしたんだと、隼はギターに震えるビブラートをかけながら、顔面蒼白だった。
一曲目はなんとか終わった、というより玲央が終わらせてくれた。
玲央の瞳の心配に、隼は背中が強張る。玲央に自分を責める気持ちはないと分かっていても、怖い。
二曲目は『月に会いたい』。
玲央のボーカルに拓也がコーラスを入れる。観客の顔色が持ち直している。
さっきのミスはギターで取り返さなければならない。間奏でアドリブで速弾きを入れると、観客の拍手が聞こえた。よかったと、ほっとしている暇はない。
あんなミスをしたのだから、やらなくてはならないのだ。
二曲目が無事終わり、一部のチューニングを変えて三曲目の準備をしている時だった。
ふと目線に何かが入った。見れば舞台裏で誰かがこちらを見ている。その人の手が見えたのだ。隼がその人を気にして、窺い見たのに、深い意味はなかった。
由宇だった。
舞台袖の由宇と、目が合った。
隼の呼吸が一拍乱れた。
祈るような、強い眼差しを、逸らしてはいけないと思った。彼女の視線を正面から受け止めたのはいつ以来だろうか。
「どうする? コーラス俺がやるか?」
由宇に背を向ける格好になっていた玲央が、何も知らずに聞いてきた。
「いや、もう大丈夫」
「そうか?」
隼の頷き方に、玲央は引き下がった。
再び舞台袖を見る。
由宇が笑顔だ。だけどどこか緊張した笑顔だ。
だから、こちらからも笑顔を返さなければならない。隼はぎこちないが、笑顔を返した。由宇は安心した顔になった。そして彼女は舞台裏に戻る。
返すのは、こんなに些細な事でよかったのだ。
最後となる三曲目は、拓也が一晩で作曲して、玲央が歌詞を書いた『君の閃光』という曲だ。
『今まではたらたらしていたと、今になったから分かる』
拓也がまずアカペラで歌い、さあ本番はここからだとシンバルで告げる。乾いて破裂した音を皮切りに激しいドラムが始まる。
続いて玲央が歌う。
『君はいきなり飛び込んできた』
ここから隼も歌う。肺に行き渡らせるように大きく息を吸い込んだ。もう大丈夫。なぜだろう。
『感情が増えて目覚めた』
隼のいきなりの復調に、観客から驚きの声があがった。驚いたのは拓也と玲央も同様のようで、二人とも目線を送ってきた。
隼は大きく頷いた。笑顔になっていたのは無意識だった。
腹の底から声が出る。気持ちいい。ギターも歌にぴったりと沿わせる。
『今まで眠っていたものが目覚めて急に光り出す』
隼は声の限り叫ぶ。肘から下を休みなく動かしてギターを奏でる。指先の、末端の末端まで今までの経験で神経が通っている。それはギターを弾くための神経だ。弦を押さえる痛みに慣れて、それなのに繊細になった。ギターのための神経が喜んでいる。今まで培ってきた物が全て前に出る。
『君が目覚めさせたんだ』
玲央のシャウトに下からハモって厚みを出す。この気持ちに厚みを出す。些細な気持ちではないのだと、小さい出来事だったとしても、俺にとっては大事件だったと。
ギターソロで全ての目が自分に向くのを、これほど快感にできたのは、初めてかもしれなかった。本来の楽譜より色々と入れ過ぎてバランスは悪くなったかもしれないが、それでも今のプレーが正解だったと思う。
曲が終わるのが惜しい。もっと浸っていたかった。この曲の中では、今は、無敵のように感じたから。
右側から舞台裏に戻ると、同時に左側から由宇や光月が舞台に上がって行った。
「難しいですね」
運営の女性が、いつもの淡々とした様子ではない。
「中程度の成功、という事で」
「初めて聞きましたよ」
「こんなの初めてですよ!」
拓也に返した運営の女性は、いつもと違い等身大の女性らしい話し方だった。
「前半と後半でクオリティが違うんですから。何があったんですか」
彼女の純粋な好奇心には悪いが、隼はその秘密を誰にも言う気はない。
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