第16話 どうしてかかってこないんだ
由宇を地下への階段の入り口まで送っていく。
由宇は何も言わず、ぼんやりと宙を見ているようだった。心をとられたのだろう。
悔しいか? 光月の言葉が隼の心に爪を立てる。
隼は一層のアパートに帰った。シャワーを浴びてスウェットに着替えたが、目が冴えて眠れない。
仕方なく再び電気を付ける。スマホをいじる気にもなれず、本棚から楽譜の束を取り出した。
今まで作った曲がぎっしりと、何枚もの紙に記録されている。それを見ていると紙には記録されていない思い出も蘇ってくる。不思議な物だ。
入島時、隼も光月も作曲経験がなかった。小箱でのライブは同期が作った曲で乗り越えたが、二人は中箱でライブができるようになるまで、時間がかかった。
『隼、訳わからないよ。教えてくれる?』
『悪いけど俺も分からないんだ』
二人ともコード進行や和音などの数学的な部分に躓いた。
作曲を先に習得したのは隼だった。だけど隼は光月が作曲し、中箱に出演する権利を得るまで待っていた。別に、特に理由があったわけではない。
隼は楽譜を見ながら、一粒の涙をこぼした。
翌日。
一層のカフェの扉を開けると、一目見ただけで分かる後ろ姿があった。
光月だ。
何故。そう思う間に、光月が椅子から立ち上がり、こちらに体ごと振り返った。
「おはよう」
光月の声はごく普通のトーンだった。
そうだ、由宇に連絡しなくてはと、隼はスマホを取り出そうとしたが、光月に首を振られて遮られた。
「まずは俺らで話そう」
光月のペースに負けて、隼は光月が座るテーブル席の向かいに腰を下ろした。
隼はいつも通りアメリカンコーヒーを、光月はハニーカフェラテを頼んだ。
「感謝してるんだよ、隼には」
光月が表面の白いクリームと蜂蜜をスプーンでゆっくりと、奥の黒いコーヒーに混ぜ合わせていく。
「いつも俺を守ってくれた。サッカー部を耐えられたのは隼のおかげだ」
コーヒーにクリームと蜂蜜が浮かぶという華やかな見た目だったハニーカフェラテは、全て混ぜ合わされて、茶色一色になった。
「そう思ってくれていたのか」
光月が茶一色のハニーカフェラテの表面に視線を落とした。
「こないだはあまり時間がなかったからここまで話せなかっただけだ」
「俺は……嫌われていたのかと」
隼の絞り出したような声に、光月は視線を上げた。
「隼の事、一生嫌いにならない」
隼のマグカップを持つ手が僅かに震えた。アメリカンコーヒーの表面が僅かに揺れた。
「でもそれとこれとは別だ」
光月がマグカップを置いた。ことりと硬い音がした。
「どうしてかかってこなかったんだ」
隼は持っているマグカップを持ったままだ。
「バンドから切られてもすぐ立ち向かってくると思ってた。大丈夫だろうと思っていたから、隼を外すのを賛成したのに」
隼は何も言わないのを正当化するみたいにマグカップに口をつける。
「隼は強い人だと思っていた」
「どうしてそう思った?」
隼の声は弱々しかった。
「いつも俺を守ってくれていたから」
光月は確固たる信念のようにきっぱり答えた。
「……別に強くないよ」
「俺が弱すぎただけ?」
「……そうだよ」
「確かに隼は俺を弱い奴だと思っていたな。いつもそうだった」
「え?」
光月は少し笑った。
「軽音部に入った後も、本番の度に俺を心配そうに見ていた」
「そうか?」
「うん」
光月がまた、スプーンでハニーカフェラテを混ぜる。
「誰よりも俺を弱いと思っていたのは隼だった」
隼は黙ってアメリカンコーヒーの、表面をじっと見つめる事しかできなかった。
光月はハニーカフェラテを一気に半分くらい飲んだ。
「なあ、どうしてかかってこないんだ」
隼をじっと見つめてくる。
「どうして何も言い返さないんだ」
その時だった。
ドアのチャイムがカランカランと鳴る。
何も知らずに由宇が来た。
店内に二人がいるのを見た彼女は、すっかり固まっている。
光月が残りのハニーカフェラテをぐっと飲み干し、立ち上がった。そして由宇に視線を送った。
「なあ、俺達と組もうよ」
由宇はまず、隼を見た。
「よかったね」
隼は自分の声が硬いと自覚せざるを得なかった。
由宇は少しの間黙っていたが、光月に一歩近づいた。
「よろしくお願いします」
二人はカフェから出て行った。
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