第15話 泣きそうだった

 由宇の熱弁を聞き流すうちに、ようやく十六時五十分になった。

 由宇は嬉々として、隼はおとなしく、会場へ足を運ぶ。


 既に人がいっぱいで最前列には行けない。


「もっと早く来るべきでしたか」


 隼はわざとこの時間に来たと、由宇には言わない。


 三つのバンドが持ち時間二十分の演奏をした。由宇は大きく拍手していたが、やはり光月の音を聴いた時とは違う。


 冬の十八時には星がちらほら瞬いている。

 ついに光月のバンドが現れる。

 左横の階段からギタリストが上がり、ドラマーが上がり、キーボーダーが上がり、サイドのギタリストが上がり、そして光月が上がった。

 光月がステージに足を踏み入れただけで、観客の沈黙に期待が混じった。

 五人は軽く音を鳴らして準備する。その所作さえ洗練されている。

 隼は光月の他に、リードのギタリストを見た。


 女性だ。宮島逢音あいねという。明るい茶髪のロングヘアーで、長い前髪をセンターで分けている。

 サイドギターだった隼が抜けたと同時に入れ替わりで入り、その後リードギターになっている。

 逢音が光月と目を合わせた。隼は苦い思いで彼女を見た。


 ドラムが1、2、3、4と声をかけ、ベースのリフから始まった。『街に出る』という曲だ。隼がまだリードギターだった頃に作った曲なのでギターソロのパートは隼が考えた。

 弾けるベースは乗り物から降りて都会に足を踏み入れた高揚を表している。光月は見事に弾き切って見せた。

 続いてドラムと両ギターが入る。都会の情報量を目の当たりにするのを、一気に増える音で表現している。

 そこで、サイドギター兼ボーカルが歌い出す。

『あそこには何もなかったから』


 ドラムが頭を大きく振り、スティックを二本同時に叩きつけ、迫力ある大音量を鳴らした。


『あそこにいては夢を見られないから』


 光月が両足を踏ん張った。ベースが曲を下から持ち上げるだけでなく、導いている。これからの明るい歌詞を予感させるようだ。


『ここまで出てきた』


 隼は光月と共にここに来た時の事を思い出した。



 学祭で三百人を前に歌い切った隼は、このまま音楽に浸って生きていたいという思いを持った。そして、光月も音楽を続けたいと思っているという予感があった。


『隼、やりたい事ができた』


 光月がそう切り出した時、絶対に音楽の事だろうと思った。


『音楽都市に行きたい』


 ほらやっぱりそうだと、隼は大きく頷いた。


 それにしても、普通に続けるのではなく音楽都市か。それには驚いた。覚悟が違うと思った。隼としては働きながらバンド活動をするのでもいいと思っていたのだ。


『隼は?』


 思えば、隼の意思を聞かれたのは初めてだった。今までは光月がやりたいと言えば、二人でやる流れになっていたのだから。


 正直、少し迷った。

 だけど、ここで返事を後日にしてしまえば、踏ん切りがつく日は二度と来ないだろうとも思った。


『俺も行く!』


 光月は嬉しそうにした。

 あの時は、そうだったのに。まさか、勝ち戦ができる場所に行けるから微笑んだのか。いやきっと、そうではない。

 音楽都市の入島試験で、隼はひたすらドキドキしていた。心臓の中にバスドラムを入れられたみたいな鼓動がしていた。それでいて、不安は唸るギターみたいに波打つ。

 光月は平気そうだった。ギリギリでの合格だった隼と違い、光月はトップで合格した。

 その事を、何とも思っていなかった。

 光月と袂を分かってから、それを思い出しては心が何故か疼くけれど。



『キミと会えたから夢は続くよ』


 光月は隼以外の人とたくさん出会った。

 ベースが躍動し、観客の手拍子が激しくなる。誰もが光月を一番熱心に見ている。

 その中で、逢音のギターソロに入った。

 切れ味鋭い音は、足取りの軽さを表している。

 隼が考えたソロと違う。

 これは俺には真似できないと、隼は項垂れそうになるのを必死でこらえた。逢音を凝視する様にして俯くのを我慢した。


 光月と目があった。どくっと心臓が脈打った。光月は汗で髪を頬に貼り付けている。光月は全力をベースに込めている。

 逢音のギターソロが見事なロングトーンで幕を閉じ、再びボーカルの歌唱が始まった。

 隣の由宇が気が付けば一歩前に移動していた。由宇の手拍子は誰よりも大きい。

 最後に光月のベースで曲が幕を閉じた。


「きゃあーっ!」


 拍手に混じり声が飛び交う中、由宇も叫んだ。

 こんな彼女を見た事がない!

 光月と再び目が合った。

 悔しいかと言われている気分になった。


 続いては、バラードだった。ボーカルは光月に交代する。


「皆、俺の事見てる?」


 光月が歌い出す前のお決まりの挨拶だ。


「見てるよー!」


 これも、お決まりの返しだ。

 隼は隣の由宇を見ようとして、やめた。彼女がどんな顔をしているか、興味ない事にした。


 深く刻むドラムから入り、サックスをイメージしたシンセサイザーが伸びやかに弾かれた。スローテンポな曲だ。

 光月の歌が始まる。マイクに口をぴったり近づける。いつからあんなにこなれた様子になったか。


 光月が作曲した『今夜は深い夜』。タイトルを付けた作詞者が光月のメロディから夜をイメージしたのだ。


『夜が好き、余計な物が無いから』


 光月の表情は大人の男で、かつての面影はない。


『昼間は僕にはうるさ過ぎるから』

 優しかった光月の声はそのまま低くなり、優しさに深みを兼ね備えた。この街に来てからの訓練で、艶っぽさも獲得した。


『今夜は君に会いに行く』


 偶然にも、『月に会いたい』と似た様なフレーズだ。


『何も持たずに会いに行く』


 ゆったりしたテンポで奏でられる曲を、光月は切なそうに歌う。声に引っ張られて表情も切なくなり、隼は思わず目を逸らした。


 光月は実際に誰かに恋をしているのかもしれないと思わせる表現力に、隼は悔しさを自覚した。

 俺にはできないと、どうしてこんなに差がついたのかと。無意識にぎちっと歯を食いしばった。

 前の曲より弾力のある音のベースが間奏の隙間をしっかりと埋めた。


 逢音のギターソロはスローテンポに合わせてしっとりして、だけど瞬間的に速弾きも混ぜていた。

 あの子、うまいよね。光月がこそっと隼に逢音の事を話した時、光月は新しい物を見つけた子供みたいな顔をしていた。


 幼い頃から言い続けてきた『やりたい事があるんだ』と似た様なトーンで、組みたい子がいるんだと、隼に逢音を紹介した。その時の隼に危機感がなかったのは、逢音の実力を分からなかったからではない。彼女が自分を上回っていると、すぐに分かった。


 光月が自分を切る事はないと思っていた。

 隣で由宇がうっとりと聴き惚れている。

 音楽と人間性は関係ありません。


『愛しているから、ずっと一緒にいよう』


 最後のフレーズを歌い終えた光月は、柔らかくしっとりした、それでいて男らしい顔だった。

 静かな余韻に観客は叫びもせず、惜しみない拍手が光月達に送られる。

 隼も拍手した。泣きそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る