第14話 悔しいか

 三層の踊り場に足を踏み入れた途端、冬の淡い青空に目を奪われる。

 そんな由宇の姿を目にして、俺も初めての時は全く同じだったと、隼は思い出した。

 踊り場からさらに歩いて、完全に三層に入った。

 日光に照らされれば、一、二層と同素材のはずのコンクリートが見違える。

 踊り場から三層の中心に向かって歩くと、すぐに野外ステージがある。昼間の誰もいないステージは、夜の熱狂を想像できないくらいしんとしている。


「ここでやるんですね……いつか」


「うん」


 由宇は目を輝かせてステージの隅々まで見ている。


 隼はここに立っていた事もあったが、それは酷く遠い事に感じる。

 照明の熱さに汗をかき、観客の熱にも汗をかいた。そして、ステージの左側で誰よりも主役となった光月のベースに、同じステージの上にいる事が改めて誇らしくなった。


 三年生の学祭と、その時とで実力は段違いだが、隼にとってその二つは人生最良のライブだった。


 三層のライブから一年。

 どうしてこんなに長い間、逃げ続けていたのだろう。たった一か月前までの自分の気持ちが分からない。


「隼さん、ここにもカフェがあるんですね」


「カフェというよりレストランだ。入るか?」


 由宇が好奇心たっぷりの顔で頷いた。


 テーブルと椅子を初め、白を基調とした三層のレストランは洗練された印象だ。メニューはパスタやグラタン、ハンバーグ等幅広く、一層二層のカフェとは違う。由宇が楽しそうにメニューを眺める。隼は鮭イクラ丼を頼んだ。

 ハンバーグステーキを食べる由宇のナイフとフォークの使い方は美しく、やはりお嬢様だ。隼は久しぶりの三層の味に感動している自分を認めたくなかった。


 三層のライブが始まる十七時まで居座ろうと、二人はデザートを頼んだ。隼はアメリカンコーヒーとモンブラン、由宇はミルクティーとショートケーキにした。


 ゆっくり食べながら、しばらく二人とも無言だったが、不意に由宇が切り出した。


「もう、暗黙の了解を破っていないですものね」


「そうだね」


 ここまでのスピード出世はなかなかない。


「隼さん、ありがとうございます」


「え?」


 由宇の両手は、テーブルの上で綺麗に重ねられていた。


「これからもよろしくお願いします」


「……なんだ」


「なんだとはなんですか」


「別れを告げられるかと思っただけだ」


 由宇は眉を上げ、目をぱっちり開いて驚いたが、すぐに眉をひそめて目も細めた。


「どうしてそう思ったんですか」


「ここまで来れば君は誰とでも組めるから」


 何故由宇が怒っているのか、隼には分からなかった。


「今まで一緒にここまで来たじゃないですか」


「意外だな。音楽と人間性は関係ないと言っていたのに」


 隼の言葉は本心だった。時期はずれの入島で他に人がいなくて、いきあたりばったりに組まされたのだ。ギターを褒められたが、三層のメンバーならこのくらいできるという程度だ。

 二層で泣き崩れた由宇を助けたのは、島を出ていくのがあまりに可哀想だっただけだ。


「由宇はもう、俺の事を気にしなくていいよ」


 そう言って隼は残りのアメリカンコーヒーを一気に飲み終えた。もう冷めていた。


 由宇は何も言ってこなかった。

 二人とも無言のせいで食べるスピードが緩まず、食べ終えてしまった。まだ一時間も時間を潰さないといけない。


「あの」


 由宇が痺れを切らした様に切り出した。


「隼さんはどうして音楽を始めたんですか?」


「君は?」


 質問に質問で返した。


「分かりません。物心ついた時にはピアノを弾いていました」


 やはり、そうなのだ。

 バンドを始めた人は、大抵音楽一家出身ではない。音楽のないところから生まれて、音楽に魅せられて自分からこちらに来る。

 だけど由宇は生まれた時からこちらにいた。基礎が違うのだろう。

 彼女が羨ましいか、隼は疑問に思った。確かに、音楽を始めたばかりの時の苦しみは軽減されただろう。でも最初からこちらにいれば、光月に食らいつこうとした人生最良の時間を失う。


「隼さんは?」


 今度は答えてくださいと言わんばかりに見つめられた。

 逃げようかとも思ったが、まあいいかと妥協してしまった。


「光月に誘われた」


 いきなり何もない所に月を見つけた様に、由宇は驚いた顔をした。この反応になると分かっていたから言いたくなかったのだ。


「何才から始めたんですか」


「……十五才」


 由宇からすれば、随分遅いスタートだろう。


「え? ということは、光月さんと同じ高校?」


 諦めて全て白状する事にした。


「幼稚園から一緒だよ」


「えっ!」


 由宇は大声を出しかけ、他の客に配慮してすぐ口を塞いだ。


「……この街で知り合った訳ではなかったんですか……どうして黙っていたんですか!」


 由宇は少し機嫌を損ねているみたいだが、隼は平然と、


「音楽と人間性が関係ないなら、教える必要ないだろ?」


 と言った。しかし、由宇は首をぶんぶん振った。


「ありますよ! だって互いに音楽性に影響を与え合っているかもしれないでしょう!」


「まあ、そうなのかな」


 光月がいなければ隼の今はない。影響を大きく受けている。大き過ぎる程だ。


「でも光月は俺の影響なんか、受けちゃいないよ」


「ということは、隼さんが光月さんの影響を受けている!」


「まあ」


「光月さんの音楽に憧れる私がいいと思った音は、光月さんの影響を受けた音だった!」


 あの時、光月の事を語った時と同様に由宇は熱くなり出した。いつもと違い早口だ。

 隼の音をいいと思ったと由宇がはっきり言っているのに、隼はそこに意識があまり向かず、違う事を考えていた。

 光月に悔しいかと言われた事が脳裏に鮮明に浮かんでいて、そっちに気を取られていた。


「やっぱり光月さんと一緒に演奏したいです!」


 もし光月がここにいたら勝ち誇り、笑うのだろうと隼は思い、視線が自然と落ちた。

 そのまま、由宇は光月への思いを語った。


「友達に音楽都市の事を教えてもらった時、私は初め、期待していませんでした」


 それはそれは楽しそうに話す。


「光月さんの音を聴いた途端、一人だけ違うと分かったんです! それからは、光月さんの映像を全て見ました」


 隼の口元に引き攣った笑みが現れた。

 全て見たなら俺も一度や二度は見たはずだ。


「光月以外は目に入らなかったか?」


「はい!」


 由宇は嬉々として再び語る。


 隼は、悔しいかと光月に何度も言われている気持ちになった。

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