第13話 お前なんか知らねえ

 隼は誰とも口を聞かず、一層の練習場に一人で一日中籠る。

 光月と再会してから、一週間ずっとだ。

 ふざけんなよ、ふざけんなよと、どうしてそう思うのか分からずに、言葉にできずにいた。


『隼くんは何をやっても形になるね』


 光月は悲しそうにそう言った。そうだ、悲しそうだったのだ。その時には気が付けなかった。


『別に、どうって事ないよ』


 褒められていると、思い込んでいた。だから照れくさくて光月の顔をきちんと見なかった。


 サッカー部の帰りに、先輩にどつかれていた光月の腕に絆創膏を貼った。


『隼くんは、強いな……』


 隼は決していじめの対象にならなかった。


『俺が光月を守るから』


 確かに、それが正しいのだと、思っていた。



「隼さん! 隼さん!」


 由宇が外側からドアを叩く。何度も何度も叩く。手が痛くならないのだろうか。


「一緒に練習しましょうよ! また中箱で成功しないと!」


「おい隼。出てこいよ」


「ベースなら俺でもいいだろ?」


 拓也と玲央も隼を呼ぶ。

 隼はドアを開けない。


「私はあなたに会いにきた」


 ドアの向こうから歌声が聞こえる。防音のドアを隔てているためくぐもって聞こえるが、それでも歌詞が聞き取れる。


 私はあなたに会いにきた。

 月は皆の物だけど、私は月の麓に来た。

 全ての毎日はあなたに会うためにあった。

 積み重ねた毎日が私をここまで運んできた。

 私はあなたに会いにきた。


 二人は同じ日々を積み重ねてきたのに、見ている物が違い、さらに思う事さえ違っていた。

 月は皆の物だ。俺の物ではないのだと、隼は泣きそうになる。

 俺は何を積み重ねてきたのだろうかと、隼は考える。


 ふと、思い出したのは学祭前に一日中軽音楽部室に篭って、ギターの弦を押さえ続けて、真っ赤になった指先だった。

 光月に食らいつくためには、まめがいくつできても足りなかった。皮膚が硬くなり、ギターの弦を押さえやすい指に育っていった。

 光月に食らいつこうとしてギターを弾いていた日々は、確かに隼が積み重ねた日々だった。


 光月が何かを見つけるという事は、隼の世界を広げる事だった。隼一人では絵も貯金箱も描いたり作ったりしようと思い付かない。

 だけど隼は絵も工作も続けなかった。ちょっと結果が出て、それで終わり。


 でもギターは続けた。何故だろう?

 あちらこちらに目を奪われていた光月が、最後に腰を据えたものだから?

 だけど光月はベースで、隼はギターだ。同じではない。

 ギターを弾き続けていた本人は誰だ。



 隼がドアを開けると、由宇は息継ぎのタイミングだったらしく、大きく口を開けていたが、隼を見てすぐ、にこりと笑った。三人は喜んで、すぐに中に入って来た。空虚だった空間が満ちていく。

 拓也と玲央のリズム隊が曲を走らせる。

 由宇の美しい音が細やかな部分まで、きらりと輝かせる。

 隼のギターがど真ん中を泳ぐ。


「なあ、次のライブは俺に歌わせてくれないか」


 三人は楽しそうに頷いた。



「はい、気をつけてねー」


 紙コップになみなみとコーラを注いで渡す、おっちゃんの声が聞こえた。

 本来、中箱は通過点だ。もちろん、中箱のまま終わってしまう人もいるのだが。

 それが今、こんなに賑わっている。


「暗黙の了解を三人に破らせたあの子」


「名前なんだっけ?」


「白鳥由宇」


「白鳥? まさか白鳥龍二の?」


「そうだ、そのまさかだ」


 今まで、隼についてやっかむ人が多かった。だがついに、由宇自身が皆の注目の的となった。


「ドキドキします!」


 由宇はそわそわして落ち着かない様子だ。


「大丈夫だって!」


「なんとかなる」


 拓也と玲央が励ます。

 隼は冷たい水を飲んだ後、静かにじっとしていた。


 隼達がステージに立つと、観客が拍手で出迎えた。

 一曲目はこの前も演奏した、作詞拓也、作曲隼編曲皆の『月に会いたい』。

 拓也が頼もしくドラムを打ち鳴らし、次に玲央が入る。玲央は前より乗っていて、軽くその場で跳ねた。


 隼は早く二曲目をやりたいが、はやる気持ちを抑えて丁寧に速弾きする。

 そして、この曲の主役のキーボードが入る。

 観客が歓声を上げた。

 キーボードは宇宙に転がる星を自在に弾くみたいだった。由宇の指が鍵盤を押さえつけては離しを繰り返すごとに、音が重なる。


『私は会いに来た!』


 由宇のシャウトでサビに入る。観客は拍手から、指を立てて腕を振る動きに切り替えた。



 毎日弾いて弾いて弾いて、全てはあなたの所に行くため。月は皆の物だけど、私はあなたに会いにきた。



 そうだ、毎日弾いていたんだと、隼はしなやかに左手で上に弦を引き上げ、チョーキングをしながら思った。

 壁の上で、シールドにも繋がなかったけど、弾いていたのだ。



 一曲目は大盛況のうちに終わった。


「ありがとうございまーす!」


 すっかりライブに慣れたようだ。由宇が観客に手を振る。


「メンバー紹介します! まずは私! キーボードの由宇です!」


 名乗り、簡単なフレーズを弾く。弾いたのはYMOの『Rydeen』。選曲センスの良さに観客が拍手した。


「オンザドラム! 拓也さん!」


 拓也がスティックを宙で回し、そしてドラムを叩いた。


「オンザベース! 玲央さん!」


 玲央が弾いたベースソロは、誰も聴いたことのないものだった。それは当然。


 いいネタバレだなと、隼はほくそ笑んだ。

「オンザギター! 隼さん!」


 隼が弾いたのもまた、皆にとっては未知のリフだった。もしかして、これは……と観客の期待が高まるのが伝わってきた。


 今度は隼が歌う。スタンドマイクの前に立った。司会も交代だ。


「それでは聞いてください。新曲です」


 大きな拍手に包まれる。


「タイトルは、『お前なんか知らねえ』」


 わっ、と観客が笑った。


 作詞作曲隼、編曲は隼と玲央。


 ベースのリフから始まる。玲央がピックで弦を弾く様は本当にいきいきしており、楽しそうなのが見ているだけで伝わってくる。

 体全体で刻む拓也のドラムが入り、ますます玲央は楽しそうだ。頭を振ってベースを鳴らす。

 由宇の音は一曲目と打って変わって、鋭い波形を重ねた強い音だで、真っ直ぐに力が伸びる様だ。

 由宇に隼の方からアイコンタクトした。彼女に力強く頷かれて、隼は気分が高揚する。

 そして、隼のギターがいきなり、スライドとチョーキングで雷鳴のように入る。

 指板で左手が、弦を弾く右手が、踊る。

 隼はありったけを込めて歌うため、息を大きく吸い込んだ。


『お前なんか知らねえ!』


 最前列の観客が、隼の圧に目を丸くした。


『お前なんか知らねえ。お前なんか知らねえ……』


 繰り返し歌う。熱い。全身に汗が噴き出てくる。


『お前なんか知らねえ』


 熱い空気を体内に取り入れて、声に変換して、叫ぶ。


『お前なんか知らねえ!』


 ひたすらに、繰り返えす。


 グイィィン、とギターが跳ね上がる音を出す。転調した。


 Fコードを押さえる。人差し指でぎちっと弦をまとめて押さえつける。後は中指、薬指、小指で押さえればいい。今では簡単にできるようになった。

 隼よりも光月の方が早くギターのFを押さえた時には、絶望しかけたものだった。思い出がたくさんある。


『お前なんか知らねえ!』


 小学生の頃、いじめっ子から、中学生の頃、先輩から守ってやった。守ってやったのだ。


『お前なんか知らねえ!』


 光月とギターを弾くのにどれ程の時間を捧げたと思っている?


『お前なんか知らねえ!』


 隼の鬼気迫る歌唱に、観客は手拍子を忘れ始めた。

 ギターで食べて生きたいって、一度は本気で思った。誰のせいだ!

 熱い、熱い。汗が頬を伝う。目に入った、染みる。


『お前なんか知らねえ!』


 このまま熱が上がって、いっそ火がつけばいいんだ。


『お前なんか知らねえ!』


 結局、最後までお前なんか知らねえと連呼しただけだった。

 最後にジャジャッと鳴らしたギターをすっとミュートして、曲が終わった。

 よく分からないが凄い物を聴いたと、観客が拍手を響かせた。


「これって作詞なの?」


 舞台裏で拓也に言われたのだった。


「素晴らしい曲でしたね」


 運営の女性は隼を見るなり、半笑いで言った。


「今回のライブを成功とみなします」


 運営の女性が由宇の手に黒いブレスレットを渡した。


「これで白鳥様は大箱でのライブ出演が可能です。ただし、大箱のライブには人数に限りがあります。事前に申し込み、許可が下りた場合のみ参加できます。なお、演者の人気により申し込んでからの順番は前後致します」


「そうなんですか……」


 運営の女性はにこやかな顔ではなくなった。


「ええ。何しろ大箱は中箱以上に各音楽会社様に注目されていますからね。こちらとしても、より見ていただきたい演者を選びたいのです」


 女性は頭を下げて去っていった。


 四人で、夜の二層を歩いている。


「俺達も三層のメンバーだけど、たまにしか呼ばれない」


「そう。だから二層でうろついてるってわけ」


 拓也と玲央が由宇に説明した。


「隼さんもそうだったんですか?」


「俺は……申請すらしていなかった」


 急に、恥ずべき事のように感じた。誰もがチャンスに必死に食らいつくため手を伸ばすというのに。


「申請して待っている間、どうすればいいんですか?」


「今みたいに中箱でひたすらやるしかない」


「中箱で活躍できれば、大箱に呼ばれる可能性が高くなる」


「では、やり続けるしかありませんね」


 由宇は真っ直ぐに吹き抜けの空を見上げた。

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