第13話 お前なんか知らねえ
隼は誰とも口を聞かず、一層の練習場に一人で一日中籠る。
光月と再会してから、一週間ずっとだ。
ふざけんなよ、ふざけんなよと、どうしてそう思うのか分からずに、言葉にできずにいた。
『隼くんは何をやっても形になるね』
光月は悲しそうにそう言った。そうだ、悲しそうだったのだ。その時には気が付けなかった。
『別に、どうって事ないよ』
褒められていると、思い込んでいた。だから照れくさくて光月の顔をきちんと見なかった。
サッカー部の帰りに、先輩にどつかれていた光月の腕に絆創膏を貼った。
『隼くんは、強いな……』
隼は決していじめの対象にならなかった。
『俺が光月を守るから』
確かに、それが正しいのだと、思っていた。
☆
「隼さん! 隼さん!」
由宇が外側からドアを叩く。何度も何度も叩く。手が痛くならないのだろうか。
「一緒に練習しましょうよ! また中箱で成功しないと!」
「おい隼。出てこいよ」
「ベースなら俺でもいいだろ?」
拓也と玲央も隼を呼ぶ。
隼はドアを開けない。
「私はあなたに会いにきた」
ドアの向こうから歌声が聞こえる。防音のドアを隔てているためくぐもって聞こえるが、それでも歌詞が聞き取れる。
私はあなたに会いにきた。
月は皆の物だけど、私は月の麓に来た。
全ての毎日はあなたに会うためにあった。
積み重ねた毎日が私をここまで運んできた。
私はあなたに会いにきた。
二人は同じ日々を積み重ねてきたのに、見ている物が違い、さらに思う事さえ違っていた。
月は皆の物だ。俺の物ではないのだと、隼は泣きそうになる。
俺は何を積み重ねてきたのだろうかと、隼は考える。
ふと、思い出したのは学祭前に一日中軽音楽部室に篭って、ギターの弦を押さえ続けて、真っ赤になった指先だった。
光月に食らいつくためには、まめがいくつできても足りなかった。皮膚が硬くなり、ギターの弦を押さえやすい指に育っていった。
光月に食らいつこうとしてギターを弾いていた日々は、確かに隼が積み重ねた日々だった。
光月が何かを見つけるという事は、隼の世界を広げる事だった。隼一人では絵も貯金箱も描いたり作ったりしようと思い付かない。
だけど隼は絵も工作も続けなかった。ちょっと結果が出て、それで終わり。
でもギターは続けた。何故だろう?
あちらこちらに目を奪われていた光月が、最後に腰を据えたものだから?
だけど光月はベースで、隼はギターだ。同じではない。
ギターを弾き続けていた本人は誰だ。
隼がドアを開けると、由宇は息継ぎのタイミングだったらしく、大きく口を開けていたが、隼を見てすぐ、にこりと笑った。三人は喜んで、すぐに中に入って来た。空虚だった空間が満ちていく。
拓也と玲央のリズム隊が曲を走らせる。
由宇の美しい音が細やかな部分まで、きらりと輝かせる。
隼のギターがど真ん中を泳ぐ。
「なあ、次のライブは俺に歌わせてくれないか」
三人は楽しそうに頷いた。
☆
「はい、気をつけてねー」
紙コップになみなみとコーラを注いで渡す、おっちゃんの声が聞こえた。
本来、中箱は通過点だ。もちろん、中箱のまま終わってしまう人もいるのだが。
それが今、こんなに賑わっている。
「暗黙の了解を三人に破らせたあの子」
「名前なんだっけ?」
「白鳥由宇」
「白鳥? まさか白鳥龍二の?」
「そうだ、そのまさかだ」
今まで、隼についてやっかむ人が多かった。だがついに、由宇自身が皆の注目の的となった。
「ドキドキします!」
由宇はそわそわして落ち着かない様子だ。
「大丈夫だって!」
「なんとかなる」
拓也と玲央が励ます。
隼は冷たい水を飲んだ後、静かにじっとしていた。
隼達がステージに立つと、観客が拍手で出迎えた。
一曲目はこの前も演奏した、作詞拓也、作曲隼編曲皆の『月に会いたい』。
拓也が頼もしくドラムを打ち鳴らし、次に玲央が入る。玲央は前より乗っていて、軽くその場で跳ねた。
隼は早く二曲目をやりたいが、はやる気持ちを抑えて丁寧に速弾きする。
そして、この曲の主役のキーボードが入る。
観客が歓声を上げた。
キーボードは宇宙に転がる星を自在に弾くみたいだった。由宇の指が鍵盤を押さえつけては離しを繰り返すごとに、音が重なる。
『私は会いに来た!』
由宇のシャウトでサビに入る。観客は拍手から、指を立てて腕を振る動きに切り替えた。
毎日弾いて弾いて弾いて、全てはあなたの所に行くため。月は皆の物だけど、私はあなたに会いにきた。
そうだ、毎日弾いていたんだと、隼はしなやかに左手で上に弦を引き上げ、チョーキングをしながら思った。
壁の上で、シールドにも繋がなかったけど、弾いていたのだ。
一曲目は大盛況のうちに終わった。
「ありがとうございまーす!」
すっかりライブに慣れたようだ。由宇が観客に手を振る。
「メンバー紹介します! まずは私! キーボードの由宇です!」
名乗り、簡単なフレーズを弾く。弾いたのはYMOの『Rydeen』。選曲センスの良さに観客が拍手した。
「オンザドラム! 拓也さん!」
拓也がスティックを宙で回し、そしてドラムを叩いた。
「オンザベース! 玲央さん!」
玲央が弾いたベースソロは、誰も聴いたことのないものだった。それは当然。
いいネタバレだなと、隼はほくそ笑んだ。
「オンザギター! 隼さん!」
隼が弾いたのもまた、皆にとっては未知のリフだった。もしかして、これは……と観客の期待が高まるのが伝わってきた。
今度は隼が歌う。スタンドマイクの前に立った。司会も交代だ。
「それでは聞いてください。新曲です」
大きな拍手に包まれる。
「タイトルは、『お前なんか知らねえ』」
わっ、と観客が笑った。
作詞作曲隼、編曲は隼と玲央。
ベースのリフから始まる。玲央がピックで弦を弾く様は本当にいきいきしており、楽しそうなのが見ているだけで伝わってくる。
体全体で刻む拓也のドラムが入り、ますます玲央は楽しそうだ。頭を振ってベースを鳴らす。
由宇の音は一曲目と打って変わって、鋭い波形を重ねた強い音だで、真っ直ぐに力が伸びる様だ。
由宇に隼の方からアイコンタクトした。彼女に力強く頷かれて、隼は気分が高揚する。
そして、隼のギターがいきなり、スライドとチョーキングで雷鳴のように入る。
指板で左手が、弦を弾く右手が、踊る。
隼はありったけを込めて歌うため、息を大きく吸い込んだ。
『お前なんか知らねえ!』
最前列の観客が、隼の圧に目を丸くした。
『お前なんか知らねえ。お前なんか知らねえ……』
繰り返し歌う。熱い。全身に汗が噴き出てくる。
『お前なんか知らねえ』
熱い空気を体内に取り入れて、声に変換して、叫ぶ。
『お前なんか知らねえ!』
ひたすらに、繰り返えす。
グイィィン、とギターが跳ね上がる音を出す。転調した。
Fコードを押さえる。人差し指でぎちっと弦をまとめて押さえつける。後は中指、薬指、小指で押さえればいい。今では簡単にできるようになった。
隼よりも光月の方が早くギターのFを押さえた時には、絶望しかけたものだった。思い出がたくさんある。
『お前なんか知らねえ!』
小学生の頃、いじめっ子から、中学生の頃、先輩から守ってやった。守ってやったのだ。
『お前なんか知らねえ!』
光月とギターを弾くのにどれ程の時間を捧げたと思っている?
『お前なんか知らねえ!』
隼の鬼気迫る歌唱に、観客は手拍子を忘れ始めた。
ギターで食べて生きたいって、一度は本気で思った。誰のせいだ!
熱い、熱い。汗が頬を伝う。目に入った、染みる。
『お前なんか知らねえ!』
このまま熱が上がって、いっそ火がつけばいいんだ。
『お前なんか知らねえ!』
結局、最後までお前なんか知らねえと連呼しただけだった。
最後にジャジャッと鳴らしたギターをすっとミュートして、曲が終わった。
よく分からないが凄い物を聴いたと、観客が拍手を響かせた。
「これって作詞なの?」
舞台裏で拓也に言われたのだった。
「素晴らしい曲でしたね」
運営の女性は隼を見るなり、半笑いで言った。
「今回のライブを成功とみなします」
運営の女性が由宇の手に黒いブレスレットを渡した。
「これで白鳥様は大箱でのライブ出演が可能です。ただし、大箱のライブには人数に限りがあります。事前に申し込み、許可が下りた場合のみ参加できます。なお、演者の人気により申し込んでからの順番は前後致します」
「そうなんですか……」
運営の女性はにこやかな顔ではなくなった。
「ええ。何しろ大箱は中箱以上に各音楽会社様に注目されていますからね。こちらとしても、より見ていただきたい演者を選びたいのです」
女性は頭を下げて去っていった。
四人で、夜の二層を歩いている。
「俺達も三層のメンバーだけど、たまにしか呼ばれない」
「そう。だから二層でうろついてるってわけ」
拓也と玲央が由宇に説明した。
「隼さんもそうだったんですか?」
「俺は……申請すらしていなかった」
急に、恥ずべき事のように感じた。誰もがチャンスに必死に食らいつくため手を伸ばすというのに。
「申請して待っている間、どうすればいいんですか?」
「今みたいに中箱でひたすらやるしかない」
「中箱で活躍できれば、大箱に呼ばれる可能性が高くなる」
「では、やり続けるしかありませんね」
由宇は真っ直ぐに吹き抜けの空を見上げた。
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