第12話 俺にとって、お前は

 光月が現れた。

 黒いジャケットに黒いズボン。両手に指が出るグローブを嵌めている。

 二重のつり目に、綺麗な顔立ちだ。肌は白い。

 隼と光月は身長が同じだ。ばちっとまっすぐ視線が合う。

 こうして視線を合わせるのは久しぶりだった。


 光月のライブを聞いていた時の顔と違い、光月本人を前にして隼の表情が緩くなった。

 光月は穏やかに目を細めた。

 隼は何を話せばいいか、分からなかったが、それを焦る事はなかった。

 幼馴染だ。話題をわざわざ用意する必要はない。


「なあ、光月」


 隼はにこりとした。


「光月に会いたいって子がいるんだ」


 隼は手招きする。由宇がおそるおそるといった足取りで隼の隣に来た。


「白鳥由宇です」


 か細い声だった。


 光月が首を少し傾げて由宇と視線を合わせた。そして優しい表情になる。


「小鳥遊光月です。俺に会いに来てくれたの?」


「はい!」


「そうか」


 隼は光月にファンができた事を、くすぐったい気持ちで見守る。


「あなたの演奏を聴いて、父がこの島を認めたんです!」


 由宇は興奮のあまり辿々しくなりつつも、いきさつを話した。


「なるほど」


 全てを聞いて、光月は綺麗に笑った。それこそ月のようだ。

 光月が嬉しそうなのを見て、隼も嬉しくなる。


「君をこの島に留めたのは、隼ではなく俺か」


 顔は笑顔だ。

 だけど隼の呼吸が一拍乱れた。まるで一つの弦だけ、僅かに音が狂っているみたいな、小さな違和感を覚えた。

 顔は笑顔だが。


「大箱に早くおいで。俺と一緒にやろう」


「はい!」


 由宇にとっては身に余る喜びだろう。その事をもっと喜んでやらなきゃ駄目なんじゃないかと、隼は自分を内心で叱った。だけど、小さな違和感に邪魔された。


「由宇ちゃん、ありがとう。俺達ちょっと話すからさ」


 由宇は光月に深々と頭を下げ、その後隼に笑いかけ、出て行った。由宇に笑顔を返せたのは、なんとか、といった感じだ。


 隼の呼吸は整ったが、こちらからは何も言えなかった。


「悔しいか?」


「は?」


 光月がにこっと、綺麗なつり目を細めた。まるで三日月だ。隼は反応しかできなかった。


「俺に負けたって事が悔しいんじゃないか?」


「は?」


 隼は同じ返事をした。それ以外に出てくる言葉も声もなかった。


「何をしても隼に勝てなくて。俺、こっそり落ち込んでたよ。気付かなかったでしょ」


 気が付けば、隼は声を出して少し笑っていた。口元は引き攣っていた。


 隼には訳が分からなかった。

 隼を取り残して、光月は表情を笑顔から、引き締めた物に変えた。


「俺、この街では誰にも負けないよ」


 ベースを奏でると同時に歌う時は、伸びが良く艶やかな声だが、今は凄みがある。


「隼にも負ける気はない」


 光月はじっと隼を見た。


「俺はずっとずっと、お前に勝ちたかった」

 あんなに綺麗なお月様が、俺なんかに勝てたと喜んでいたとは。隼は驚愕していた。

 幼い頃からずっと、ずっと、勝ちたいと思っていた? 何故、俺に?


「隼、お前をメンバーから外す事に俺が反対したと、本当に思っていたのか? 賛成したに決まっているだろ?」


「は?」


 隼の声は細くなっていた。


「隼より俺がこの街で上になったの、驚いてるし、嬉しいよ」


 光月が満面の笑みを浮かべた。


「大箱に来いよ。俺にかかってこいよ」


 光月の顔から笑みが消えた。


「いや。むしろ、何で今までこなかったんだよ!」


 光月の声には、押さえつけようとしても、あふれてしまったような響きがあった。


「お前は俺に勝ちたいとも思ってくれなかった!」


 言い捨てて、光月は背を向ける。

 その背中に、隼は何も言えなかった。



 隼は一層の地下への階段まで由宇を送った。光月に会えて興奮している由宇の話に、隼は生返事ばかりをした。幸い、浮かれすぎている由宇には気付かれなかった。



 ジャーン、とチューニングが終わっていないエレキギターが不揃いで醜い音を鳴らした。隼はたった一人の夜中の練習場で、適当にギターをアンプに繋いだ。エフェクター等もろくに設定せず、ただ掻き鳴らした。

 怒りが指先に力を与えて、ぎちぎちと弦を押さえた。

 バチン! と悲鳴をあげて六弦が弾けるようにブチ切れた。


「くそ!」


 隼は既にヒビが入っていたピックを壁にぶん投げた。ちょうど、というべきか壁に当たって割れた。


「馬鹿野郎!」


 歌声と違って加工も調整もされない叫んだ声は、ひび割れているようだった。


 放っておいたらいじめられるかもしれないと、ずっとずっと思ってきた。光月がやりたい事の全てに付き合ってきた。


 光月がベースと出会えて隼は嬉しかった。


 隼はギターをケースにしまった。替えの弦の入った袋が、ギターケースのポケットに入っているのを手触りで確認した。それならば問題ない。

 アパートに帰ろうかと思ったが、足が進まない。仕方なく、壁の階段を上った。すぐ近くのアパートに帰るのと、ギターを背負って無数の階段を上るのと。どちらが楽か頭で分かっていても、心身が理解を拒んだ。


 壁の上に立つと、海原が反射する光に朝焼けの色が含まれていた。日光がこれから強くなるという感覚が、隼の心の縁を穏やかにした。


 俺にとって、お前は競う相手じゃなかったんだ。

 隼の心はそんな言葉をぽつりとこぼした。

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