第11話「バンドって、いいですね」

 翌日。隼はペットボトルを一気に飲み干した。

 四人は一日中貸し切った練習スタジオで、延々と合わせていた。

 四人分の飲み干したペットボトルが床に散らばる。由宇だけは綺麗に並べて置いていたが。


 見かけに似合わずシャープに叩く拓也が頼もしい。

 玲央の事を、今まで全く気にしていなかったのが申し訳ない。そのくらい安定したベースだ。隼は光月のベースを楽しそうに弾くところが好きだが、玲央も負けず劣らず楽しそうだと初めて知った。


 由宇の指を強張らせる見えない糸は、いつの間にか解けていたみたいだ。

 スタジオに缶詰になって、直近の本番に向けて必死になる、この感じが隼の記憶を刺激して呼び覚ます。



 食らいついて食らいついて……今から振り返ると、俺の人生の中で一番楽しい時間だったのかもしれないと隼は思う。

 高校入学と共に軽音部に入った二人は、最後まで二人で残って練習していた。帰りの電車が同じだから当然一緒に帰るのだが、帰るタイミングはいつの間にか光月が決めるようになっていた。


『隼、もう無理するな』


『まだできるって』


『駄目だ。明日やればいいだろう』


 肌は相変わらず色白だが、身長は隼と同じくらいになった光月は、いつの間にか『隼くん』と呼ばなくなっていた。


 高校生にとっては運命の学祭の日。

 本番前、バンドメンバー全員で円陣を組んだ。


 『俺について来て!』


 あの光月くんが……と、隼は雷鳴を聞いたみたいにぞくっと痺れて、同時に開花のように嬉しくて、こっそり涙を手の甲で拭いた。



 玲央のベースで意識が今にフォーカスする。


 「隼、今のよかったぞ!」


 玲央が、他のベーシストの事を考えていた隼に、屈託なくにこりとした。

 隼は黙って頷き、大粒の汗をタオルで拭った。

 スタジオを八時間借りたが、残り十分だ。

 由宇の最後の音が止まるとすぐに、拓也が大きな拍手をした。


「できたな!」


 拓也の大きな声が、皆の気分をますます高揚させた。

 ついに、この四人での新曲ができたのだ。

 「さあ、残り五分。あと一回できるな」


 玲央の促しに、隼はピックを握り直した。



 その夜、四人は中箱にやってきた。

 前回の失敗から僅か二日後だ。


「しぶといね」


 コーラ売りのおじさんが笑う。

 隼は顔をしかめた。毎日ライブが行われるこの街で、このくらいのしぶとさは普通だ。それをわざわざ言うのには、含みがある。


「こないだとどう違うんだ?」


 にやにやと、二層のメンバーの連中が隼に声を投げかける。無視する。


「あれ? 拓也と玲央もこいつらを見に来たのか?」


「俺達も出るんだよ。ほら、赤い服着てんだろ?」


 拓也は赤い服がよく似合うが、ラーメン屋の店主感が出てしまっている。一方、玲央は全く似合わない。


 三層のメンバーである拓也と玲央の参加に、周りの様子が変わった。

 こいつらが手を貸すって、どういう事よと、初めて由宇に注目が集まった。

 由宇が不安そうな顔をしたので、隼は視線を遮るように由宇の横に立ってやる。隼の意図を十分に理解したようで、由宇は穏やかな微笑みを浮かべた。


「お前ら、どういう関係なの?」


 拓也が、決して由宇に聞こえないように、隼に耳打ちした。


「拓也と玲央と同じ。無理やり誘われたんだ」


「ミイラ取りがミイラになったって事ね」


 拓也がスティックを置いた。

 そして手を前に伸ばす。


「行くぞー! ファイッ」


「オー!」


 由宇は三人に見よう見まねでついて来た。初々しい。


「バンドって、いいですね」


 由宇が花のようにそっと笑顔になる。その素直さに隼達は何も言えなくなり、ただ頷いた。



 拓也がスティックでリズムを取り、腕を大きく振り上げてドラムを叩き出す。シンバルが揺れる。体を大きく使うが無駄のない動きだ。柔らかい手首のしなりがスティックを自由自在に操る。三十人の観客は、拓也なら当然だという顔をしている。


 直後に玲央のベースが入る。一音一音の大きさがピタリと揃っている。軽く動きながら弾く姿は楽しそうだ。玲央が入っても観客は拓也の時と同様に、こいつなら当然だという顔をしている。


 さあ、久しぶりの隼の音はどうだと、好奇心が伝わってくる。

 玲央と目線を合わせた。玲央のたれ目が嬉しそうに細められた。バンドをする喜びだ。隼の口角がぎゅっと上がった。

 隼はミュートが完璧の切れ味鋭い速弾きで応えた。雑音が一切ない、綺麗で歯切れがいい音だ。誰かが面白そうに口笛を吹く。


 由宇がこちらにアイコンタクトを送ってきて、隼は安心した。

 由宇のキーボードが隼の後に始まった。鍵盤が柔らかく沈み、また戻る様はキーボードが波打つみたいだった。よし、それでいいんだと隼は頷く。

 由宇の音がこの前とは違うと、観客の動揺が伝わってくる。


 そうだよ、この子はうまいんだよ。隼はほくそ笑む。

 由宇の音は光を薄皮で包み込んだみたいに、仄かに煌めいている。何十時間も音を作り続けてきた甲斐があるというものだ。


 観客の視線から面白がる様子が消えていく。

 歌が始まる。

 まずは由宇が歌う。


 『会いたい、会いたい』と歌う。誰の事かは聞くまでもない。

 隼もマイクの前に立った。『会いたい、会いたい』と歌う。


 練習時、拓也と玲央に隼も歌えと言われたのだ。


 『由宇が会いたいと歌うと純粋だけど、お前だと未練がましく聞こえるな!』


 拓也と玲央に笑われていた。歌えと言ったのはお前らだろうと、隼は呆れて目を細めた。


『毎日、毎日』


 隼は由宇の調子に合わせて下からハモる。由宇の伸びる高音を引き立たせ、立体的にする。


『弾いて弾いて弾いて』


 隼の手が弦を引き上げた。チョーキングで聴かせる。弦を揺らし、ビブラートをかける。サビに入る前の華のある部分だ。


 由宇のソロだ。


『私はあなたに会いに来た』


 ここで、玲央のベースが大きく動く。手首だけでなく肘下から動かすダイナミックな動きで、曲を下から支える。観客の手拍子もついてくる。

 拓也が頭を振り下げ、強くシンバルを叩いた。そしてスネアドラムを目にも止まらない速さで叩く。

 隼が低音から高音へ大胆に上がるギターで、歌に強烈な彩りを添える。


 最後に、全員で歌う。


『月は綺麗だから皆の物だけど、私は月の麓に来た』


 そうだよな、皆の物だよなと、ここを歌う度に隼は頬を叩かれている気持ちになる。


『私はあなたに会いに来た』


 最後の由宇の締めのソロに、観客は拳を掲げた。

 ちなみに、この歌詞は拓也の作詞である。肝心な由宇でも隼でもないのだ。



「今回のライブを成功とみなします」


 中箱の舞台裏の控室で、運営の女性に声をかけられた。

 彼女の持つタブレットに、大きく『滞在率九十五パーセント』とあった。


「やったあ!」


 汗を拭くのも忘れて、由宇が画面に見入る。そして拳をあげて飛び跳ねた。拓也と玲央が、これで一安心だと、どっかり椅子に座ってスポーツドリンクを飲み干している。


 隼は心に風が吹く気持ちだった。


「白鳥由宇様、お父様から連絡が入っております」


 由宇は緊張した様子で外部用の通信機を受け取った。


『見せてもらった』


 通信機の音量は大きく、隼にもその声が聞こえた。


『一昨日はがっかりしたが、今回は悪くない』


「それじゃあ……!」


『いや、もう少し考えさせてくれないか――』


 由宇の父が、そう言いかけた時だった。



 ステージから、爆音のような歓声が轟いた。


『なんだ?』


 由宇の父の方にも、通信機越しに歓声が届いているらしい。


 大箱ならともかく、中箱でこの歓声は妙だ。

 隼は誘われるように舞台裏からステージを覗いた。

 隼は驚愕して、声をあげそうになった。

 光月だ。


「皆、俺についてきて!」


 指を出す黒のグローブを付けた右拳を上げている。

 わああ……! と、観客は両手を上げて、前へ前へと引き寄せられていく。


 弾けるようなスラップベースがショーの開演を告げる。プロ顔負けの綺麗な低音が会場を底から沸かす。会場の熱が上がる。舞台裏にさえ熱が伝わる。


 隼の心の琴線が、ばちばちに弾かれる。

 綺麗だ。そして最高に格好いい。

 あんなに弱かった幼馴染が。

 琴線をピックで弾き鳴らしたくなる。

 俺は今、生きているのだと、光月の音で気が付く。

 俺もギターを鳴らしたい。

 光月と一緒がいい。

 いつか光月に合うものがあればいいと、幼い時からずっと思っていた。

 光月はベースと出会えた。

 だから、二人でずっと一緒にやりたい。

 そうだ、俺は今でもそう思っているのだと、光月のベースの音が教えてくれた。


「隼さん」


 由宇がこそっと声をかけてきた。別に、普通に喋っても光月のベースの音を掻き消すには至らない。それでも二人は、ベースの音を聴き続けたくて小さな声で話す。


「お父さんに光月さんの事を教えてあげてください!」


「え?」


 いきなり、通信機を手渡された。


『なんだ! 今のベースの音は!』


 父はクラシックの音楽家で、他の音楽を見下していると、由宇が言っていた。まさか、彼は光月を否定する気か? 知りもしないくせに。隼の通信機を握る力が強くなった。


『素晴らしい才能じゃないか!』


「え?」


『何故軽音楽を選んでしまったか。しかし、構わない。あのような人がいる島なのだな!』


 由宇の父の興奮度合いは、あの時光月の事を話した由宇によく似た調子だった。


 世界的ピアニストが、光月を認めた。

 通信機を持つ隼の手が震える。もう片方の手で震えを無理やり押さえつけた。


『由宇が島に滞在する事を許可した。で、君はあのベーシストの友達なんだって? 彼が何才から始めたか、教えてくれないか』


 急展開に頭は追いつかないが、


「高校生から」


 反射的に答える事ができた。


『なるほどな。興味深い。いや、すまなかった。昔から、いい音を聴くとこうなってしまうたちでね』


 その後、由宇に通信機を返した。


 由宇は父と少し話した後、通信機を運営の女性に返した。


「光月さんのおかげです!」


 隼は心臓がまだばくばくする。


「まさか、助けてくれた……いや、そんなわけないですよね」


 ただのファンの妄想ですと、由宇は笑う。


 狂喜乱舞のステージが終わった。


「では皆、大箱で会おう!」


 わーっと、観客達が拳を握った。


 光月が舞台裏に来る。隼は由宇を手招きした。


「え? もう会えるんですか?」


 由宇の声が高くなる。


「会いたいんだろう?」


 隼がさらに手招くと、由宇は魅惑的な物に誘われるみたいに、ふらふらとついてきた。


 光月が来るだろうドアの前で待つ。

 もう会える。

 会える。

 隼は強く思う。俺は光月に会いにきた。

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