第9話 この街に来た以上、バンドをするんだ
隼は由宇の表情がどんどん固くなるのを見たが、何をすればいいか、何をしてやれるか、分からなかった。
小箱と違い、コーラ売り場もある中箱は華やかだった。人の話し声で溢れている。
「隼、どうした?」
声をかけてきたのは金髪で体が大きい、ドラマーの
彼は疑問を持っている。何故暗黙の了解を破ったのかと、隼に説明を求めている顔だ。他の連中と違い、馬鹿にする意図はなく、純粋に知りたがっている様だと、真っ直ぐな表情から分かった。
「あの子は島に残れるかどうかの危機なんだよ」
「なんだそりゃ」
肩をすくめた拓也はいまいち信じていないようだった。
すると、隼と拓也の間に割って入った連中が、隼を笑った。
「可愛い子のために本気を出したのか?」
「それは関係ねえよ」
隼がはっきりと返事をしているにも関わらず、彼らは笑う。
「暗黙の了解を破るなんてさ」
「光月に捨てられて血迷ったか?」
「いい子そうなあの子なら裏切らなさそうだもんな」
隼は居心地の悪さを感じないでもなかったが、それはほんの僅かだ。
「じゃ、見てくれよな」
隼が背を向け、片手をひらりと振って彼らから遠ざかると、からかいがいの無さに連中は苦笑していた。
隼はいいライブをする事だけを考えられる。
しかし、参っているのは由宇の方だった。彼女の指は見えない糸に縛られているように強張っていた。
リハーサルで、ルーパーへの録音を四回もミスした。うまくいくかどうか、後はぶっつけ本番だ。
「俺の事は気にしなくていいぞ」
「え? 何かありましたか?」
隼の事を気にして調子を崩していたと思ったが、そうではなかったみたいだ。気にするどころか全く気付いていない。
由宇は相当テンパっているみたいだと、隼は心配になってきた。そっちの方が問題だ。
本番。前のバンドが大成功を収めた直後だ。熱気の余波が由宇を襲う。
隼を面白がる人も含め、観客が三十人ほどいる。頼むからこれ以上由宇を刺激するなよと、隼の心に波が立つ。
隼のギターソロで曲が始まる。この始まり方で幸いだったと、隼は内心胸を撫で下ろした。由宇から始まるのだったら、正直不安だった。
よし、由宇のコード弾きが無事に入った。別に、本来はどうって事ない場面なのに隼は安心した。観客は静かに見守っている。
肝心の、ルーパーを起動する時が来た。
ピ、ピ、ピという音に観客が面白そうに目をらんらんと輝かせた。
あの子にできんのか?
隼をたぶらかした子だぞ?
お手並み拝見。
観客の顔はそう言っている。
由宇がこちらを見なかった。隼は不安になる。
隼はギターを弾いてさえいなければ、胸の前で両手を組んで祈っていただろう。
さあ、シンバルの音がする。
ドラムの調子がずれた。
隼の両手はギターを操るが、心は荒れた。
一秒の半分の半分、さらに半分にも満たないずれだが、ここは音楽の街だ。誰もが気付く。
ずれたドラムが空間を満たしてしまう。
やはり由宇はこちらに視線を送って来ない。
こっちを見ろ! ……何もできないが……。
続いてのベースはうまくいった。
隼は崩れているドラムに合わせてギターを弾いてやりたかったが、ベースが正しいのでそれもできない。
弾くたびに人が減る。
空の会場に響いた由宇の最後の一音は、泣きそうな音だった。
シンセサイザーの前で崩れ落ちる様に床に座り込んだ由宇に、隼は何もしてやれなかった。
由宇がこちらを見なければ、隼から訴えかける事はできなかった。
「残念ながら」
運営の女性は感情を見せず淡々と言った。
「今の……配信されたんですか」
「ええ」
「そんな……」
由宇は、わっと泣き出して、しゃがみ込んでしまった。
隼はどうすればいいか分からず、うろたえる。
泣く由宇に全く構わず、運営の女性はまたしても淡々と言った。
「ですが、中箱ではこの程度の事はよくあります。音楽会社も中箱で失敗したからといって見切りを付けたりはしないでしょう」
「だけど父は見てしまった……」
運営の女性は、それでは失礼しますと去っていった。
「どうして……どうしてあんなミスを……」
確かに、由宇らしくなかった。プレッシャーが人をこうも追い込むとは。
由宇のプレッシャーをどうしたらいいだろうか。
俺にはどうにもできないと、隼は諦めた。
だけど、隼にできないのならできる奴にやらせればいい。
「ドラムはドラマーに任せるか?」
「え?」
隼はなりふり構わないと決めた。
「君はこの街に来た以上、バンドをするんだ。ルーパーだけがバンドじゃない」
由宇は赤い顔のまま、何かを考えている様だった。
「光月と一緒にバンドを組みたいなら、他の奴らとも組めるようじゃないと」
由宇がこくりと頷いた。その拍子に最後の涙が落ち切った。
「拓也!」
帰っていく観客の人ごみの中でも、金髪で体の大きい拓也を見つけるのは簡単だった。
「なんだよ、あの子は?」
「そうだ。あの子は間違えてる」
隼の真意を掴みかねたようで、拓也は足を止めた。チャンスだ。隼は拓也の正面に立った。
「拓也、また俺とやろうぜ」
拓也は肉付きのいい顔の中の瞳を大きく開いた。
「俺は三層でやりたいんだけど?」
黒いブレスレットを得て三層のメンバー入りをしても、申請が通らなければ大箱に出演できない。
申請が通るかどうかは運営からの評価次第だ。
「彼女と一緒にやれば評価されるかもしれないぞ?」
「あの子と? そりゃーないでしょ」
隼は首を振り、少し笑った。
「嘘だと思うなら、明日練習場に来いよ」
拓也は不思議そうな顔をするばかりだ。
「何で俺が暗黙の了解を破ったか、分かるよ!」
「お前が光月以外にそこまで熱心になるとは」
「なんだよ」
拓也がしみじみと驚いているのが、なんだか気に食わない隼だった。
翌日、結局拓也は一層の練習場に来た。斜めがけのバッグには、ドラムのスティックがおそらく入っている。どうせ叩かないと、手ぶらで来る事もできたのに持って来てくれたのだ。そんな拓也の人柄を隼は知っていた。
狭い練習場を拓也のふくよかな体が、まるで圧迫するみたいだ。
「由宇……ちゃんだっけ?」
「はい」
由宇に昨日の涙の名残はない。
「とりあえず、弾いてみてよ」
「はい!」
由宇がシンセサイザーを起動させた。そして鍵盤に指を沈ませる。弾力を感じさせる指使いが奏でる音は、重ねた音の波形を何度も調整した由宇のオリジナルだ。それを自由に弾き鳴らし、音があちこちに展開する。そして収束する。最後の一音が終わると、拓也は口笛を吹いた。
「仕方ねえ。組むか」
「ありがとうございます!」
由宇の心からのお礼を軽く片手をあげるだけで受け止めた拓也は、バッグから二本のスティックを取り出した。
どっかりと椅子に腰を下ろし、腕を振り下ろして、備え付けのドラムのシンバルを叩いた。反動でシンバルが小刻みに震えた。
由宇が目を見開く様子を見て、やはりそうだろうと隼は軽く頷いて、楽しそうに目を細めた。
そのまま拓也が縦横無尽にスティックを操りドラムを叩く。体全体がリズムを体現しているみたいだ。
由宇は思わずといった様子で大きな拍手をしている。
「まあ、ルーパーよりはいいっしょ」
だいぶ年下の少女からの素直な賛辞に、拓也は悪い気はしていない様だった。
「で? ベースは? まさかルーパーじゃねえだろうな?」
「それなんだけど……」
隼は、ついに切り出す。
「拓也、協力してくれないか?」
隼は拓也と共に二層のアパートの一室の前に来ていた。ピン、ポーンとチャイムを鳴らす。
『はい、
「俺だよ」
と、拓也が言うと、
『おう、上がってけよ』
と、玲央が即答した。
「ちなみに、隼もいるぞ」
『え?』
声だけでも、玲央が驚愕しているのが分かった。
よく片付いた玲央の部屋に、拓也は勝手知ったるように座る。隼はしばらくの間立っていたが、玲央が控えめな動作で座るように促してきた。
「何故、隼がここに来るんだ? お前は光月の所に行くんだろ?」
光月。その名を呼ぶ玲央の声に嫉妬が籠る。
玲央はベーシストだ。光月さえいなければ、一番だっただろうと、言われている。
肉付きのいい拓也の隣にいると、ますます玲央は細く見える。玲央は背が高く、癖っ毛の黒髪だ。
光月の所に行くために玲央の力を借りる。残酷で、申し訳なくすら思える。
「そういや、あの子のために暗黙の了解を破ったのはなんで?」
玲央の方から、チャンスを投げてくれた。
「一度聞いてみろよ。分かるよ」
玲央は戸惑った様子で拓也を見る。
拓也が大きく頷いて見せると、玲央は曇った表情ながら出かける支度を始めた。
由宇の音を聴いた玲央は、背中のケースからベースを取り出した。
玲央は肘下から手首まで柔らかく使う。曲を下から支える力強さと、柔軟さを合わせた音だった。
「まさか隼が光月以外のベースと組むとはな」
玲央は再び、隼を不思議そうな顔で見た。
突如語られた光月の名に、由宇は隼を見上げた。
「あの、隼さんは光月さんと組んだ事があったのですか?」
由宇の正直な質問に、隼は何と答えたらいいか迷った。拓也と玲央はびっくりして固まっている。
「なんで黙ってたんだ?」
「逆に、よく隠し通せていたな!」
二人の反応に、由宇はますます混乱したようで、隼を必死に見上げてくる。
「そんな事より練習だ!」
隼がそう言っても、由宇はそれでも見つめてくる。
隼は諦めた。
「そうだ。一層の頃から一緒だった。一緒に三層に行った」
「どうして今まで黙っていたんですか?」
「今は一緒にいないって事が全てだろ?」
隼のぼかした答えに、由宇は納得していないようだったが、
「まあ、ここで無駄話するのは時間の無駄だ。やろう」
拓也が促してくれた。
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