第7話「島から出たくないです……!」

 隼と由宇は楽譜を一層のカフェのテーブルいっぱいに広げて、作曲と格闘している。

 二層で暗黙の了解の件を誰かに言われるのが嫌だったのだ。

 由宇は耳コピができるが、楽譜を作って運営に提出する必要がある。

 隼のアメリカンコーヒーも、由宇のモカのカフェオレも、すっかり冷めてしまっていた。


「何時間居座る気だ?」


 マスターは苦笑いする。

 朝の八時にホットサンドを食べてから、午後一時まで二人はずっと鉛筆とノートにああでもないこうでもないと、音の地図を書いては消し書いては消し……を繰り返していた。


「昼飯は食べろよ」


 マスターが二人の邪魔をしないように、そっとテーブルの端に二枚の梅サンドを置いた。


 隼は困っていた。

 由宇の理想が高すぎる。初めての作曲なのだから、気を張り過ぎては永遠に完成しない。誰も中箱での一回目の作曲に期待などしない。いつでもデビューできるような実力は三層のメンバーになるまでに培えばよく、一層や二層のうちは荒削りでいいというのが、この街の風潮だ。

 彼女はすぐに初めから書き直してしまう。そのせいでイントロさえ完成せずに三時のティータイムになった。淹れてもらったばかりのアメリカンコーヒーを一口含みながら、隼は由宇の理想の高さに物を言うべきか迷っていた。


 俺にとってこの子は何か。隼は、それを考えると、お説教をするのは余計な事のように感じた。

 この街で、バンドメンバーは成り行きで決まる。くっついては離れる。

 三層のメンバーにもなれば、毎日のようにメンバーチェンジがある。隼もそうだった。

 光月だけは反対してくれたに違いないと、隼はそれだけを思って痛みをやり過ごしてきた。


 二層のスタジオを八時間借りた。二人で歩いているところを誰かに見られるのは嫌だったが、二層のスタジオの方が広いし音もいいので、仕方ない。それに、隼の憂鬱は由宇には関係ない事だ。


 さて、まずは何をしようかと隼が考え始めている中、由宇は相棒のシンセサイザーを前にしてメロディを弾かず、ひたすら音作りだけをしていた。

 まっすぐ伸びる音にしてみたり、ふわふわ曲がる音にしてみたり……。ツマミを回しては戻す。また回す。

 そればっかりしていたら、らちがあかないぞと思ったが、由宇があまりに必死な顔なので隼は言葉を引っ込めた。


「光月さんにいつ聴かれてもいいようにしておきたくて」


 由宇が少し疲れた顔で呟いた。

 光月に会いたいと、由宇の想いが強く伝わってくる。

 光月の才能を純粋に愛する彼女こそが、光月と会うのに相応しいのかもしれない。いや、きっとそうだ。


 防音のドアが外から開かれた。


「まだ八時間は経ってないはずですが?」


 驚いて動揺している由宇と違い、隼は落ち着いて言った。

 隼は初め、時間を間違えてドアを開けた二層か三層のメンバーだと思った。

 しかし、入ってきたのはスーツ姿の女性――運営だった。


「何かあったんですか?」


 隼は鋭く目を細めた。


「白鳥由宇様、今すぐ第一港に来てください」


 隼は由宇の緊張した顔を見た。


 由宇は運営の女性の後をついていく。


「では、俺はこれで」


「待ってください!」


 隼のダウンコートの生地を、由宇は無理やり掴んだ。


「私が一体何をしたんですか!」

 犯罪行為等、重大な規約違反の場合、三年を待たず島から追放される。


「さあ。あ、無理やり人にギターを弾かせたとか?」


「もう!」


 由宇は顔をしかめて不機嫌をあらわにした。


 仕方なく、隼は由宇についていき、一層の階段から数メートル行った所にあるコンクリートの大扉の前まで来た。普段は運営しか開けない扉だ。


 女性が首から下げている金属製のプレートを、扉横のパネルにタッチする。コンクリートが横にスライドして、眩しい冬の日光が一気に差し込んできた。目が眩み、瞬きする。外の風が吹き込んできて、一気に気温が下がる。綺麗な空気だ。


「これより先は白鳥様だけで向かってください」


 由宇が隼を振り返る。不安であふれている。

 だけど隼は手を軽く上げるだけだ。俺達は特別な関係ではないよと、だから俺に励ます事はできないよと、語るように。


 由宇の背を遠くから見送る。


「おとなしくここで待っていてくださるとは」


 運営の女性は、どうやら隼が由宇についていきたがると思っていたみたいだ。


「そこまでするような関係ではありません」


「そうですか? 貴方が再びギターを手に取るとはと、私共は驚いていたのですよ」


「そうですか」


「私は貴方のギター、好きですからね」


 女性は声を抑えつつも笑った。

運営の人間とこんなに言葉を交わすのは初めてだった。彼ら彼女らも普通の人なのだと分かったのは新鮮な驚きだった。



 それからすぐの事だった。

 由宇は涙を流して戻ってきた。静かな嗚咽はコンクリートの扉を閉める音に一度は掻き消された。だが扉が閉まっても由宇はまだ泣いている。


「どうした?」


 さすがに、無視はできなかった。


「父でした。今すぐにでも島を出ろと」


 三年間島から出られない事は常識だ。

 それでも隼は、由宇の泣き顔に不安を感じた。


「島から出たくないです……!」


 涙のせいで鼻声だが、由宇は強く言い切った。

 隼は心に波紋が広がるように、落ち着かなくなっていった。


「中箱のライブは配信されますよ」


 落ち着き払った声で、運営の女性が切り出した。


「まずはお父様に見ていただいては? 私共もお父様にそのようにお話しさせていただきます」


 そして女性は再び扉を開けて、港へ行った。

 運営までこの子の味方をするなら――仕事とはいえ――、俺が味方するのはおかしい事ではない……と、隼は少しずつ平常心に戻っていった。

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