第6話 光月と会ってしまう前に
隼は目を覚ますと、昨晩の熱いライブを思い出した。街の人口の半数である五十人を前にした大箱の経験もあるのに、あんなに小さな会場で、たった十人を相手に、汗をかいて、心臓の中に爆音が染み込むみたいだった。
ギターを背負い、外に出ると寒い。階段を上ろうかと思っていたら。
「隼さーん!」
見つかってしまった。
そのまま連行され、カフェに来た。由宇はまた梅サンドを頼んでいる。よほど気に入ったらしい。隼はサーモンサンドとアメリカンコーヒーを頼んだ。
「光月さんと組みたくてこの街に来たんです」
梅サンドを食べ終えた由宇が、爆弾の続きを話した。
「動画配信で光月さんを見た時、これが才能なんだって、才能が男の人の姿をしているんだって、そう思って」
いつもと違い熱烈な口調だ。
「私の父はクラシックのピアニストとして、他の音楽を見下しています。私はそれでも、光月さんという才能と会いたかった。四月から音大に進ませられるから、その前に先手を打ってここに来たんです」
「だから、一月という中途半端な時期にここに」
「はい。誕生日が十二月なので」
十八才以上は親の承諾無しに入島できる。
「高校は?」
「もともと通信です。ピアノの練習の邪魔にならないように」
そこまでするとは、普通の家庭ではないのだろう。
「クラシックピアニストって、俺も知ってる?」
「白鳥龍二です」
知っている。世界的な音楽家だ。海外にもよく呼ばれており、天才と称されている。
バンドをする者は大抵、自分がやりたくて始める。
それに対して音楽一家で、三才からピアノをしてきた由宇は、生まれつき音楽と共にあったのだろう。
光月がそんな少女に影響を与えた。
あいつが。
隼の心のさざ波は消えず、どんどん強くなり、うねっていく。
「そんなにかっこいい人じゃないかもよ?」
別に、悪気があったわけではない。だが気が付けばこぼれ出た自分の言葉の格好悪さに、自分でドン引きする。
「音楽と人間性は関係ありませんよ」
まるで全く波紋が立っていないみたいに、由宇はさらりとしていた。
そうだよな、関係ないよなと、隼は反省した。心の鈍い痛みを誤魔化すように、マスターにアメリカンコーヒーのお代わりを頼んだ。
「で、問題は作曲ですよね」
中箱でライブをするには、一人最低一曲、オリジナル楽曲を作らなければならない。
「その通り」
「曲なんて作ったことないですー!」
「意外だな。三才から弾いてるのに」
由宇にじーっと見つめられる。隼は肩をすくめた。
いつ、この子から逃げるタイミングが来るだろうかと、隼は目を逸らした。
由宇は二層のメンバーになったので、二層のレッスンを受けられる事になった。一層のレッスン場では、限られたレッスンしか受けられないのだ。
二層は一層と同様で、コンクリートの地面と、コンクリートの天井の間の空間だ。南の吹き抜け部分以外空が見えないのも一層と一緒だ。
一層からの螺旋階段を百段ほど上った所の踊り場を一歩踏み出ると、二層の空気を感じるのは、気のせいだ。コンクリートの空間の空気に決まっている。決まっているのに、そう感じる。
踊り場から出てすぐに、壁に沿い、二層の天井までくっついている建物がある。ここが音楽理論レッスン場だ。
「隼さんも行きましょうよ!」
「俺はいいよ」
隼はだいぶ前に二層のレッスンを全て終了している。作曲をできる様になったのはこの街のおかげだ。
由宇はレッスン場の受け付けに緑のブレスレットを嬉しそうに見せ、意気揚々と中に入っていった。
暇な隼は二層を適当に歩く。以前住んでいた二層のアパートに、他の人が入っていると分かった。
由宇を待つ間、隼は二層のカフェに行こうかと考えて、ためらった。前はしょっちゅう行っていたが、しばらく行っていない。
ぼんやりと立ち尽くし、このまま由宇を待とうかとも思ったが、レッスンの終了まであと三時間もある。このまま立ち続けるのもどうかと思う。馬鹿馬鹿しい。何故あの子のために、三時間も立ちっぱなしにならなければいけない。隼は二層のカフェにふらりと歩き始めた。
二層のカフェは、一層のカフェとは雰囲気が違う。赤や白の造花がたくさん飾られている。ドアのチャイムと同時に、五人の客とマスターがぐるりと隼を振り返った。彼らの表情を見た途端、やっぱり来なきゃよかったと思った。
「何しに来たんだよ」
非難ではないが、面白がる口調で、痛い事を言われた。
「マスター、アメリカンを頼みます」
「はいよ」
ドアに近い一人席にどっかりと腰を下ろす。
そして隼は面白がった奴をじろっと見返した。
「コーヒーを飲みに来たんだよ」
「へえ?」
隼のこのごまかしに効果があるわけがない。
「お前、暗黙の了解を破ったんだって?」
「まあね」
「女の子だろ? 惚れたか?」
「まさか」
笑われる。それでも隼はアメリカンコーヒーをちびちび飲んで、空気を気にしないふりをする。
カフェに来たからには、光月の話でも聞けないかと、期待している部分はある。こっちから聞くのは嫌だが、向こうから話してくれないかと、勝手に意識が向いていた。
「そういえば、光月がさ」
来た! と、内心では一気に気持ちがさざめき立ったが、表情には出さないようにした。彼の顔をじっくり見ず、アメリカンコーヒーを飲む合間に見るようにする。
「大賞に選ばれるんじゃないかと言われてる」
「ふーん」
思わず相槌を打ってしまったのは、ここまで来たのに得たのがとっくに知っている情報である事に、落胆したからだ。決して光月の大賞の話に驚いたわけではないし、むしろ光月が選ばれて当然だと思っている。
相手も、隼が知らないとは思っていなかったようで、にやにやしている。わざと言ったのだ。
「今夜三層でライブをするってさ。お前も来るか?」
どうせ来ないだろとたかを括る彼の表情は、
「行こうかな」
隼の返事で一変した。
「まじかよ。だってお前……」
「ライブを遠巻きに見るくらいならいいだろ」
そう。遠巻きに。
三時間をアメリカンコーヒーだけでやり過ごすのは流石にきつく、モンブランも頼んだ。一層のカフェと違い、食事より甘味を得意とする店なのだ。
待ち合わせ場所に来た由宇は、興奮冷めやらぬ、といった感じだった。
「ちょうどよく、作曲理論のレッスンがあって!」
レッスン内容を賞賛する由宇に頷きつつ、隼は光月のライブの事を彼女に言うか、考えていた。
三層のライブは三層のメンバー――中箱で二回以上成功した人――しか行けないという暗黙の了解がある。必然的に隼一人で行く事になる。あくまで暗黙の了解ですと由宇なら言いそうだが。
別に、言えばいいだけの事だと分かっている。
光月との関係を由宇に知られたくないのは、恥ずかしいからなのだろうか、なんなのだろうかと、隼には分からなかった。
一層に戻り、由宇が女性用アパートのある地下への階段を下りていくのを見送った。
地下は女性用のアパートと浴場があるので、災害時の避難以外で男性が入る事はできない。
災害時は地下三階に全員で避難するのだ。地下三階は研究施設として作られていた時の名残で、どんな災害時にも浸水しない巨大な空間だ。何しろ放射性物質の保管庫にされるはずだったのだから。ちなみに、地下二階は街のライフラインの設備や物資の保管庫、及び運営の事務所となっている。
隼は三層へと階段を再び上る。
壁の内側に沿った螺旋階段を上っていく。二層の踊り場で休憩する事もできるが、隼はそのまま三層へ上がっていく。もともと、この螺旋階段を上り切り、壁の上に立ち海を眺めていたのだ。由宇と会ってからさぼっているが、それを毎日やっていた隼は街で一番体力があるだろう。
隼のように日に何度も広大な螺旋階段を上り切る人は稀で、大抵は三層のメンバーになると、二層のアパートに住んで、一層には下りて来なくなる。ちなみに、女性の三層のメンバーは地下から通うのが大変だという理由で、エレベーターを使える。
三層に到着した。三層のライブは晴天の場合は常に屋外ライブだ。既に今夜のライブは始まっており、開けた夜空の下で観客が手を上げて盛り上がっている。夜空が開けているのも三層の特徴である。一層と二層では南の吹き抜け部分しか空を見る事ができない。放射性廃棄物質の研究所の跡地なので、閉ざされたつくりだ。
音楽で食べる事を目指す人だけの街だ。観客に回っていても抜群のリズム感で、手の動きがぴったり揃っている。
曲が終わり、拍手が夜空に響く。
そして、次のバンドに交代した。
「皆、俺の事見てる?」
マイクを通したその声に、隼はみぞおちの中に何かを入れられた気がした。軽く息をのみさえする。幼い頃から聞いていた声だけど、今は遠くから聴く声だ。
「光月です。行くよ!」
早速熱狂する客の背中で目の前が埋め尽くされている。光月だというだけで、これから素晴らしい物が始まるという共通認識があるのだ。
光月の姿は見えなくても、音だけで、隼の体内に熱が入って鼓動が速くなる。ベースの音だけに体中の意識を集めた。
弾力たっぷりのベースのリフから始まるという珍しい曲だが、光月にこの上なく似合っている。そして、ギターとドラムが入ると本来の頼もしいリズム隊としての役割になった。それでも、隙あれば譜面を動き回るようなメロディを弾く。
間奏で、光月がベースを速弾きする。速くなるほど歓声の大きさと手拍手の速さが増す。観客をベース一本でここまで盛り上げる技に、惚れ惚れしてしまう。
涙が出てくる。だけどすぐに手の甲で乱暴に拭った。
光月が何故、あらゆるコンクールで駄目だったのか。今の隼ならはっきりと言語化できる。
それは、自分の描きたい事、自分が言いたい事、自分が表現したい事だけを形にしていたからだ。審査員の事をまるで考えちゃいなかった。隼は違った。過去三年の金賞を見て、なんとなくそれに合わせて作った。その結果、金賞は一度も無いが、銀賞なら取った事がある。
だけど、光月は特に落ち込みはしていないように、隼の目に映っていた。
やりたい事をして、駄目でも、落ち込まず、すぐ次を見つける。得な性格だよなと思っていた。
それは高校入学直前のことだった。
『隼くん、俺さ、やりたい事があるんだ』
久しぶりだなと、隼は思った。
中学に入り、田舎のため選択肢が無く、二人はサッカー部にいた。背番号を得た隼と違い、常に応援だった光月は、持っているエネルギーをサッカーに吸い取られて、やりたい事があると言わなくなっていた。
『ギターをやらない?』
『え?』
光月がにこりとした。綺麗なつり目を細めた笑みは、幼い頃と違うように思えた。
『ちなみに、俺はベースね』
初めてギターを手にした感想は、『思っていたより重い』というものだった。
弦は硬く、押さえると指が痛い。六弦もあり、一つの弦だけを弾くのが難しい。コードチェンジも辛い。Fが無理……。
ギター初心者の壁と出会う度に、毎回全身で粉々になりそうなくらいにぶつかった。いちいち苦しむ隼の隣で、光月は穏やかな顔でベースの困難を楽そうに乗り越えていた。
『なんでそんなにできるの?』
『ベースの方が簡単だからね』
『ずるいなあ』
光月は笑った。
いじめられっ子だったと思えない、綺麗な笑みだった。
それから三年。
学園祭の軽音部で、隼と光月のバンドは立派に大トリを務めた。大盛況の中、光月は笑顔で観客に手を振った。
光月の手にかかれば、三十分などあっという間だった。
自分の世界に閉じこもっていた男の子は、自分の世界を持つ男に進化した。
隼の頬は紅潮していて、鼓動も未だに速い。光月の弾いたベースのラインが胸に焼き付く。
だけどすぐに帰らなければ。光月と会ってしまう前に。
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