第4話 小箱でライブ
隼は最低限の飾り付け――出演メンバーの名前を書くボードだけ――の小箱のステージの舞台裏で、盛大にため息をついた。
舞台裏は大箱では飲み物や軽食が出されるが、小箱ではミネラルウォーター一本だけしか貰えない。テーブルも、学校の机みたいな小さな物しかない。
服は赤いティーシャツを着ている。ライブをやるなら衣装をできるだけ統一する。由宇からの熱いリクエストで、赤い色を着てほしいと言われたのだ。
「なんですか! やる気出してくださいよ」
結局、またライブに立ってしまった……。隼は項垂れた。
一段高くなったステージに、必要最低限の照明がある。小箱とはいえ、練習場とは段違いの大きさのスピーカーだ。リハーサルで音を鳴らすと、会場を埋めるような爆音が鳴り、正直に言えばいい気分になった。それも腹が立つ事だ。
由宇の衣装はかなり本格的だった。
赤のチャイナ風のベストに、黒いフリルのフィッシュテールのスカート。和洋折衷ならぬ、華洋折衷だ。いい布を使っているが、手作りのような雰囲気もある。髪は後ろでハスの花の形の飾りで団子にして一まとめにしている。
「一体なぜチャイナ?」
「YMOが好きなんです」
ほう、若いのに(三才しか違わない)いい趣味だねと頷いたが、それでも何故チャイナか分からない。
「ほら、YMOは赤い中華風の衣装を着ていた時があったでしょう」
「今度よく見ておくよ」
由宇が可愛らしくにこりとした。衣装も相まって、魅力的な少女に見えた。隼は焦って目を逸らした。二十一才の隼には、十八才の由宇がそのような対象になるのか、どうか。
小箱ということで少ないが、観客がいる。
「少ないですね?」
由宇が不安そうにした。どうやら、観客数で成功かどうかを判断されると、勘違いをしているようだ。
「人数ではなく、滞在時間で判断されるよ」
ほら、と隼は自らの左腕に付けた黒のブレスレットを指した。由宇も色だけ違って一層メンバーの証であるオレンジだが、機能は同じ物を身に付けている。入島と同時に渡され、以後身に付ける事を義務付けられるのだ。
この街では、演奏者は出番が終わるとそのまま他のバンドの観客になる。このブレスレットを付けていれば、どのステージにいたか運営に分かる。
「観客数も考慮はされる。でも、例え一人でも滞在時間が長ければ評価される」
由宇の顔がぱっと明るくなった。
観客は三人だけだ。大抵は中箱に行っている。
もうすぐ開演だ。舞台の裏でチューニングの確認をするのは久しぶりの感覚で、隼の首筋に汗が伝った。
光月を思い出さないのは無理だった。
マイクがハウリングせず、無事に由宇の声が会場に行き渡る。
「由宇です。ここに来てまだ一週間だけど、ピアノは三才から弾いています! よろしくお願いします!」
観客三人がぱちぱちと拍手した。
三才から弾いていたと聞いて、隼は納得した。
隼にマイクが渡された。
「隼です。……」
全員の視線が集まる。言いたい事などなにもない。
「……隼です」
何故か、三人にウケた。もういいや、演奏を聞いて自己紹介の事は忘れてくれと思った。
実は、演奏で忘れさせる自信がある。
悔しいが、それは由宇の力が加わってこそだ。
由宇が一通りメロディを奏でる。観客の由宇への眼差しが変わる。どおりでここに入島したわけだ、と。その気持ちは隼にもよく分かる。
☆
二日前。
隼が練習場に着いたら由宇が先にいて、自由に弾いていた。ピアノの音ではなく、シンセサイザーらしい作った音だった。
綺麗な音だねとは言わなかったが、隼はしばらくギターケースを下ろさずに彼女の演奏に聴き入った。
『早く隼さんも弾いてください』
そう言われて、ようやくギターケースを背負いっぱなしで三十分も経っていたと気が付いた。
『この街はオリジナル曲でやるんだ』
隼は鞄から楽譜を出した。中箱を目指し、初めて隼と光月で作った曲だった。タイトルは『ウェーブ』。アップテンポで、繰り返すリフが軽快な曲で、簡単な曲でもある。
『素敵です!』
そう言い、楽譜をさらりと一見しただけで、由宇は全て弾いてしまった。隼なら新譜は少し練習しないとできない。刻まれた音の記録を瞬時に起こして再生させられるとは信じられない。
演奏が上手い人はいくらでも見てきたが、ここまでの人は見た事がなかった。
『リズム隊はルーパーなので、アレンジしなければなりませんね』
『ああ、そうだね』
しっかりしなければと、気を取り直した隼は、さっそく変更の案を弾いた。
すると、隼のギターを一度聴いた由宇が、すぐにギターの音にしたシンセサイザーで弾いた。
『耳コピもできるんだな』
楽譜等を一切見ずに音を聴いただけで弾ける。耳コピができる人はたくさんいるが、この精度の人はちょっといない。
『絶対音感があるのか?』
『はい。ですからこのくらいなら楽譜を書く手間はありませんよ!』
由宇はあくまで、便利な事だと言いたげだが、実際は凄い事だ。
だけど、君は凄いねと隼は言わなかった。
☆
今、ライブが盛り上がる中、由宇が演奏の手を止めた。
隼にアイコンタクトを送ってきた。大丈夫だと頷き返すと、由宇は楽しそうな顔をした。隼はコードを変えた。そして由宇が観客に手拍子を煽る。
ルーパーを起動させる。ピ、ピ、ピと音がすると、これから一発勝負の録音をするのだと分かった観客が拍手した。ルーパーにあらかじめ記録させてライブに臨むのではなく、ライブ内で生でルーパーに記録させるのは、一発の本番を見せるパフォーマンスでもある。
隼はギターをシンプルなコード弾きにして、由宇を引き立てる。今は由宇がこの会場の主役なのだ。
シンセサイザーのキーボードと指が触れ合うと、弾ける様なシンバルの音がする。次は体に響くような――本当は偽物なのに――バスドラムの音だ。手は柔らかいタッチだが、彼女は膝を軽く屈伸して、体全体でリズムに乗る。
八小節のドラムを弾き終え、キーボードから指を離すと、由宇が奏でたドラムが繰り返し流れる。隼は由宇の技に正直驚いてしまう。
何度繰り返し流れても聴くに耐える、寸分違わない演奏だった。
由宇がベースを八小節ずつルーパーに記録させた。小さな体で、会場の視線を一身に受ける。隼さえ、コードを弾きながらも由宇をまじまじと見てしまう。
ベースの録音も大成功だ。観客の拍手の力が増した。後はルーパーがエンドレスのリズム隊となる。
由宇のキーボードからメロディが始まる。白くしっかりした指がキーボードを沈ませる。由宇の音はきらきらしているが、儚いわけではない。波の引き際をイメージさせる。
すぐに隼のリフが入る。隼の音は太く、流れを感じさせる。海中の海流のようにうねり、場の空気を巻き込んでいく。
正直に言えば、由宇のおかげで物凄く弾きやすい……。
由宇が歌い出した。この街ではどの楽器をやる人も歌えるように訓練されるが、新入りの割に由宇は上手だった。
話す時の声は可愛らしいが、歌うと張りがある。
曲が加速する。観客の手拍手が力強くなる。
一度目のサビに入る。隼は由宇のサビにギターでハモる。由宇の調子に合わせ、歌とギターが分かちがたくなるようにする。
熱い。汗が背を伝う感覚が不快ではない。指がギターと深く接するのを待ち侘びていたみたいだった。
由宇の頬に汗が落ちる。頬が紅潮している。
たった数人の観客だが、彼らは前のめりになっている。
アンプと繋がず、壁の上で弾いていた日々は、今思えば、ギターを愛する事を怠っていた。
アンプと繋がれて本来の力を取り戻した隼のギターが、うねる音で小箱を圧倒する。
気が付けば観客が十人に増えていた。
「ご苦労様です」
運営のスーツを着たポニーテールで眼鏡の三十代くらいの女性が、緑のブレスレットを由宇に渡した。
中箱に参加できる許可の証だ。運営が発した呼称ではないが、『二層のメンバー入り』と、街の人達は呼んでいる。
「あなたはもう、持っていますものね」
隼は、この人に何かを思われただろうかと疑問に思ったが、考えるのはやめておいた。
「よーし! 次は中箱です! いきましょう!」
「……いや、俺はいいよ。中箱で君を迎え入れるバンドはあるだろうし」
時期外れの入島のため、一層に由宇以外の人がいないから、隼に協力を頼むしかなかったのだ。二層にはたくさんの人がいる。ギタリストもベーシストもドラマーも、選べるくらいだ。
「でも、私は隼さんのギターがいいです!」
参ったなと、隼が困っていると、由宇が、
「隼さんの音が好きです!」
と、隼の胸にストレートな言葉を与えた。
隼は言葉を失った。
「シンセサイザーではなく、あなたのギターがいいと思ったんです」
光月達のバンドを外された自分が、必要とされている……。
「すぐに大箱に行きたいんです」
「どうして?」
「光月さんと一緒に演奏したいからです!」
由宇は隼の心に爆弾を投下した。
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