第3話「私の音を聴いてもらえませんか」

 中箱での成功実績が二回ないと、大箱で活躍する人達とバンドを組めない。そうしないと、実績がないのに実力者と組みたがる人が現れるためだ。

 最も、これは運営が決めた物ではなく、街に住む者達の暗黙の了解だ。


 今朝もギターを背負って階段を上り、弾き語りをして帰ってきた。家に帰るより早くマスターのアメリカンコーヒーが欲しくて、ギターを背負ったままカフェに来た。


 由宇がいた。

 隼は何事も思っていない顔を取り繕って、出入り口横のギター・ベース置き場にギターケースを立てかけた。残念ながら自分と由宇の他に客はいない。

 赤のマグカップに出されたアメリカンコーヒーしか味方がいない。


「私とバンドを組んでください!」


「俺の音を聴いていないのに?」


 アンプに繋がないギターの音は、ただ弦を弾く音だ。由宇はそれしか聴いていないはずだ。


「あれだけでも実力は分かりますよ!」


「悪いけど、俺は三層のメンバーだ」


 怯ませたかったのに、逆効果といわんばかりに由宇が身を乗り出してきた。


「でも、暗黙の了解なんですよね?」


 由宇が梅サンドを片手に隼を見上げる。


「……そうだけど」


 隼は由宇に攻められて、のらりくらりしているうちに、アメリカンコーヒーを飲み終えてしまった。


「私の音を聴いてもらえませんか」


「マスター、アメリカン」


「組んでやってもいいだろう」


 マスターまで攻めて来た。


「マスターが組んであげればいいじゃないですか」


「馬鹿。規則があるんだ。できるならそうしてるさ」


 できるならそうしてるとは、マスターは随分由宇に肩入れをしているなと隼は思った。


「お願いします、隼さん」


 でも、肩入れというより、彼女の執念深さがそうさせるのかもしれない。


 隼は無言でアメリカンコーヒーが出て来るのを待つ。由宇が何を言ってもガン無視で待つ。しかしいつまで待ってもアメリカンコーヒーが来ない。


「あの、マスター?」


「組むかどうかはこの子の音を聞いてから決めろよな。それまで、コーヒーは一切出さないぞ」


 まさかのマスターの言葉にショックを受け、隼はしばらく呆然と座っていたが、渋々立ち上がった。朝のコーヒーがないのは辛い。


「音を聞くだけだよ」


 由宇の笑顔が輝いた。


 隼はギター・ベース置き場から自分のギターケースを持ち上げて背負う。肩にかかる慣れた重みだけが味方だった。

 二人で一緒にカフェを出て行く。今日は寒いがよく晴れた青空が吹き抜けから覗いている。


「早く!」


 由宇が小走りで進み、隼と距離が空いた。彼女が大きく手招きする。

 隼はため息混じりで、力ない足取りで由宇の後についていった。


 カフェから三十分歩き、一層の誰でも使える練習場に着いた。全部で十の部屋がある。ここは二層のメンバーも二層内の練習場が埋まってしまえば下りてきて使う。

 ポケットから鍵を取り出し、三号室の扉を開けて、由宇が隼をまた手招きする。

 狭い練習場は楽器とアンプと、戸愚呂を巻くシールドに埋め尽くされている。窓が無く、嫌でも空気が篭りがちになる。


 由宇が愛機のシンセサイザーのスイッチを入れた。小さな画面が光る。

 隼はギターケースを壁に立て掛けずに背負ったままにした。


「それでは、始めます!」


 シンセサイザーの前に立つと、由宇の表情が引き締まり、顔立ちだけでなく彼女の全身の雰囲気が変わった。

 由宇の、白く長いが、しっかりした指が鍵盤を滑らかに泳ぐ。戸愚呂を巻くシールドにも入れ換えられていない空気にも軽やかな音色が染み込んでいく。

 指の力強さが、今まで見てきたキーボーダーと違う。

 シンセサイザーの音なのに、偽物の雰囲気が無いのは、何故だろう。まるで音楽室でしか見た事のないグランドピアノが脳裏に浮かんだ。


 由宇がシンセサイザーのボタンを押した。キーボードを弾くと、パン! と聞き慣れた音がした。

 ドラムだ。シンセサイザーは他の楽器の音も操れる。

 躍動する指が軽快にシンバルの音を鳴らした。本来ドラマーが全身で叩く曲の骨格が、由宇の柔らかな手で再現されている。


 由宇がまた別のスイッチを押した。ピ、ピ、ピと電子メトロノームのような音がする。


 『ルーパー』という名のシンセサイザーの機能だ。隼も存在は知っていたが、目の前でやられるのは初めてだった。

 由宇がドラムを八小節弾いた。ルーパーに記録させたのだ。

 ルーパーにより、由宇がキーボードから手を離しても録音したドラムが繰り返し鳴る。


 ルーパーがあるなら、俺はいらないじゃないかと、隼は少し驚いた。シンセサイザーはギターの音も再現できるし、ルーパーは一つだけでなくいくつか録音と再生ができる。ルーパーがあれば、一人でバンドを成立させる事もできる。


 続いて由宇はベースの音を出した。本物のベースの音には敵わないじゃないかと、隼は思ったが、由宇のリズム感抜群の指先は、光月を彷彿とさせた。低く硬いが、弾力もある。下から曲を支え、時に曲を彩る。


 夕焼けの教室で弦を弾いていた光月の手指を思い出す。夢中で弾いていた。弾む低音が記憶と重なる。


 バンドの骨格となる低音が由宇の指で紡がれた。由宇がキーボードから手を離す。ドラムとベースが鳴り続ける。

 ルーパーの録音時に失敗すれば、間違ったフレーズが延々と流れる事になる。腕に自信がなければできない事だ。


 そして、用意したドラムとベースに重ねて、ついにピアノの音でメロディを弾いていく。

 十本の指がキーボード上を綺麗に――時に逞しく――踊る。伸びのある綺麗な音だった。

 静かな衝撃だった。ドラムとベースは同じフレーズを繰り返すが、ピアノは一度として繰り返さない。メロディは毎回色を変える。空間を震わせるようなメロディに包まれる気がする。


 隼はいらっとした。

 明らかに、一つのスペースを開けている。ギターを入れないと物足りない音楽にしている。

 ふと、それまで主役だったキーボードの音が止んだ。ドラムとベースだけが鳴る。

 ここは明らかにギターソロだ。音楽がぽっかりと空洞になっている。くそ、露骨過ぎるだろと、隼の瞳がきつく鋭くなった。


 夕焼けの教室で一人で弾いていた光月に合わせてギターソロを弾いてやると、とても喜んでいた。何故、今思い出す?

 背負ったギターケースのファスナーを開けたい衝動は、こいつの計画通りなのだ。


 お前のシンセサイザーでもいいだろう!

 例え繰り返しだけのギターでも、そのピアノなら曲を成立させられるはずだ!


 開けてはいけない。弾いてはいけない。渦の端にいて、少し覗き込めば、巻き込まれる。引き込まれる。


 由宇がこちらを見た。

 弧を描いて三日月のようになった彼女の瞳が、楽しそうに隼を手招いていた。


 楽しそうだ。

 暗黙の了解がある。

 暗黙の。

 あくまで暗黙だ。


 操られるように、隼はギターケースを肩から下ろして、ファスナーに手をかけた。

 すっと全ての音が止まり、隼の準備を待つ。


「はい、どうぞ」


 由宇がチューナーとシールドをよこした。


「……ありがとう」


 用意のよさにいらっとくる。

 音がほとんど狂っていなかったので、チューニングはすぐに終わった。ギターが整った。

 アンプのつまみを回す。音はクリーンにした。エフェクターはまだ使わない。

 鳴らすと、由宇から感嘆の雰囲気がしたのが、また腹が立つ。


「いい音です!」


「……どうも」


 由宇の賞賛に隼は適当に返した。彼女が本気で言っている事を、隼は考えもしなかった。


 六弦纏めてピックで弾き下ろす。ジャーン、と、無駄な物が一切混じらない厚みのある音がした。

 ギターが目覚める。左手が指板を上るみたいになめらかに移動した後、弦を押さえる。

 アンプを経由して出た音は、海を見ながら素で弾いていただけの日々を笑うみたいに、太く、伸びやかだった。腕の中のギターが表情を変えたみたいに感じて、隼はじっとそれを見つめた。


 弦をつま弾けば、苛立ちは消えた。

 由宇が再びメロディを弾くので、コードを弾いて合わせた。メロディに立体感が加わった。

 そして今度は由宇がコードを弾くので、適当にソロを弾く。由宇が奏でる音色の上に簡単に乗れたのは、それだけ由宇が上手だからだ。


 空洞に誘い込まれて、そのまま一つになってしまうのか。ギターソロが必要不可欠な曲だと思い知らされる。隼は渋々ギターを弾いた。

 本当に渋々なのかどうかは、考えなかった。

 隼の笑顔に由宇が気が付いたようで、彼女も笑顔になった。隼は自分の笑顔に気が付かずギターに夢中になっていた。

 しばらくして、練習場の扉がノックされた。


「すみません、次使いたいんですけど」


 既に三時間も経っていたと、二人はたった今、気が付いた。

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