第2話 何故ここにいるのですか
「入って来た時は、お前もなかなかのもんだったのになあ」
朝食を取りに来たいつものカフェで、隼はマスターに唐突に急所を突かれた。だが顔には出さず、この店名物のホットサンドを待ちながらアメリカンコーヒーを飲む。
南の吹き抜けの部分以外は、地上から五メートルの高さのコンクリートの天井に覆われている一層において、テーブルを始めとして木製を基調とするこのカフェは癒しの空間だ。
「マスターに言われたくありませんよ」
強面の顔にサングラスをかけているが薄ピンクのエプロンをしているここのマスターは、かなり昔にここに入島した。音楽都市の一期生だ。十年の歳月をかけてもデビューできなかった。だが、この街をよく知っている上に人望もあったため、外部から食料を取り寄せ、飲食店を経営してこの島で生きることを特例として認められたのである。
腐らずに演奏し続けた事や、ライブ後の清掃や機材の修理を誰よりもまめに行い、運営を助けた事で人望を得た。この街は音楽会社と契約している会社が食料を運搬する等、外部の手を借りる面があるが、ライブ会場や機材の清掃と手入れだけはかならず街の者がやるというルールがある。
「そうだなあ」
マスターだって、下手なわけではなかった。しかし、マスターが調子のいい年や新曲を出した年に、決まって他の誰かが街を風靡する活躍をしてしまったのだ。
音楽会社に目を付けられて、その時点でデビューするというのは稀だ。大抵は、年間の大賞を取ってデビューする。大賞がいない年もあるが、大抵は一名から三名の大賞が選出された。音楽都市の大賞受賞者として、世間に売り出されていくのだ。
今年は、一人は決まっているようなものだった。
「おはようございます、マスター」
その声に、隼はアメリカンコーヒーをこぼしそうになった。
「よお、おはよう」
今朝の防波堤の少女、由宇だ。防波堤ではきっちり閉めていたグレーのピーコートの前を開けて、真紅のセーターを出している。これも品がよさそうだ。
「あ! さっきの!」
「……どうも」
会話したくないと思ったが、
「はいよ、おまたせ」
ちょうどよくホットサンドが出された。
さっそく口を開ける。さくりと噛むと中から熱々のチーズがじゅわっと出てくる。ツナの塩味がいい。ああおいしい。食べている間に出て行ってくれと、隼は一口ごとに祈った。
「マスター、私には梅サンドをください!」
君も居座るのかと、隼はがっかりした。
「あなたにお名前を聞くのを忘れていました」
由宇がモカブレンドの、深緑のマグカップを両手で持ちながら言う。
「……竹田隼」
「竹田さん!」
「この街では下の名前で呼ぶのが基本さ」
マスターが熱々の梅サンドを由宇に出しながら言った。
「では、隼さん」
由宇がにこにこして隼を見た。
可愛らしいが、これは隼に対して微笑んでいるのではなく、梅サンドへの微笑みだと、誰が見ても分かった。
「おいしーぃ!」
しそ風味のサラダチキンの歯応えと、梅肉の旨みが口いっぱいに広がる、この店の名物だ。
「おかわりです! あ、でもいいのでしょうか?」
「いいよー」
由宇の遠慮した様子には訳がある。
音楽都市を出て行った後、三年間の入島金――公立高校三年間の学費程度の額――を支払うのだが、その中に街の飲食店代(定額)も含まれている。だが、慣れるまではただで飲み食いしているような感覚に襲われるのだ。
「マスター、おかわり。チーズと梅」
隼はとっくの昔に慣れている。
由宇が食べる合間に隼に声をかけようとするが、隼はそのたびにホットサンドかアメリカンコーヒーに夢中になっているふりをして由宇をやり過ごす。そのうち、由宇は諦めて自分の空になった皿に目を落とす。
そんな茶番を繰り返して、ついに隼の皿も空になった。
「マスター、梅サンドもう一枚」
「お前、どうした」
マスターが渋い顔をして隼を見る。仕方ないじゃないか、この子が出ていかないんだからと、よっぽど言ってやりたかった。
「あ、あの、隼さんっ」
がたりと、木製の椅子が音を立てた。由宇が立ち上がったのだ。げ、ついに来たかと隼は覚悟した。
「どうか私を助けると思ってギターを弾いてください!」
「ギターがいないって、どういうことよ」
少なくともキーボーダーよりはギタリストの方が多いと思うのだが。
「小箱でライブをする方が、私以外にいなくて」
ようやく、由宇がなりふり構わず隼に声をかける切実さが分かった。
「もしかして、ここに来たばかり?」
「はい。一月から」
「本当に新入りだね」
えへへ、と恥ずかしそうに由宇が微笑んだ。
「小箱で成功しないと中箱でライブができない。中箱で成功しないと、大箱の方達とバンドを組めない。そうですよね?」
「その通り」
一層の小箱と呼ばれるライブハウスでの成功実績が無いと、二層の中箱というライブハウスでの出演権が与えられない。音楽会社に動画配信されるのは、中箱と、三層の大箱だけだ。
小箱で一度成功すると、滅多な事がない限り再び小箱に来ることはない。入島が多い四月や九月なら、同期で組んで小箱で演奏してすぐ中箱に行くが、時期はずれで同期がいないとこのような事になる。一層の人口が多いのは四月や九月だけで、普段はとても少ない。音楽都市は三層が最も人が多い。三層に辿り着いてからが本番なのだ。
「ですから」
由宇が丸い瞳を真剣に細めた。
「私とバンドを組んでいただけませんか!」
隼は立ち上がり、由宇に背を向けた。きっと彼女は落胆していると分かっているからこそ、振り返らなかった。
翌日。潮風が冷たさを運んでくる。隼は今日も朝の海を見にきている。だけどいつも通りではなかった。
「今日はどんな曲を歌うんですか?」
驚いた事に、由宇がついてきた。
「君、見かけより体力あるね」
ゆっくり歩くいつもと違い、走るように階段を上ってきたが、彼女はついてきたのだ。
「鍛えてますから!」
ガッツポーズした由宇に、隼はくるりと背を向けた。
「ああ、待って!」
幅五メートルの壁の上を走って逃げる。人が落ちないように柵があるので危なくないだろうと隼は思った。彼女は疲れれば諦めるだろう。
しかし、しばらく後に、恐ろしい事態が起こる。
由宇が、必死の形相で真正面から走ってきたのだ。確かに、島をぐるりと囲む壁なので反対方向に走ればいずれ出会う事になる。しかしかなり長い距離だ。三層合わせて百名が住めるこの島の外周を走るとは、見上げた根性だ。
「さあ、お話しま……しょう……」
だがさすがに肩で息をして、両手を膝に付いている。顔も真っ赤だ。冷たい風の中でも汗がいく筋も流れている。
さすがに、隼の心に隙間ができそうになった。
「俺達は組めないよ」
それでも、断る理由もあった。
「どうして……」
「ほら」
隼は入島時に配られ、身につける事を義務付けられている簡素なブレスレットを見せた。黒い色だ。
「え……?」
「俺は大箱の経験があるから」
「じゃあ、何故ここにいるのですか……」
隼は自嘲たっぷりの笑顔を見せた。
「さあね」
隼は去ろうとして、さすがに息切れしている由宇を置き去りにするのは可哀想だと思い、彼女が元気になるまで待ってやった。結構時間がかかった。相当無理をしていたらしい。
冷たい風の中、由宇だけが熱くなっているみたいだった。
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