第八話 「それは、いけないことですか」
「それでは、第一回合同授業を始めます──!」
屋敷内の菜園、だだっ広く広がる畑の真ん中で、ちゃんと声が届くよう、わたしは声を張り上げた。
第一回合同授業の内容とは、ずばり農作業体験だ。情操教育と実践的な魔法が活かせる場であるとばかりに、それらしい理由を付けてスミスさんの許可を取ったものだったけれど、実際はリリィさんのお膳立てのために用意した場だった。
リリィさんは過去、家の手伝いとして農作業をしていたという。最初の実習で土魔法を見せてきたのも、使い慣れていたからこそではあるのだろう。
だからこそ、リリィさんが活躍できる場で、ジュリアさんに対して彼女の頼もしさをアピールする。
そして、共同作業で仲が深まればなお良い。まあ、これは運が良ければの話だけれど、そんな魂胆と共にセッティングした場だった。
「そして、特別講師として二人お呼びしております。それじゃあ、ソフィーさん、一言お願いします」
「こちらこそ。私たちでお役に立てるかはわかりませんが、是非ともよろしくお願いいたします」
ニーナさんとソフィーさん。
情操教育と言えども、わたしには農作業の経験がない。
そのため、農作業経験が豊富な使用人をお願いしたところ、スミスさんが付けてくれたのはこの二人だった。
百合濃度の高いこの二人と一緒に作業ができる──。
あまりにも願ったり叶ったりな状況だ。わたし自身が家庭教師じゃなかったら、いつまでだって作業に明け暮れる二人を観察していられるのに……勿体ない。
「……よ、よろしくお願いいたしますっ」
かしこまった態度でいる二人に釣られるようにして、リリィさんも頭を下げた。
それをギョッとしたような様子で見つめるメイド二人──仕方がない。令嬢とは普通そんなことはしないものなのだから、流石に後でこそっと教えて差し上げなければ。
「今日はよろしくお願いいたします」
そんなリリィさんの様子を見て、ジュリアさんはフンと軽く鼻を鳴らすと、スカートの裾をつまんで挨拶でもしようとしたのか、腰辺りに手をやって──履いているのがズボンであったことに気がついたのか、その場で手を彷徨わせた。
不思議そうにまじまじと見つめてくるリリィさんの視線もまた、気に入らなかったのだろうか、ジュリアさんは顔を顰める。
互いに空回り。そんな状況で、合同授業は始まった。
◇ ◇ ◇
「今日は種まきをしていただきたいと思うのですが──」
そう口で説明しながら、ソフィーさんは畑に手をやる。
直後、ソフィーさんの立っている場所から直線上に畑の奥まで、一列土が盛り上がった。
その両脇にはみぞ、どうやら土魔法を使って操作したらしい。
農作業経験アリ、ということだったけれど……これは、相当な手練れだ。
「そのうえでは、こういったうねを作る必要があります。この盛り上がった部分に種を植えていく、というのが一般的ですので。取り敢えず、うね作りは私が……」
「あの──私も、できますっ」
少々上ずった声でリリィさんが手を挙げた。
「……なるほど。では、リリィさんにもお願いしましょう。残るお二方には種まきをしていただいてもよろしいでしょうか?」
「……ええ。わかりました」
なぜだか、ジュリアさんの返事はどこか不機嫌そうなものだった。
「それにしても、ソフィーさんは魔法がお上手なのですね?」
「でしょう? 何せ自慢の、あたしの先輩ですから!」
”あたしの”、頂きました。
種を植えながらも自慢げなニーナさん。慣れない肉体仕事に割と腰が痛むけれど、新鮮な百合は万病に効くし、もちろん腰痛にも効くから問題がない。
「……それにしても、ニーナさんは早いですね、種植え」
「ふふん、恋の力です! そのうちルーシャちゃんにもわかるようになりますよ」
澄ました表情で口にするニーナさん。答えになっていない。
なっていないけれど、こういう惚気話なら大歓迎なのでもっとして欲しい──と。
あれこれ話してくれるニーナさんの話に耳を傾けつつ、隣を向く。
「……っ」
そこには、相変わらず不機嫌そうな顔でひたすら種植えをするジュリアさんがいる。
普段ならもっと取り繕うように、色々と話してくれる印象があったものの、今は何一つとして口を開くことはしなかった。
「それでは、そろそろ──昼食にいたしましょう」
ソフィーさんの号令でやっと手が止まる。
土にまみれた手で、汗を拭うことすらしないまま。
どこか、ジュリアさんは心ここにあらず、といった様子だった。
◇ ◇ ◇
「おいひい……! さすが、ソフィーさんですっ!」
「……外ではあまりベッタリとくっつかないでちょうだい。後で時間を取ってあげるから」
昼食はサンドイッチだった。
傍目ではメイドコンビの観察をしつつ、パンを頬張る。
「ルーシャちゃん、頬にソースがついてるわよ?」
「……あ。ありがとうございます、リリィさん」
左には頬を拭ってくれるリリィさん、右には咲き誇る百合──労働の対価がこれほどだとすれば、随分と痛んだ腰にもちょっとは報いることができたというもの。わたしは割と絶好調、だったのだけれど。
隅で一人、食事を摂るジュリアさんの様子が気にかかった。
ぼそぼそとパンを口にしつつ、表情もどこか暗い。
何か、声をかけようとした時だった。
「──お二人とも、素晴らしい手際でした」
後ろからやってきたソフィーさんにリリィさん含めて、わたしたち二人は呼び止められてしまった。
「ルーシャさんもその歳にしてニーナについて行けるのは素晴らしいことですし──何より、リリィさん」
「……私、ですか?」
「ええ。あなたの魔法は本当に素晴らしい。よく鍛錬されていらっしゃるのですね」
到底お世辞には思えない褒め言葉。
それほどまでに、リリィさんの魔法は凄いのだから当然だ。
「……昔、母の手伝いをよくしていましたので」
「それは親孝行なことです。あなたのようなお子様がいらして、お母様は幸せだったでしょうね」
冷静そうなソフィーさんにしては珍しく目を輝かせて、リリィさんのことを褒めちぎる。
お互い農作業をしていたもの同士、話が弾むのだろう。
そんな二人はさておいて、ジュリアさんのところに向かう。
「……ジュリア様、午前中はいかがでしたか?」
「……まあまあってところね」
短く返答すると、ジュリアさんはそっぽを向いた。
まあまあとは言っているけれど、よっぽど不服そうで、口ぶりだってそっけない。
きっと、何か気に入らないことがあるのだ。
これでは、リリィさんの頼もしさをアピールする、という本来の目的とはかけ離れた結果になりかねない。
何か軌道修正をする必要が……いや、でも、何をどうすればいいというのだろう。
リリィさんにとって何がそこまで気に入らないのか、わたしにはわからないのだから。
「それでは、再開しましょう。もう一つの畑の方にもうねを作ってしまおうと思うのですが、引き続き、リリィさ──」
そうやって原因を洗い出そうとしていた矢先だった。
「……私にも」
ジュリアさんが割って入ったのは。
「私にも、やらせてください」
その意図がわたしにはわからなかった。
授業の中でわかったことだが、彼女はそこまで魔法が上手いわけでもない。
だというのに、何故ここでやると言い出したのか。
「……え? ええ……構いませんが……」
それを以前の紅茶の一幕で察したからか、ソフィーさんもまた動揺しているようだった。
とはいえども、ここまで強い口調で言われたら断ることはできないだろう。
「……それでは、ここにお願いします」
ジュリアさんが畑の前に立った時。
視界の端にちらりと映った不安げな顔。
ここにいる誰よりも、リリィさんは不安げな顔をしていた。
「……行きます」
初め、リリィさんが手をかざしてもちっとも土が動くことはなかった。
多少時間がかかっているだけなのかと思ったけれど、どうにもそうではないらしい。
その表情が歪められる。きっと、上手くいっていないのだ。
「あの……ジュリア、さん」
ソフィーに声をかけられたせいか、横顔が明らかな焦燥をはらんで──。
「……なっ」
収束。
一転、周囲がくぼみ、その瞬間に。
「危ない──っ!」
ジュリアさんを突き飛ばした──リリィさんが。
一瞬、何が起きたのか理解が追いつかなかったけれど、直後に事は起きた。
穴が──先程までジュリアさんが立っていた位置にできた大穴。
ぱっと見た感じでもわかるほどには深い、落ちたらただじゃ済まないだろう。
魔法の誤操作、だろうか。それがこの大穴を生み出したのだとしたら、それは相当無茶な──。
「どうして、こんな無茶を……っ!」
わたしが何か言うまでもなかった。
たった今、ジュリアさんを助けた張本人が──リリィさんが代弁してしまったのだから。
「……だから何よ。だって、リリィ──私が怪我したって、あなたには関係が──」
──関係がない。
言ってしまえばそれはそうだ。
ジュリアさんの視点に立ってみれば、リリィさんは自分がいじめてきた相手。
むしろ、何故助けられたのか──それすらもわかっていないだろうに。
「関係ありますっ! 姉妹です──家族、ですから……っ」
もっと、理屈なんか無視した、簡単な言葉で。
だけれど、それ以上の意味を持つ言葉で、リリィさんは否定した。
「いけませんか? 今まで独りぼっちで、やっと家族ができて──たとえどのような方であろうとも、その家族を大事にしたいと思うのは、いけないことですか……っ!?」
頬を伝う雫、リリィさんの瞳から零れたそれが、ジュリアさんの頬にシミを作る。
一滴、一滴、噴出した激情をジュリアさんはただ、受け止めているように見えて──。
「……わからないわよ」
見えて、いたのに。
半ばリリィさんを突き飛ばすようにして、ジュリアさんは立ち上がった。
「……優秀なあなたには、わからないわよ……っ!」
そのまま駆け出したジュリアさん、一瞬だけ見えたその横顔、瞳には涙が浮かんでいた。
彼女もまた、泣いていたのだ。
授業を途中で放っぽりだした──だけじゃない。
たった今、受け取ったリリィさんの想いすらも──その足で、踏みつけて。
「……リリィさん」
突き飛ばされた反動で跪くリリィさんの元に駆け寄る。
未だその表情は涙で濡れてくしゃくしゃで。それでも、ぽつり、と。
「……許されない、のですね」
消えゆきそうな声でそう呟いた。
結局、合同授業は中止に。その日の夕飯、ジュリアさんが食卓に座ることはなかった。
◆ ◆ ◆
「……ジュリア、様……」
ドアに触れても、聞こえてくるのはすすり泣く声だけ。
以前と同じように私を呼んで、ジュリア様が罵声を浴びせてくることは一切なくなった。
ただ、その代わりに失ったものの方が大きい。
「……私は、あなたをお慕いしたかった」
ルーシャちゃんが開いた合同授業から一週間。
私の姉妹は──ジュリア様は、一切部屋から出てくることはなかった。
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