第六話 「あなたの温もりを、私は」
「まずはジュリアさんとリリィさんの関係を整理するところから始めるんだけど……」
先んじてわたしが口にした作戦という言葉。
それに、目を輝かせていた時から一転、ゴクリと唾を呑み込むミリアムの前で、わたしはこの一週間の間で調査した結果を話す。
『リリィ、この後、私の部屋に来てくれるかしら?』
リリィさんを呼び出す時、決まってジュリアさんは夕食の後にこの言葉を口にする。
間隔は不定期、純粋に彼女の気分で決まっているように思う。
『リリィ──あなた! 今日もお兄様に色目を使ったでしょ!?』
そして、罵声。
場所はベッドとも限らず、とにかく自分の部屋で呼び出したリリィさんに罵声を浴びせかける。
ただ、手は出していないようだ。観察した具合だとそういったことは起きていないし、リリィさんの体にもそういった痕はない。
『もう、出てって』
そして、言うだけ言った後にはリリィさんを追い出す。
最後にはドアをピシャリと閉めてしまって泣きじゃくる。
やがては寝息に変わるまで、ずっと。
この行為に何の意味があるのか。
言葉だけで判断してしまえば、リリィさんへの牽制、いじめとも取ることはできる。
ただ、問題はその後にある。
言ってしまえば、ジュリアさんは加害者だ。
それならば、リリィさんに罵声を吐く、というのは彼女が望んで行ったことのはず。
だというのに、ジュリアさんはその後、ひたすら泣きじゃくっているのだ。
そのチグハグさから察するに、きっと、もっと──原因は子供らしい部分にある気がした。
「──多分、ジュリアさんは、リリィさんをただ自分の感情のはけ口にしているだけなんだと思う」
きっと、牽制だとかそういう意図もあるのだろうけど、そんな深い意味なんかよりも、それ以前の話として。
ジュリアさんは自分が抱え込んでいるもの。ただ、それを吐き出したいだけなのではないか、と。
そんな結論に達した。
だとしたら、今のジュリアさんに必要なことは何か。
その答えはこの間、リリィさんの部屋で見つけたものだった。
「……正しい形で吐き出すこと。自分の弱みを晒せる相手を作ること。それが、ジュリアさんにとっては必要なことだよ」
リリィさんのひざまくら。頑張ったねって言葉。
誰かからの肯定を受け取るだけで、一気に報われたような気がすること。それをわたしは知った。
まず、リリィさんには他者を受け入れられるだけの器があることはわかっている。
そして、ジュリアさんはそれをまだ知らない。
なぜなら、リリィさんは外だと常に皮を被っているから。その一面を見せようとしないからだ。
だからこそ、リリィさん相手なら自分の弱みを晒してもいいって。そう思えるぐらいにリリィさんが頼れる人であることを、ジュリアさんに知らせないといけない。
つまるところ、互いの知らなかった一面を理解し合ってもらう、ということ。
「それで? ルーシャのさくせんは?」
「うん、それはね──」
人と人の間に交流を生む方法。
誰かに頼ること。それを、ジュリアさんに教えるには──。
「共同作業、だよ」
共同作業。
互いに互いを補い合う環境かつ、リリィさんは魔法を使いこなせるということもあって、そういう時には活躍できることだろう。これでジュリアさんに困ったことが起きたとして、それをリリィさんがサポートする──そういう体制が作れたら万々歳だ。
「きょーどう、さぎょう……!」
目を輝かせるミリアム。食いつきは上々だ。
まあ、そんなことはさておき、ただ一つ危惧するべきところがあるとすれば。
それは、リリィさんがあまりにも受けすぎる、ということ。
どれだけジュリアさんに罵声を浴びせかけられたところで──あまりにも、リリィさんはそんな様子をおくびにも出さないのだ。
◇ ◇ ◇
ブランシェルト邸の裏庭。
昔──恐らく、ブランシェルト家が今よりも勢いがあった時期に造られたであろう魔法修練所は、足を踏み入れてみると随分と寂れていた。
その中で燃え盛る積み上げた薪。
今日のリリィさんの授業は火魔法の実習だった。
「よしっと! これでよかったかしら?」
「ええ、完璧です! リリィさんは火魔法がお上手なのですね?」
実際、今日のものは以前見た土魔法より、発動が早いクセして、威力はそれ以上だ。
それだけ修練してきたであろうことがよくわかる。
「毎日、私が火起こししていたから。だから、上達も早かったのかしら」
そういえば、院でも火起こし当番が決まっていた。
この手の術は、確かに庶民の生活では必須レベルのものだ。
その分、実践的な使い方が身についているのだろう。
「ただ──そうね。一つ、珍しい魔法が使えるんだけど……」
「それは興味深い……見せていただくこと、可能ですか?」
「もちろんよ。ただ、結構広範囲だから、ちょっとだけ離れててね」
ちょっとだけ、とは言っていたものの結構な距離を取るように求められる。
それだけの広範囲魔法なのだろうか──と。わたしが尻込みしている中、リリィさんは両手を空に向けて掲げる。
「はあ──っ!」
直後、視界が白く塗りつぶされた。
迸る眩い光。それは収束すると、こぶし大の火の玉になり、空に向けて放たれる。
そして──花開いた。
打ち上げられた火の玉が中空で移り変わった、無数の火花。
元々の火の玉を蕾だとするなら、これは花。
空で光を散らす、まるで花のようなさま。
火魔法を打ち上げ、上空のそれを己の魔力で作り変えるもの。
これを、わたしは王立アカデミーにいた頃、見たことがある──。
「花火、ですか……!」
確か戴冠式の時だ。
規模は今見たものの方がずっと小さいけれど、それでも形の整った花火そのものだった。
「あら、ルーシャちゃんも知ってたの?」
「アカデミーにいた頃、戴冠式で見ましたから。それにしても、これは凄い……」
「偶然ね、私もその時に見たの! 近くで!」
あの時は確か凄まじい混みようだったから、城の前では人流が規制されていたはず。
それを間近で見られたと言うのなら運が良いことだ。
「家の事情でたまたま王都にいて。たまたま、その時はお母さんも調子が良かったから、連れて行ってもらった。出店もパレードも素晴らしかったけど、一番は──!」
目を輝かせ、その両手をパッと広げると、まるで知っている相手がいるのが嬉しいとでも言うように喜色を滲ませながらリリィさんは語る。
「──花火! 家に戻った後もずっと忘れられなくて、内緒でずっと練習してたぐらい! 故郷の人たちは妙な魔法だとしか思ってくれなかったから、ルーシャちゃんが喜んでくれてとっても嬉しい!」
そのまま、リリィさんは抱きついてくる。
細い体つき、それは初めて見た時からさして印象は変わっていなかったけれど、思いの外ハグする力は強い。この間のひざまくらといい、案外リリィさんは人との距離感が近いみたい。
「あ、ありがとうございます……」
それを、ジュリアさんにもしてあげて欲しい。その距離感で彼女に接して欲しい。
とはいえども、それはまだ叶わないから。
叶うような環境を作ること──それが、わたしのするべきことだ。
「……ところでリリィさん、一つお話があるのですが」
「なに?」
軽い調子でリリィさんは聞いてくる。
最初は驚いたこの口調にも、少しずつ慣れてきた。
「ジュリアさんとの合同授業を──来週、行おうと思います」
先程まで絶えず笑顔を浮かべていたリリィさん。
その表情が唐突に曇った。
「……そう、なの」
リリィさんとジュリアさんがどんな関係にあるかわたしは知っている。
だからこそ、何故そんな顔をするのかも大体は分かるのだ。
「……あと、もう一つ。何かお困りのことがありましたら聞かせてください。家庭教師としても、その……リリィさんのお友達としても……」
そこできょとんとしたような表情を浮かべると、リリィさんは再び笑ってみせた。
確かに、わたしも距離感が近すぎるかなとは思ったけど……いきなりお友達、なんて……。
「良いわね、お友達。そう思ってもらえて嬉しいわ。ただ、そうね……悩み事……」
以前、ジュリアさんにも同じようなことを聞いた時に返ってきた冷たい反応が脳裏をよぎる。
今回もはぐらかされるんじゃないかと思っていたけれど。
「……自分と同じ境遇の人がいたとして。どうしても手を差し伸べられない──そんなところかな」
不意にリリィさんが口にした一言、その意味がわたしにはわかってしまった。
リリィさんは我慢強い。そして、それ以上に優しい人だ。
今の一言で完全に繋がった。だからこそ、だったのだろう。
ジュリアさんに対してずっと──受けの姿勢を貫いていたのは。
◆ ◆ ◆
「はあ……」
身を丸め、息を吐く。
床に直接座るなんて、しかも、ジュリア様のお部屋の前だ。はしたないということはわかっていたけど、それでも私──リリィ・ブランシェルトにできることはこれぐらいだったから。
「っ──ああ……っ!」
慟哭。ジュリアさんの泣き声。
直後にドアの向こう側から聞こえてくるもの。
深夜に私を呼び出し、罵声を浴びせかけたあと、決まってジュリア様はこうして泣きじゃくる。
そして、それがなぜか私は知っている。
『おかあ、さま……っ!』
一度聞いてしまったもの。
泣き声に混ざったその声が、助けを求めていた気がした。
最初、私を呼び出しては罵声を浴びせかけてきたジュリア様が憎くて仕方がなかった。
それでも、本質的には私と同じだったのだ。
私がここに来たのは、ジュリア様の母親が亡くなったから。
逆の立場だったら、きっと、わたしもそうやって来た妾の子なんて、憎んでもおかしくないのかもしれない。
ただ、憎む、憎まない、なんて。そんなこと以上に──。
「抱きしめたい……」
抱きしめたかった。同じ痛みを持つ者として。
胸に抱え込んだ痛みを吐き出して、そうしてお互いに分かち合えたなら。
私だって、まだ麻痺してるだけだ。
忙しい中で、お母さんとの思い出をゆっくりと思い返してる暇がないだけだ。
だから、今こうやって泣きじゃくってるジュリア様を抱きしめて、一緒に泣きじゃくりたかった。寄り添い合っていたかった。
せめて、お互いに気が晴れるまで。
だけれど、今はまだそんなことできそうにない。
ここに来てからというものの叩き込まれた作法や礼法、それらに阻まれて、私はどうにも素ではいられない。
心を開かないジュリア様に対して、私だって自らを閉ざしてしまっている。
そんな私のままじゃダメだって、わかっているのだけど。
立ち上がって辿った、部屋への帰り道。
「……ジュリア、様……」
その響きは、焦がれていたもの。
求めている温もり、だというのに──。
私はまだ──あなたに手を伸ばせそうにない。
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