第五話 「温もりの中で、すくすくと」

「──っ!」


ドアを開けた時、そこにいたのは机に伏せるリリィさんだった。

駆け寄る、脈を……と、急く気持ちのままに手を取って──。


「……寝てるだけ、ね」


脈はある、手は未だ温かい。

吐き出される呼吸は一定のリズム、つまるところ、寝ている最中らしかった。

……多分、わたしが焦りすぎただけだ。


いつもそう、こういう時に限って、過剰に気が急いて、空回りしてしまう──わたしは、そういう性分だっただろうか。


「……んぅ」


ぱちくりと瞬いた瞳、リリィさんが身を起こす。

この場合はわたしが起こしてしまった、ということだろうか。

ぼぅっとした様子で、わたしを捉えると、再びぱちくりと瞬いて。それから、こてんと首を傾げる。


「……どうして、私の手を?」


不思議そうな顔をするリリィさん。その視線に釣られて手元に目を向けて、わたしは気がついた。

──手を握りっぱなしだ。


「……いえ。その……冷えている、ようでしたので」

「そうなの? 私は体温が高い方だって、よく聞いていたのだけれど……成長して変わってしまったのかしら?」


頬に手を当て、不安げに。

そうやって、リリィさんは聞いてくる。どこか庇護欲を掻き立ててくるような、そんな仕草だ。一言で言い表すなら、天然。

確かに、スミスさんが気にかけてしまう、というのもわかる気がする。


「……それでは、授業に移りますね」

「あら、もうそんな時間なのね」


無理やり話を逸らしても、リリィさんはそこまで引きずるタイプでは無いようだった。

自分のことながらも、あまりにも頭が回っていなさ過ぎる酷い言い訳だから、早いところ忘れてほしい。


「今日は実践です。魔法の使い方についてはご存知ですか?」

「ええ、もちろん。魔素マナとの交感──要するに”集中”、でしょう?」


手を真っ直ぐに伸ばしたリリィさん、その指先に向かって集まっていくものがあるのを肌で感じる。

”寵児”は魔法を使えない。ただ、それは体内の魔力が多すぎるがゆえに上手く制御できないことに起因するため、むしろ、魔力に反応する魔素マナの流れには敏感だ。


「これで──上がり! ……っと」


土の塊。

次の瞬間、リリィさんの握り拳にはそれが握られていた。

わたしが次に口を開くまでの間。この屋敷に来てからは初めて魔法を目にするが、このスピードで魔法を発動させられる術者、というのは孤児院時代からもそこまで見たことがなかった。

ひとえにそれは、リリィさんの魔法適性が高いか、もしくは──。


「……リリィさん、今の口調は……」

「……あ、いけない。わたし、その……つい、魔法を使うと口調が緩んでしまうの。……昔のクセね」


リリィさんは比較的高くない身分の生まれだったと聞く。

魔法を最も使うのは誰か、それは庶民階級だ。実際、わたしの場合は魔法が使えない身だったためにほとんど他人に任せていたけれど、高価な魔道具なんかに手が届かない庶民にはよっぽど必要なもの。孤児院でも一定の歳まで育った子供に真っ先に教えるべくは魔法とされていた。


「いえ。咎めるわけではなく、ただ意外に思っただけです。リリィさんもそういう言葉を使うんだ──って。わたしも庶民の出ですから、むしろ馴染み深くて」


そして、貴族も魔法を教わりこそすれど、より実践的に魔法を使うのは庶民だ。

つまるところ、リリィさんの魔法技術はきっと──彼女の努力によるところが大きいのだ。


「あなたも、そうなの?」


ぱちくりと、驚いたかのようにリリィさんが瞳を瞬かせる。


「ええ。随分と緊張していますよ、ここでの生活には」

「それは奇遇ね。……わたしも同じ。どうにも、慣れないところが多くて」


次に口を開いた時、リリィさんの口調は大分くだけたものに変わっていた。

恐らくはこちらの方が慣れているのだろう。だからこそか。


「本当です。昨晩も食卓の雰囲気に面食らってしまって」

「食事、ね。それもあるけど……一番はベッドかしら。ほら、ここのものは柔らかいじゃない? 少しふかふかし過ぎで、夜もよく眠れなくって……」


身振り手振りで表現しながら、ころころとしょっちゅう笑みをこぼす。

昨日、初めて会った時、そして食卓で見た時のどこかおどおどとした雰囲気とは違う、上品さは損なわれていて、それでも、楽しそうな様子。どこか馴染やすさすら感じるその態度には、一切の嫌味がない。


もし彼女がこんな風にジュリアさんに接していたら、揉めなかったのかなって。

一瞬思ってしまったけれど、きっとそういう問題ではない。


何より、それでは上品さを重んじていたスミスさんが許してはくれないだろう。

素を隠しておくのだって大切な処世術なのだから、こちらのリリィさんは、わたしが知るものでいい。


「ところで、魔法は庶民暮らしをしていた時に?」

「ん、ええ。そう……そうね」


それは、単純な興味だった。彼女がどういう訓練をして魔法を習得したのか気になったから。

だけれど、その瞳は伏せられた。


「……全部、お母さんのためだったの」


リリィさんがここに来たのは、母を喪った彼女をスミスさんが見かねてのことだったと聞いている。


「……体が弱いお母さんに代わって、生活を楽にしてあげたかったから、必死に学んだ。必死に、使になろうと思った」


ということは、それだけ必死に学んで、実際高い練度にまで仕上げた魔法を学ぶきっかけになった相手は、もういないということだ。


「本当に、今は他の人が全部やってくれるから困ってしまうわ」


そんな風に冗談めかしてリリィさんは笑ったけれど、きっと、半分は本心だったのだと思う。

学んできたことが意味をなさなくなった、と。そう知った時の後悔ならば、きっとわたしにもわかるから。


「……なんて。ごめんなさいね、少し湿っぽい話をしてしまって。今日は楽しかったわ。お話ができて、久しぶりに魔法が使えたんだもの」


それでも、母を喪った者の立場として。

同じ立場の人間として──わたしになにか声をかけることはできただろうか。


「……それなら良かった。わたしなんかの授業でそう言って頂けて嬉しいです」


……いや。

絶対に、それはあり得ない。

わたしが母を喪ったのは、物心付く前。きっと、わたしの母という人間に対する思い入れは大して強くなかったように思える。

だから、その苦しさがわたしにはわからないのだ。


「今日は魔法が一つ使えれば、ということだったので。そろそろ終わりにしましょう」

「ええ。気を付けて帰って。あと、そうだわ──ルーシャちゃんって呼んでも良い?」


スカートをつまみ、上品ぶった仕草でリリィさんは礼をする。

しかし、やはりぎこちなさは残っている。それを注意しろとスミスさんは言ったわけだけど。


「──はい、もちろん。また明日もお願いします」


そういうリリィさんらしさが心地よいからそれで良い。


──と、明日の授業に思いを馳せつつ、立ち上がった瞬間。

不意に体の重心がブレて、視界がぐらりと揺れた。


「──ルーシャちゃん!?」


立ち眩みだ。

魔力が強く集まった空間にいると、上手く交感できないそれに強く引っ張られて起きる、”寵児”特有のもの。


「……いえ。ちょっとした目眩です。大したものじゃありませんから」

「それでも、念の為休んでいって。あなたに大事があったら私も困ってしまうから」


とはいえども、このまま帰るのもどこか勿体ない気がする。

それなら、お言葉に甘えさせてもらおう、と。そう思った瞬間に。


ふっと、意識が途切れた。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「……あら、お目覚め?」


目を開けた時、ほど近い場所にリリィさんの顔があった。


「……ん」


体に当たる硬い感触、景色から察するにわたしは床に寝かされていたらしいけれど。

温もりが。頭だけを、柔らかい感触が包んでいた。程よい弾力もあって、わたし好みの枕だ──と。寝返りを打とうとして。


「……ん!?」


わたしは、自分がどんな状況にあるのか気がついた。


「もう少し、ゆっくりしてくれて良いんだけど。気に入らなかった? ──


慌てて首を振る──と、リリィさんに迷惑をかけてしまうから。


「……いえ。そんなこと、ないです……っ!」


早口気味に、言葉が漏れた。


「なら良かった。大分疲れてるみたいだけど、ベッドは私自身が気に入っていなくて。少し硬いほうが好みかなって」


そういう配慮はとてもありがたいものだったけれど、それよりもずっと、この状況がわたしの頭を麻痺させていた。いい匂いがする、柔らかい、目の前にある顔が、慈しむようにわたしを覗いてきている──。


「それにね、倒れたの、疲れていたからっていうのもあるのかもしれないと思って。わたしは、よくお母さんにこうされるのが好きだったから」


撫でてくれている。頭を行き来する感触。

それが心地よくて、全身から力が抜けていく。


「あなたはきっと、よく頑張った。慣れない中大変よね。わかるわ、そういうの」


そうだ。思えばここに来てまだ二日しか経っていないというのに、色々と出来事がありすぎた。

ジュリアさんの激情、ミリアムから聞かされた破滅的な未来、そして、つい先程の刺々しいジュリアさんの態度──。


やっと、肩の力が抜けた気がする。

何せ、スミスさんの前でもミリアムの前でも、大人ぶっていないといけなかった──その一点では、変わりなかったわけだから。


「……本当に」


泣きつく、とまではいかない。


「……本当に、大変だったんですよぅ……」


それでも、こうして弱音を吐ける相手がいたこと。

こうして、頭を撫でて労ってくれる相手がいたこと。


「うん、頑張った」


それはきっと、堪らなく幸福なことなのだと思ったから。


こうしてくれているリリィさんが、裏では辛い目に遭っているというのが、どうにも耐えられなかった。

彼女もまた、誰かに甘えられるような場所を。

そのために彼女の悩みのタネになっているであろうものを取り除かなければならない。


リリィさんに二度も居場所を失わせてはならない。

きっと、それがわたしにできる精一杯のお礼だから。


この温もりを教えてくれた、リリィさんへの。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「……というわけで、一通り二人の様子は確認した。ここから、作戦の話に入ろうと思うんだけど、何か質問はある?」

「ううん。ルーシャのやることなら、わたしは信じる」


家庭教師を始めてからおよそ一週間。

大体、リリィさんとジュリアさん──二人の様子というのは把握した。


そして、リリィさんとジュリアさん、互いにきっと、何かを抱え込んでいるのだろうということも。


全ては、ここから。

ここから先は、わたしたちだけで始めていって──いつかは大人たちだって巻き込まなければいけない。それはきっと、容易いことじゃないだろう。


だけど、できないことともわたしは考えていない。


”寵児”二人分、その力を使うのだから。



「──じゃあ、始めるよ。二人を、結びつけるための作戦を」

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