第四話 「まずは土の仕込みから」

「スミス様──今、よろしいですか?」


スミスさんの部屋の前に立ち、ノックを数度。

まだ朝早いけれど、流石にそろそろ起きている時間だろう、と。

そう踏んでいた──のだけれど。


「……ん、ルーシャか。なんだい?」

「その、一つ提案が──って、昨晩お休みになっていないのですか?」


ドアの向こう側から出てきたスミスさんの顔はひどくやつれていた。

目の下にはくっきりとクマが刻まれ、瞼はピクピクと痙攣している。

どう見ても、寝ていないのが明らかだ。


「……いやなに、収穫祭のことで少し、ね」

「なるほど。こちらにも収穫祭が?」

「故郷にいた頃はなかったのかい?」

「いえ。あったことにはあったのですが──ほとんど宗教行為みたいなもので……少々、堅苦しかったので」


一番覚えているのは広場で女学院の生徒が賛美歌を披露してくれたことだ。

隣同士見つめ合っていたり、斜め前の子を見ていたり、わたしが着目していたのは視線だった。

視線は基本だ。無から勝手に百合が咲くことはないけれど、少しのさえ見つけられれば、わたしは無限に想像を膨らませられる。

特に二年前は凄かった。列の最後方、さほど観衆の視線に晒されないからか、視線を交じらわせる二人が──さておき。話が大きく逸れてしまった。

今は収穫祭の話だ。


「この地域での収穫祭はもっと昔、言うなればこの国に宗教が根ざす以前からあったものでね。それこそ純粋に、今年も収穫ができたことを感謝する──そんな催しが今でも続いてたんだが……」

「今年は不作によって開催が難しい、と……?」

「その通りだよ。ただ、いやなに、私情ではあるけれど……」


スミスさんはその疲れ切ったような瞳を窓の外へ向けると、ため息を吐いた。


「……ジュリアは昔から収穫祭が好きだった。普段はここからあまり出られない身だけに、良い気分転換だったんだろう」


ジュリアさんは収穫祭が好きだった。

だからこそ、彼女を元気づけるために収穫祭を開催したい。兄として何かできることはないか、ということだろう。最近はコミュニケーションがさほど上手く行っていないみたいだけれど、それでもスミスさんなりに頑張っているのだ。

そして、好きなものとかそういう情報は大事だ。脳の片隅に留めておきつつ、本題に移る。


「ところで提案について、なのですが……」

「ああ、そうだったね。聞こう」

「家庭教師の件について──ジュリアさんとリリィさん、別々でわたしに授業をさせてほしいのです」


わたしの目的はジュリアさんとリリィさんを結びつけること。それは変わりない。

だけれど、急ぎすぎては駄目だ。昨日の様子を見た限りでは、下手に両者とも刺激しかねない。

であれば、一人ずつに少しずつ取り入って、絆していく。

幸い、わたしは年少者。アカデミーでもそうやって他者に接触したことは数しれず、得意分野だ。


「ふむ……理由は?」

「それぞれの進捗に合わせるよりも、一人ずつ授業した方が効果は高いかと思いましたので。一人一人に接する時間こそ減りますが、その分、短時間で多くを教えることができます」


スミスさんは考え込んでいるようだった。

それもそうだ、わたしが用意してきた答えはいかにも建前らしいものなのだから。

だとしても、勝機はある。


「……まあ、君がそういうのなら確かに効果的なのだろう。……わかった。二人別々でやってくれて構わない」


スミスさんは、少しばかりわたしを買いかぶっている節がある。

”寵児”という肩書ゆえか、それほどまでに疲弊しているのか。

どちらにせよ、多少の要望は通せると踏んだのだ。


「ご安心を。必ず二人の仲は取り持ってみせますので」


その瞬間、僅かにスミスさんの目が見開かれた。


「……それなら、助かるよ」


きっと、彼にとっても妹二人の仲、というのは大切な問題なのだ。

だからこそ、わたし一人の問題じゃない。ここには人の命だってかかっている。

頑張らねば、と。わたしはもう一度決意を固めた。



◇ ◇ ◇


◇ ◇




「……本日よりお世話になります。家庭教師のルーシャです」

「昨日聞いたから大丈夫よ。そうね──取り敢えず、そこら辺にでも座ってちょうだい」


スミスさんと相談した結果、午前中はジュリアさんの授業から、ということになった。

昨日も来た部屋だ。その時にはあらぬべき一部始終を目撃してしまったわけだけれど。

とはいえ、部屋におかしな点は見当たらない。壁も、ベッドも、特に凹みとかは無いようだ。


「……それで。今日は何を教えてくれるのかしら」

「まずは魔法の基本原則からでしょうか。基礎無くして学べることはありませんから」


初授業のテーマに選んだものは、皮肉なことにわたしが使えない魔法についての基本原則だった。

仕方がないことではある。この世界で生きていくに当たって、魔法は便利過ぎるのだ。


「なぜ、わたし達が魔法を使えるか。その原理はご存知ですか?」

「……確か、体に溜まった魔力を使って、空中の魔素マナを操ってるのよね?」

「その通りです。きちんと復習なさっているのですね」


基本原則はしっかりと理解できているみたいだし、少し発展した内容まで今日は教えても良いかも、と。そう考えつつも、わたしはずっと気にしていた。


──ジュリアさんの様子を。


昨日、あんな風にリリィさんに当たっていたのだから、てっきり他者に対しての当たりが強い人なのだとばかり思っていたけれど。


「ここの部分、違います。基本四属性は『風』『水』『土』『火』の四つです」

「あら、すぐに直さなきゃ。教えてくれてありがとう」


比較的、物腰が柔らかいように思える。

間違いを指摘したら素直に直すし、知識の定着度だって決して低くはない。

昨日、リリィさんに当たっていた時とはまるで別人で。特につかえることもなく、あっさりと午前の授業は終わった。


「──以上で、今日の授業を終わります。……予定よりも、ずっと早い終了です。ジュリア様は賢い方、なのですね」

「あなたほどじゃないわ。──”知恵の寵児”さん? その年で凄いじゃない」


年の割に……というと、わたしよりも年上なのだから失礼か。

ただ、まだ 12才だという割には、常に人の顔色を伺っているように見えた。

今だって、わたしのことをそうやって褒めた。貴族だからこそ、だろうか。その辺りの態度が板についているのは。

だとしたら、軋轢から逃れることができる収穫祭を楽しみにしていたというのもわかる気がする。

それだけ、押し込められて生きてきたのだろう。


「それでは、わたしはこれにてお暇させていただきます」


とはいえ、今日はまだ初回だ。具体的に何か行動を起こせるわけでもない。

午後のリリィさんの授業準備をするため、荷物をまとめて。部屋から出ようとした時だった。


「……これは?」


壁際の棚、その上に置かれた一つの櫛。

飾り気がなければ、素材もどこか安っぽい。


そして、何よりもわたしの目を引いたのは、その隣に置かれた、麻袋の中の種だった。

見た目はいたって普通、植物のものらしい黒いもの。

とはいえ、なぜこんなものを部屋に置いておく必要があるのか。


どちらも、この部屋の調度品やジュリアさんの服装と比べれば不釣り合いに見えた。



「……大切なものよ」


次に返ってきたのは、先程の取り繕ったような声と違って低いトーン。

どこか刺々しい返事だった。


「……失礼いたしました。それと──何かお困りでしたら、いつでもわたしにご相談ください。家庭教師として、できる限りのことはしますから」

「……別に。足りてるから、そういうのは。あなただって忙しいんでしょう? いつまでも私に構っていてもいいの?」


明らかに拒絶されている。

未だ取り繕ったような口調だけれど、ある程度は彼女の素も出ているのだろう。

それならば、あまり刺激はしたくなかったけれど。

最後に一つだけ、確認しておきたいことがあった。


「いつかは一緒に授業をしたいと考えているのですが、リリィ様のことはどうお考えですか?」


間髪を入れずに答えは返ってきた。

その顔に、よそ行きのものらしき微笑を湛えたまま、ひどく冷めた声で。



「もちろん、可愛い妹に決まってるじゃない」



◇ ◇ ◇


◇ ◇




「ルーシャは、ぜんとたなん?」


午後に授業をするリリィさんの部屋に向かうために廊下を歩いている途中、鉢合わせしたミリアムがそんなことを聞いてくる。

ぽんぽん、と背伸びまでしてわざわざわたしの肩を叩きながら。


「……ほんと。すごい難しそう」


ジュリアさんから悩みを引き出すには、きっと一筋縄ではいかない。

なぜなら、ああやって取り繕ってくるのだから。

ただ、何か解決の糸口があるとすれば──それは、櫛と種にあるように思えた。

大切なものというのならば、もしかしたら思い出からのアプローチもできるかもしれない。


「……でもなあ」


だとしても、肝心のジュリアさんは少なくとも今のままじゃ絶対にあれが何か、なんて教えてくれそうにない。

心当たりがないか、今日の出来事を思い返していた時だった。


『……ジュリアは昔から収穫祭が好きだった』


ふと、スミスさんが口にしていたことを思い出した。

そうだ、あの麻袋と種は収穫祭の時に大衆に配られるもの。わたしの地域では皆でそれを撒く風習があった。


だとしたら……種は収穫祭の思い出と紐づいたもの?

仮にそうだったとして、櫛は何だというのだろう。一緒に置かれているのを鑑みるに、関係があるものとして結び付けることはできるかもしれないけれど。

まだ結論は出そうにない。これは自らヒントを探していくほかないのかもしれない。


それはさておき。次はリリィさんだ。

百合進行度は最後のジュリアさんの口調からはゼロに等しいことが読み取れる。

だけれど、わたしにできることはコツコツと土を耕すことだ。百合が咲かせられる土壌を作り出すのが雑草の役目なのだから。


「それじゃあ、ルーシャ。がんばって」

「ん、ミリアムもね」


リリィさんの部屋の前でミリアムと別れると深呼吸する。

人の事情に踏み込んでいく、というのはそれだけ大変なことだ。

意を決してわたしはドアを叩いた。



「──リリィ様。授業のお時間です」

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