第9話 追憶の果てに

「……ここは?」


 目を開けた先にあるのは天蓋のついたベッドに、見慣れぬ白を基調とした広い殺風景な部屋。

 掠れた声が出て喉の痛みを感じながら起き上がろうとして、体中に痛みが走った。あちこち怪我をしていることに遅れて気付く。


 意識を失う前まで私は何をしていた? 土埃と血生臭い場所にいたのではなかったのか。そっと再び目を瞑る。瞼の裏には部下たちの血しぶきが見えた。


 魔物の被害が酷いと聞いて部隊を動かしたのに、待っていたのは魔物ではなくホロックス王国の騎士たちだった。魔物被害が実は他国からの被害だったのか。それともあいつらは魔物を操っていたのか。


「お目覚めですか?」


 部屋に入ってきたのは、城の人間でも部下でもなくジスランだった。

 彼はいつものように綺麗な身なりをしている。部屋の中だというのに刺繍を施されたジャケットまで着て、今すぐに外出できそうだ。黒い手袋も相変わらずつけている。


「ジスラン? 何故、そなたがここに?」


 長めの黒髪を緩く後ろで束ねた男は、目が細くなって見えなくなるほどにこやかに笑いながら私のいるベッドの端に腰掛けた。


 彼がこちらに手を伸ばしてくるので、体中の痛みを無視して彼から距離を取る。彼はそんな私の警戒した様子に笑みを深めつつ、私の体の向こうにある水差しを取り上げグラスに水を注いで差し出した。


 グラスを受け取りながら考える。これは一体、どういう状況なのだ。

 なぜ、この武器商人がここに? ここは商会の支部か?


 彼のことはずっと苦手だった。

 彼とは頻繁に直接やり取りをしたが、私の最も苦手な緑の目を持っていた。あの緑の目を見ると、私の心は異様にざわつくので商談でもいつでもなるべく視線を合わせないようにしていた。今ももちろんそうだ。彼の目ではなく首や胸辺りに視線を固定する。


「私があなたを助け出しました。他の方々もです。ホロックス王国の騎士たちがこちらまで入り込んでいたようですね」

「……ありがとう。他の皆はどこに?」


 ジスランは無言で首を振る。敵の数も爆薬も多かったが……私の精鋭部隊の騎士が一人残らずやられた? 嘘だろう?


「嘘だ……なぜ私だけ助かっている?」


 降り注ぐ矢や釘、爆薬の匂いと強い光も覚えている。そこから記憶が飛んでいた。いくら国境に近いとはいえ、森にあの人数がいるなどあり得ない。あそこを管轄する領主と辺境伯は何をしていた? 魔物がいるからと監視を怠ってみすみす侵攻を見逃したのか?


「殿下は騎士たちの下敷きになっておられました。そう、まるで守り隠すように彼らは殿下の上に倒れていたのです。だから、私が到着してホロックス王国の者たちを蹴散らした時も殿下は敵に見つからずご無事でした」

「……はっ」


 あまりの事実に、私は自分を嘲笑った。


「私は気を失い、のうのうと部下たちに守られたのか。部下たちは死んでまで敵と勇敢に戦ったのに」

「私が傭兵を連れて到着した時には手遅れでした。申し訳ございません」

「なぜ、そなたが謝る。これは完全に私の失態だ」


 そこでふと疑問が湧いてくる。


「なぜ、わざわざあの場所に傭兵を引き連れて来たのだ。辺境伯や領主の軍ではなく、そなたが」


 ジスランは普段通り、何を考えているのか分からない笑みを浮かべている。彼はいつもこうだ。無茶な注文をしても、商品に文句をつけてもこんな笑みを浮かべている。


「もしかして私を疑っているのですか? フレイヤ殿下」

「いや、殺すなら私を見殺しにすれば良かったはず。わざわざ助けることはない」

「殿下はお得意様ですし、恩を売るために助けたともいえます」

「私がお得意様なのではなく、国がお得意様だろう」


 体の痛みに顔をしかめながら、頭の中でいろいろ考えた。


「とにかく、兄と父に知らせを送らなければ。あの鎧はホロックス王国のものだ。かの国が我が国に侵攻を始め、もう国境を越えている。あの他にもっと人数がいれば大変なことに」

「やめておいた方がいいと思いますよ」


 ベッドから下りようとした私を、ジスランは体で遮ってやんわりと止める。彼の目がすぐ近くあって慌てて逸らした。


「なぜだ?」

「殿下をミトラ地方に送ったのは誰だったでしょう?」

「父だが……」

「殿下も薄々感じていらっしゃるのでしょう? 殿下は国民に大変人気があります。勇者の再来とまで言われていますから」

「何が言いたい」

「国王陛下と王太子殿下があなたを嵌めるために、ここに送ったのですよ。ホロックス王国はうまく誘導されたのか、わが国と結託しているのか分かりませんが」


 他人の口からその可能性を聞くのは辛かった。

 父と兄が自分の座を脅かすのではないかという目で私を見ているのは、もちろん分かっていた。私を軍人王女にしたのは間違いなく父なのに。私が活躍すればするほど、家族であるはずの彼らとは距離ができていった。


 なぜあんな目で私を見るのだろう。国民を、国を他国・魔物の脅威から守ったのに。なぜ、そんな化け物を見るような目で私を見るのか。称えて欲しいとも感謝して欲しいとも思っていない。だって、私が間に合わずに亡くなってしまった人もいる。


 感謝の言葉が毎回欲しいわけではない。「救われました」なんて言って欲しいわけじゃない。ただ、許しが欲しかった。「あなたはこれだけ救ったのだから、一握り救えなくてももう許されましたよ」という許しが。


 兄と父に否定したところでわざとらしいではないか。わざわざ「王位を狙ってなどいません」なんて口にするのは逆の意味に捉えられかねない。王位継承権だっていつでも放棄したのに。


 しかし、国民の目に触れる機会は私が圧倒的に多かった。そして人気があるのも事実だった。「フレイヤ殿下を次期女王に」なんて声だってあるのは知っていた。そんなつもりは毛頭なかったのに。だって、私には罪があるから。


 ただ、一人でも多く守りたかっただけだった。全員は難しいことなど分かっている、でも手を伸ばせば届く距離にいる人はすべて。そう誓ったのだ、あの日に。誰かを守れなかった自分に。



 人身売買が行われていると密告があって、出航前の船に乗り込んで組織を制圧したことがある。しかし、間に合わずに死んだ子供だっていた。


 鮮明に覚えている。死んだ弟らしき子供を腕に抱いたガリガリの男の子が、大きな緑の目で私を射抜いていたことを。

 だから緑は苦手だ。あの目を思い出す。勇者の再来と呼ばれながら、お前は大して救えていないじゃないかと突き付けられるから。



「フレイヤ殿下が生きていると王太子殿下に知られたら、すぐ殺しに来ますよ。試してみますか?」

「……そもそもジスランだってここにいるのはおかしいだろう。お前がすでに兄と父のスパイかもしれない」

「あなたの副隊長の方がどう見ても王太子殿下のスパイですけれども。彼だけが現時点で行方不明です。怪しすぎますね」


 私が何も言えないでいると、ジスランは続けた。


「副隊長のお兄様は王太子殿下の側近ではないですか」

「そうだな。でも、アルベルトが裏切ったと決まったわけでは……」


 ぎゅっと拳を握ると、体が痛みを訴えてくる。

 魔物がいるという情報だったのに、いたのはホロックス王国の騎士たち。しかも囲い込むように配置された爆薬。用意が良すぎる。つまり……これらが示すのは……。


 その可能性に本当に行きついてしまったら、もう息ができない。


 急に肩が温かくなった。ジスランが私の肩に手を置いている。その手は小刻みに震えていた。その震えを見て感じているうちに、少しだけ冷静になった。


「お前だって私を人質にして他国と交渉するかもしれない。お前は他国にも武器を売っているそうだからな。情報なら商人が一番持っているだろう」

「私が他国に武器を売っているというお話は誰から聞いたので?」

「……兄だ」


 そんな兄との何気ない会話まで嘘だったような気がしてきて、もう何を信じていいのか分からなくなった。


「我が商会も一枚岩ではないので。会長の実子あたりが他国にも売っているかもしれませんね。開発競争ですから、うちが作ってもすぐに真似されます」

「お前は他国に売っていないと?」

「売っていません。私は殿下だけの武器商人です」


 ジスランはしれっと答える。そう、彼はいつ呼びつけてもすぐにやって来た。

しゃらりと彼の耳で大ぶりの翡翠のイヤリングが揺れる。


 ジスランをこき使ってきた自覚が一応あったので私は黙り込む。水を一気に飲み干すと、彼はすぐに次を注いだ。

 水がグラスにゆっくり落下するさまを私はぼんやりと眺めた。


「殿下の国民を守りたいというお気持ちに共感したからこそ、私は殿下のためにいいブツを毎回揃えているのです」

「それで? 私を保護したのか、捕獲したのか知らないが、どうするつもりだ」

「それをお聞きしたいのは私の方です」


 グラスを差し出され、受け取ろうとしたがするりと手から抜かれた。子供の悪戯のようなことをされ、思わず私はジスランの目を見てしまった。


「どうか……目を逸らさないでください。私からではなく、殿下の心から」


 グラスの中で水が揺れて、私にわずかにかかった。その冷たさに少しばかり冷静になる。

 いつもならすぐ逸らす視線をジスランの翡翠色の目に固定した。


 この色を見ると、だらりと力なく垂れた子供の小さな細い手を瞬時に思い出す。暗い船室で人身売買の組織を摘発した時のことだ。いつもそこで私は目を逸らした。心の奥底から湧き上がってくる痛みを感じないように。


 今日は死にかけたせいか妙な気分だった。

 一通り死んだ子供のことを思い出すと、記憶の中で翡翠色の目が何かと一致した。思い出すのではない、完全に一致した。

 あの死んだ子供を抱いていた男の子は黒髪ではなかっただろうか。私がしゃがんで、目を合わせた子供の目は緑どころか翡翠色だった。


 その事実に行きついて、まさかそんなわけはないと目の前の男を眺めた。あの子はガリガリでもっと幼かった。

 私の変化に気付いたのだろう、目の前の賢い警戒すべき男は笑った。しかし、その笑顔はいつもよりも悲し気だった。


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