第8話 ジスラン・ギルモア3

「この時期にホロックス王国がここまで攻めてくるとは珍しいな、ジスランの若頭」

「簡単な話だろう。こいつらに聞いてみようか」


 お抱えの傭兵たちが倒したホロックス王国の騎士たちの亡骸を踏んで、まだ息がある騎士を足で蹴る。


「森にとどまっていたのか? それとも、辺境伯と結託したのか?」

「若頭。もうそいつは虫の息だ」


 私は肩をすくめて、魔力銃ではない銃弾が必要な普通の銃でその騎士の胸を正確に撃った。


「うへぇ、相変わらず容赦ねぇな」

「領主に見せるために、ここに全員串刺しにしておくか」

「脅すのかい」

「あぁ、なんといってもここの領主は反逆者だから」

「若頭、こっちの二人は息がある」

「拷問して吐かせろ」

「分かった、いつも通りだな」


 一人の傭兵が二人のホロックス王国の騎士を引きずって連れて行くのと入れ替わりに、他の傭兵たちが戻って来た。それぞれ死体を抱えている。


「ひでぇ有様だ。そこら中で爆薬を派手に使ってやがる。王女殿下が魔物狩りをするからって人払いまで済んでたからだろうな。釘だの金属だのだらけだ」

「殿下の部隊の生存者は?」

「……殿下だけだ。あとは人数が一人足りねぇ」

「その一人なら副隊長だ、居場所の目星はついている。さて、後の掃除は頼めるか? 地雷の設置も」

「あぁ、いつも通りだろ。だが、地雷はマジで設置していいのか? ここの領民が犠牲になるかもしれん」

「魔物が出るという情報が流れているから領民は近付かない。近付くのは関係者かホロックスの軍だ」

「わかった。なら問題ないな」


 ニカっと笑う傭兵たちに後を託して馬車に乗り込むとエジルが待っていた。


「若頭、殿下の処置は終わりました」

「シェリンガム副隊長の行方は探れたか」

「領主の屋敷の地下牢にいるという情報があります。暴行された形跡があると」

「生かしてあるだろうな。彼を裏切者にすればいい話だから」

「では、我々はもう隠家に向かいますか」

「あぁ、馬車を出してくれ」


 エジルは頭を下げ、馬車を動かすために出て行った。

 馬車の座席には意識のないフレイヤ王女が横たわっている。私は彼女の包帯が巻かれた手をそっと取った。


「あなたは、これからどんな決断を下されるのでしょう」


 フレイヤ王女の脈を確認してから、壊れ物にでも触るように彼女の手に口付ける。自分が震えているのが分かる。

 なぜなら、彼女は私ごときが触れてはいけない人だ。それでも、触れたいと浅ましくも思ってしまう。彼女の手をそっと戻す。


「ご家族と貴族の裏切りに絶望するのか、逃げるのか、それとも戦うのか」


 殿下の部隊が壊滅したのは簡単な話だ。エジルの仕入れた情報に偽りはない。

 魔物の発生はあったが、ミトラ地方では収束していた。おそらく、どうにかして他の地域に魔物を追い立てたのだろう。王家と辺境伯と領主が結託すれば可能だ。


 王家はミトラ地方へ王女の部隊を出向かせ、辺境伯と領主はホロックス王国の騎士たちがこちらの領土に踏み込んでいるのを無視すればいい。元々ホロックスとミトラ地方周辺での小競り合いは魔物が出ない時期に頻繁に起きていた。


 魔物が出現しなくなった情報を流せば、ホロックスは好戦的だからさっさと攻めてくるのは分かり切っている。もし攻めてこなくとも、ホロックスの仕業に見せかけて王女の部隊を攻撃すればいい。

 王女の部隊は精鋭揃いだから、こんな風にだまし討ちをされてもある程度は反撃できるはずだった。しかし、これほどの爆薬を事前に仕込まれては無理がある。恐ろしいほどの身体能力を誇る王女でも無理なものは無理だ。


 フレイヤ王女は身を粉にして国のために戦っていた。


 しかし、国王と王太子は違ったわけだ。彼らは自分たちにない力を持つ王女をこき使いながらも、過剰に恐れた。国民からの人気が一等高い彼女を、自分たちの地位を脅かす存在に感じ始めたのだ。

 それに、彼女が戦争に出て行くと勝利や相手の降伏で早く収束する。戦争が長引いて得をする層には受けが良くない。


「あなたのご決断がどうであれ、私はどこへでもついて行きます。あの日にそう誓いました」



 暗い船室で私は初めて彼女に会った。


 私がいた孤児院の職員は、口減らし兼自分の金儲けのために私ともう一人を売ったのだ。出入りの商人の荷物運びを手伝ってこいと言われ、そのまま馬車の中に突っ込まれて攫われた。二人くらいなら逃げたとか、引き取られたと言えば怪しまれない。


 明らかに異国に向かう船の暗い船室に多くの人と共に詰め込まれて、人身売買だろうと嫌でも分かった。もう一人の体の弱い孤児はすぐに体調がおかしくなった。

 孤児院でもしょっちゅう熱を出していた子供だ。名前は……彼は何人目のトムだっただろうか。如何せんあの孤児院は適当なのだ。女の子であればこれ、男の子であればこれと数パターンしか名前がなかった。私は何人目かのジョージで、彼は何人目かのトムだった。


 こんなに体が弱ければ、見捨てられて当然だ。よくこれまで生きてこれたものだ。私はきっと反抗的で生意気だから手を焼かれてとうとう捨てられたのだ。年齢的にももうすぐ孤児院を追い出される時期だった。


 暗い一室に多くの人と共に詰め込まれて長い時間が経ったような気がした。実質四日も経っていなかっただろう。


 急に外が騒がしくなって、扉が乱暴に開かれる。

 見張り役だった男が殴られたのが遠目に見えた。詰め込まれた人々がザワザワし始め、なぜか入り口に近い人々から外に出始める。私ともう一人は一番奥にいたから最後だった。閉じ込められてから、久しぶりに風を感じた。


 ぼんやり出て行く人々を眺めていて、ふと気付いたらぐったりと壁に体を預けたトムが息をしていなかった。熱を出して熱かったはずの体は冷えている。

 私は側にいたのに何も気づかなかった。もちろん、薬を飲ませることも水を調達することもできなかったが。食べ物だって与えられていなかったのだ。


 すぐ隣で命が消えて行っていることに呆然としていると、その間に他の人々は避難を終えていた。ぐったりしているトムの体をペタペタ触っていたら、カシャカシャという硬質な音と共に誰かが近付いて来た。


 顔を上げて驚いた。

 その子はこの船室に不釣り合いなほどあまりに明るく綺麗で、若かった。どう見ても自分と同い年くらいの子供が、鎧を着た騎士たちを偉そうに引き連れて剣を腰に引っ提げて私を見下ろしていた。


 思わず、トムを守るように抱いてその子の紫の目を見上げる。

 あまりに綺麗だった。これまで見たどの景色と色と人物よりも。


 彼女の後ろにいた騎士が、私の腕の中のトムに触れて首を横に振る。その途端にそれまで無表情だった彼女の顔が歪んだ。


 一瞬だけ、トムになりたいと思った。トムがこの綺麗な子にこんな表情をさせるなんて。明らかに彼女の心の何割かをトムが占めていた。


 気付いたら、騎士がトムを抱えてどこかへ連れて行っていた。自分の腕の中からトムがいなくなり、冷たくなくなったがあったはずの存在がなくなってスースーした。


「間に合わなくて……すまない」


 スースーする感触に慣れないでいると、綺麗な子がしゃがんで目線を合わせ、泣きそうな顔で謝っていた。私の口からは不規則な息しか漏れず、その子に何も言葉を返せなかった。なぜなら、彼女があまりに美しかったから。口がうっかり半開きになったほどだ。


「フレイヤ殿下、こちらはお任せください」

「あぁ」


 彼女は私から視線をはがすと、金色の髪を揺らして去っていく。

 私は騎士に付き添われて、二人で押し込まれた船を一人で下りた。診察を受けて少しベッドの上で眠り、解放される。そこまで私は夢見心地だった。

 攫われて異国に売られそうだったのに。悪夢のような出来事だったはずなのに、私の頭の中は最後に会ったあのフレイヤ王女のことでいっぱいだった。


 自分がせめて末端でも貴族であれば。孤児でなければ夢を見ても許されただろう。

 彼女の目に映りたい、彼女の声を間近で聞きたい、彼女の通った道のすぐあとをついて歩きたい。彼女の服の端の端でいいから口付けをしたい。

 でも、彼女は気高い軍人王女で自分は薄汚い孤児だった。


 ガリガリの栄養失調寸前の孤児には騎士になる道はなかった。十四歳で遅すぎた。だから、方向を変えた。ない頭を絞ろう。

 孤児院に出入りしていた商人のところにはもちろん行かず、孤児院にも戻らずに、台頭を始めていたギルモア商会の門を叩いたのだ。


 せめて私はあなたの影になりたい。

 間近で目に映りたいとも、声を聞きたいとも思わないから。存在を認識して欲しいとも願わないから。私はあなたの髪の毛一本にさえ劣る存在だから。


 あなたが手にする武器は私が用意したい。あなたの身を守る物もすべて。

 あなたがこのウィンナイト王国の光であり続ける存在ならば、私はあなたに踏まれる足元の影でありたい。


 馬車の座席ではなく、床に座り込んで隠家に到着するまで触れることなくずっと彼女の顔を眺めていた。


 あの日に悲し気に謝ってくれた彼女は、ずっと美しくなって私の前で傷だらけで目を閉じていた。もちろん、武器商人として挨拶に行った時も彼女は美しかったが。


 ホロックスが爆薬を買い込んでいる話は知っていたし、魔物出没の情報が間違っていることも分かっていた。エジルから彼女に情報も提供した。でも、彼女は家族を、辺境伯たちを信じていた。裏切りは目の当たりにしなければ分からない。


 彼女の装備には特別な魔石を仕込んでいた。だから、彼女の傷は他に比べて格段に少ない。もちろん、彼女を庇った騎士の存在もある。


「副隊長は結局、どちらについたのでしょうね。直前で裏切ろうとしたのが王家側にバレたのでしょうか」


 エジルが外から声をかけて来たので、私はそっと王女を抱き上げて運ぶ。やはり彼女に触れる己の手は震えていた。

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