第5話 護衛騎士の墓

 私は一人で墓地に突っ立っていた。腰にはギルモア商会の小銃をぶら下げている。


 私に護衛がいないのは、直属の部隊を持って以来ずっとだ。

 副隊長のアルベルトはうるさく言ってくるが、残念ながら護衛につく騎士は私より弱いので足手まといなのだ。どこからか送られてくる刺客を何度も殺していたら、さすがに向こうも懲りたらしい。そんなことをしなくても他国の差し金なら戦場で私を殺せばいい話だ。そちらの方が証拠も残りにくい。


 なんとはなしに、腰の小銃に手を当てる。小銃は持っていても剣の方が手に馴染んでいた。しかし、今はこれがあると落ち着く。

 体の中にある魔力が枯渇するまで撃てる銃はいい。魔石や銃弾は装填でどうしても間ができる。ジスランは言及しなかったが、最悪の場合は自決用としても使える。


 魔力だけで使える大砲も欲しいが、まだ開発中のようであるし持っていくのが大変だ。使える地形も限られる。


 明後日からはイルシュ地方に遠征。イルシュの魔物討伐が終われば、国境付近の魔物討伐。


「いつまで戦えばいいんだろうな、カイゼル」


 誰もいない墓地で、ある墓石に私は高価な酒を遠慮なくドボドボかけた。

 彼は私がまだ十二だった頃、ブラックウルフの群れに襲われた時に唯一死んだ私の護衛騎士だ。他の騎士たちは怪我をしたものの、一命はとりとめた。治癒の魔法で怪我を治し、私の直属部隊に入ってくれた者もいる。


 カイゼルと特別仲が良かったわけではない。だが、遠征の前にはいつも彼の墓参りに来る。私の覚醒がもう少し早ければ、彼は死ななかったはずだから。


 カイゼルを筆頭に、私はいつも指の隙間から取りこぼしてきた。

 あの時はブラックウルフたちを殺すことに必死で、城に戻ってからは剣術の稽古を格段に増やされて、カイゼルが死んだことなんて知らなかった。

 稽古をつけてくれた騎士団長がしばらく経ってから教えてくれたのだ。

 それ以来、彼が好きだったという酒を持って私は墓参りにやって来る。


 何が勇者の力だ。何が覚醒だ。

 私の伸ばした手の先から、よく誰かの命がこぼれ落ちた。その度に私は自分の心が徐々に死んでいくのを感じる。最初は泣いていた。もう涙も出ない。


 私が覚醒さえしなければこんなことは思わなかっただろう。

 覚醒なんてしなければ、私は馬車の中で乳母と一緒に震えて、護衛騎士が全員死んでも王女として普通の罪悪感しか持たなかった。護衛騎士が王女を守るのは当たり前だから。なんならあそこで私もブラックウルフによって死んでいたはずだ。


 人身売買の事件で子供の救出が間に合わなくて死んでも、「あぁ、可哀想に」と心を少しばかり痛めるだけで済んだだろうに。私は見てしまった。だらりと力なく垂れた子供の小さな細い手。気絶でも何でもなく命が完全に失われた様を。そしてあの緑の目。


 そんなことをグルグル考えてしまい、瓶の中に二割ほど残った酒を呷った。

 強くて喉が焼けるような酒だ。酒などほとんど飲まない私はその喉の痛みに少しむせて、生きている感触を味わった。戦場にいると、平常時は痛みでしか生きている感覚がしない。痛みを感じた時に私は安心する。あぁ、私はまた無駄に生き永らえたのだと。きっと、神は私を嫌っているからこんな勇者紛いの力を与えたに違いない。


 私はあの日、ブラックウルフに囲まれてなぜ馬車から下りたのだろう。

 震えていれば良かったのに。体の中の熱い感覚が「戦え」と叫んだのか、それとも乳母を守りたかったのか、自分が生き延びたかったからなのか。


 空になった瓶を持ったまま、墓地を出ると目の前を馬車が横切った。

 馬車は私が立っている少し先で停止した。ここは貴族の墓地だ。誰か来たのだろうと考え、城に戻ろうとすると前から呼びかけられた。


 私が進もうとする道に止まった馬車から出てきたのは、愛想のいい胡散臭い笑顔を浮かべたジスラン・ギルモアだった。黒っぽい服に身を包んだ彼は相変わらずどこかの貴族の令息に見えた。洒落た刺繍が裏地に施されたジャケットにズボンとブーツ、いつもの翡翠のイヤリング。王女である私の方が装飾品もジャケットもなく、彼より簡素な格好をしている。


「なぜここに?」

「この先で用事を済ましてきたところです。お一人ならお送りしましょう」

「別にいい。歩いて帰る」

「同じ方向ですから。それに、この上にあるのは平民用の墓地です。殿下と同じ用事を私は済ませたところです」


 無視することもできた。私は王女なのだから、いくら付き合いのある商人といっても無視すればいい、それか「どけ」と命令するか。

 しかし、いつもよりも湿っぽい雰囲気にそれはできなかった。黙ってジスランの手を取ると、馬車に乗った。恐らく、一人になるとグルグル考えそうだったからだ。


 王家の馬車には劣るが、広くて振動の少ない馬車だった。


「おや、会長もこの酒が好きなのです」

「へぇそうか。じゃあ、国境から帰ってきたら届けさせよう」

「殿下のところに行ったら商談が成立するので、最近は週に何度も飲んでいます」


 ジスランは私の手にしていた瓶を自然な動作で受け取ると「こちらで捨てておきましょう」と荷物に入れてしまった。


「家族の墓参りなのか?」

「私は孤児ですので、家族はおりません。あぁ、でも病気で亡くなった仲のいい孤児なので家族と言ってもいいかもしれませんね」

「それは、すまない。てっきり、親戚の家から会長の養子になったのかと」

「会長は懐の広い方なので、孤児でも拾ってくれたのです。殿下は部下だった騎士の方の墓参りですか?」

「私の護衛騎士だった男だ。私が強くなる前に私を守って死んだ」

「それは素敵ですね」

「何がだ」


 思わず声が鋭くなった。

 大抵の者は私の不機嫌さに委縮するはずなのに、ジスランはふざけたように両手を胸の前に上げる。


「王女殿下が彼の死を後悔しているようだったので、わざと反対のことを申してみただけです」

「器用なことだ」


 私を守って死んだ騎士が素敵か。馬鹿馬鹿しい。

 

「そもそも、自分のことも分からないのに他人の気持ちまで推し量ろうなどというのは傲慢ではありませんか」

「何?」


 続いたジスランの言葉に私は顔をしかめた。対照的に彼は笑っている。


「他人の気持ちを理解することなどできないのですから、殿下を守って死んだ騎士様の気持ちだって分からないではないですか。それを素敵だと思うか、馬鹿馬鹿しいと思うかは残された者の勝手です」


 胸がほんの少しだけ痛くなった。それは無理矢理忘れようと心の奥底に沈めた痛みが浮上したかのようだった。私は浮き上がってくるそれを必死で無視した。


「そういえば、もうそろそろ殿下にご満足いただけるような魔力狙撃銃ができそうです。大砲は魔力がかなり必要ですので後回しにしていますが、狙撃銃なら貴族の方々の魔力量で十二分に使えるでしょう」


 この男は頭が良い。

 私が先ほどの話題を続けたくないのを悟ると、瞬時に違う話題に切り替えた。私も心の痛みを無視してその話題に頷いた。


「遠征から帰ってきた時を楽しみにしている」



 ジスランは王女を城まで送ると商会本部に馬車を向かわせた。

 荷物の中から王女から受け取った酒瓶を取り出して、飲み口をそっと撫でる。その後、彼女が座っていた馬車の座席を撫でて頬を寄せた。


 ジスランの付き人であるエジルはなかなか馬車から出てこないジスランを心配して様子を見に来たが、扉を開けた瞬間何をしているか察知したらしい。すぐに扉を閉めた。


「まだ、あなたはご自分を許せないのですね。王女殿下」


 馬車の床に跪き、座席に頬を当てて置いたままの酒瓶を眺めた。


「私もあの子も、カイゼルという護衛騎士もあなたをとっくに許しているというのに。どうしてあなたは」


 そこで言葉を切ると、ジスランはそっとそのまま目を閉じた。痺れを切らしたエジルがもう一度扉を叩くまで。

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