第4話 ジスラン・ギルモア2

 フレイヤ王女はギルモア商会の商品をいたくお気に召したらしい。彼女の好みを徹底的に調べて合わせたのだから当然だ。

 一週間以内にはベッグフォード商会との取引をすべてやめて、ギルモア商会に切り替えていた。


 そもそも表面的には風邪のような症状しか出ないデンゼル病の感染をいまだに止められないのに、魔石に移行せずに魔法使いにほとんど頼っていたベッグフォード商会が間違いなのだ。一人ずつ違うところに隔離して外出を制限して、使用人をつけようとも。王家御用達の看板に胡坐をかきすぎた結果だ。


 もう、人間は魔石に頼らず魔法を使うことはできない。しかも魔石はその辺の石でも代用できるわけではない。たくさんの魔力を込めようとすれば、それなりの強度がいる。許容量を超えて魔力を込めると簡単に粉々になる。


 今、目の前のフレイヤ王女はこの前の軍靴を手にして私の前に出した。


「これはもう少し厚底にできないか」

「そうすると歩きにくさを感じると思います。この高さが最も歩きやすい設計です」

「しかし、ホロックス王国は爆薬に釘を混ぜて使ってくる。踏んだらこのそこの厚さなら貫通するだろう」

「これは中に特殊な加工がしてあるので、踏んでも中まで貫通しません。お試しください」


 魔法が魔石なしに使えないのはどこの国も同じだ。

 魔法使いを戦争に駆り出そうとしても、デンゼル病にかかる。だから戦争のために世界で発明合戦が繰り広げられているのだ。魔石を使った大砲や銃も初期に発明されたが、魔石の膨大に必要なので早々に廃れた。魔石は便利に思えるが、再利用もできない上に魔力を取り出す効率が悪い。100の魔力を込めても60しか使えないのだ。四割は漏れだすなどしてしまう。


 だから各国は魔石の効率を上げようと研究をしている。そんな研究をせず、早々に魔法に見切りをつけて新兵器の開発に勤しむ国もある。爆薬に釘だのなんだのを混ぜる非人道的なやり方もそうやって生まれるのだ。


 釘が靴の中まで貫通しないことを確認したフレイヤ王女は嬉しそうに笑った。

 私と目が合いそうになってすぐに逸らす。こんな下々の者と彼女は目を合わせる必要がない。私は彼女の部下でもないのだから。別に彼女に八年と四カ月前に会ったことを覚えておいて欲しかった、なんていう情けないことを言うつもりはない。


 あの時の私は本当に情けなかった。

 孤児院にいたから栄養が足りずにガリガリで、目ばかり大きい気持ち悪い子供だった。無力で攫われてロクな抵抗もできずに、彼女に助けられるしか能がなかった。

 どうか、あの時の自分を覚えていないで欲しい。あの無力で情けない自分を。そもそもあの頃はジスランという名前さえなかった。ジスランという名前は会長がつけてくれた。


「今度の遠征はイルシュ地方だ。その後、すぐに国境近くに行かなければいけない」

「雪が心配でしょう」

「そうだ、しかし帰って来ている時間はない。せっかくジスランの発明で魔石の量が減って荷物も減るのに」


 さらりと名前で呼ばれるようになっても反応はしない。私は地図を取り出すと、ちょうど中間地点を指差した。


「ギルモア商会の支部がここにあります。必要な商品はここにすべてご用意しておきますので、ここで補給して国境付近に向かってはいかがでしょうか」

「できるのか?」

「ギルモア商会は元々平民向けの商会です。支部も各地にありますのでご安心ください。国境付近で不要な装備はこちらに置いていっていただければ、王都にお送りしましょう」

「うーん、それは素晴らしいな。この辺りは辺鄙だから商会の支部はないと思っていた」

「フレイヤ王女殿下のためにギルモア商会はバックアップを惜しみません。ついでに魔物の素材もこちらで買い取らせていただければ」

「それはぜひ頼みたいな。日数的には間に合うのか」

「問題ありません。他の支部からもかき集めます」


 今日の王女殿下は特に上機嫌だ。彼女の機嫌と反比例しているのは彼女の隣で口を時々挟んでくる副隊長の機嫌だ。


 商談が終わって廊下を歩いていると、後ろから貴族にしてはせかせかした足音が追ってきた。

 すぐに立ち止まってハンカチを落とした演技をして拾い、その足音が追いついてくるのを待った。


 振り向くと、やはり副隊長であるアルベルト・シェリンガムがいた。


「これはシェリンガム副隊長。何か商品に不備でもございましたでしょうか」


 真っ直ぐに名前を呼ぶと、彼は名前を覚えられているのが不快だとでもいうように顔をしかめた。


「殿下に気に入られたからと、商人風情が調子に乗るな」


 あぁ、思ったよりも器が小さい男だな。スパイとして王女殿下の元に送り込まれたのに、殿下への思慕で板挟みになって孤児あがりの商人風情に八つ当たりか。


 私が殿下に名前を呼ばれた時のこの男の顔と言ったら。三男であるせいなのか、貴族とは思えないほど分かりやすい。


 そう会長に話せば「お前が鋭すぎんだよ」と言われた。見れば分かるではないか、感情が揺れた時の独特の空気の動き・唇の周辺の筋肉や指先が若干緊張する様子・普段と違う視線の動かし方。恐らく孤児院時代にこれらは身に着けたものだ。大人の顔色を窺わないと暴力を振るわれる孤児院だったから。


 殿下の呼び出しを受けて日参するたびに、この男の表情はどんどん苦々しくなっていった。

 アルベルト・シェリンガムを前に私は笑みを崩さない。いや、こんなつまらない男を前に崩す必要もない。剣の腕と実家の爵位だけで王女の側に侍っているだけの男に。この男よりも王女の部隊の騎士たちの方がかなりマシだ。


「商品の不備でもないのに、たったそれだけのことをおっしゃるために私のような孤児あがりの商人風情を追いかけて来てくださったのですか」


 こいつの実家も、ベッグフォード商会から付け届けを貰っていたことは公にしていないだけで分かっている。ベッグフォード商会からうちに乗り換えたことも嫌なのだろう。


「我々商人風情が安全に商品を運べるのも、商売ができるのも、王女殿下が他国との諍いで勝ち、魔物狩りのために国中に遠征していただけるおかげなのです。その恩に報いているだけでございます」


 平民はフレイヤ王女を英雄だと見なしている。

 彼女が王族にしては気さくで、遠征の度に国民の前に姿を現しているからだ。私の発言を目の前の男は決して否定できない。否定してはいけない。


「なぜ国境付近の魔物の情報を知っている」

「あの辺りにもギルモア商会の支部があるのですよ。魔物が増えると我々としても取引に影響がありますから。ベッグフォード商会のような大手なら護衛をたくさん雇えるので気にしないでしょうけれども」


 アルベルト・シェリンガムはそれ以上突っ込めないようで、携帯食について少しばかり文句を言った後で、立ち去った。


 邪魔な上に小さい男だ。

 フレイヤ王女殿下につくのか、それとも王太子の方につくのかいい加減にはっきりさせればいいのに。二股をかけた状態で八つ当たりするなど。貴族はこれだから面倒だ。


 命も懸けられない男が王女の一番側にいてはいけない。あの男ではいけない。もっとマシな男ならば、彼女のために命を懸けられるような男だったら私はきっと納得したのに。


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