第3話 ジスラン・ギルモア
「おい、ジスラン。帰るぞ」
フレイヤ王女の背中をじぃと見送っていると、養父であり会長が声をかけてくる。さきほどまでは王女の手前堅苦しい話し方だったが、すでに口調は元通りになっている。
「会長。今日はありがとうございました」
「一人でも大丈夫だったくせにな。まぁ、王族に顔が繋げるから同席するのは別にいいんだが。で、どうだったんだ。十年ぶりくらいに会うお前の神様に等しい王女様は」
どうだったか。
一言で表せるものだろうか、彼女への感情は。
それに十年ぶりではない。フレイヤ・ウィンナイトに以前会ったのは彼女が十四歳の時だ。まだ彼女が戦争だの魔物狩りだのに駆り出される前。私自身も十四歳だった。だから、今日会ったのは八年と四カ月ぶりだ。
こう口にすると会長に気味悪がられるので、もちろん口にはしない。
あれは勇者の力を覚醒させた王女として実験的に騎士団を率いる権限を与えられ、人身売買の事件を追っている頃だった。解決してから、彼女は魔物狩りや隣国との小競り合いに赴くようになった。
良い言い方をすれば、彼女はウィンナイト王国の光輝く希望だ。勇者の再来、彼女さえいれば安全。国民からの人気も高い。悪い言い方をすれば、王女だからと奴隷のように現国王に使い潰される存在。正直、次期女王にフレイヤ王女をという声まである。
八年四か月ぶりに近距離で見たフレイヤ王女はあの時よりも堂々として、騎士たちを引き連れて威厳に溢れていた。それでいて美しかった。太陽の光を集めたような金髪を一つに束ねて揺らし、魔力銃を最初はバカにしたように見ていたのに試射すると彼女の紫の目は好奇心で輝いていた。
あの日、暗い船室で私に「すまない」としゃがんで言ってくれたのと同じ紫の目だ。
過去を思い出しながら、試射のために彼女に渡したサンプルの魔力銃を殺害現場の証拠よりも大事に抱える。最初に顔を合わせた部屋で彼女がもしイスに座っていたのなら、今からでも戻ってその地面とイスに頬と唇を当てたい。
「あの副隊長が邪魔です」
「おい、まだ城の中なのに物騒なことを言うんじゃねぇ」
会長の顔の方が物騒なのにそこを気にするのか。
「あの副隊長、侯爵家の三男だ。しかも王女だって数代前に降嫁したことがある由緒正しい家だ。俺たちとは違う」
「はい、とっくに調べてあります」
「喧嘩を売るのか知らないが、足をすくわれないようにしとけ」
「はい、会長の教え通りに」
「あの男が恐らく、王女殿下の結婚相手の最有力候補だろうからな」
「はい。アルベルト・シェリンガム。シェリンガム侯爵家の三男。王女殿下の直属部隊発足時からずっと副隊長に居座っています。あの家の長男が王太子の側近ですから、最初はスパイとして入れられたのでしょう。剣の腕もかなりのものですし」
「お前……他の部門の商品にももっとそのやる気を向けたらどうだ。お前なら今すぐできるだろ」
「それですと、会長の本当のお子様たちのやることがなくなってしまいますよ」
「いいんだよ。商人に向いてないのに、無理に商人やることはねぇ」
ギルモア商会の名が知られてきたのはここ十年ほどだ。それはすべてこのクレメンス・ギルモアの努力と商才によるもの。会長夫人は「顔が怖すぎるから貴族向けの商売は難しいわね」なんて朗らかに笑っているが、会長が頑張ったのはすべて会長夫人のためだ。
「私は会長に拾っていただいたのに、お子様たちを追い出すのは本意ではありません」
「雇ってくれと孤児のガキが来たから俺は雇っただけだ。それがたまたま金の卵だった。しかもその金の卵は身分不相応な夢を見ている」
笑みを口元に張り付けて、私は口を開かなかった。「申し訳ありません」とは絶対に言わない。身分不相応であることは分かっている。不相応どころか、夢のまた夢であるくらいだ。しかし、自分の夢を否定することは自身を否定することになる。それだけは他人は良くても、自分に許してはいけない。
「そんなバカげた夢を持つガキを応援するのは、大人の義務だろうが」
あぁ、この人には敵わない。張り付けた笑みが崩れそうになる。
それを知ってか知らずか、会長はギルモア商会に戻るまで何も言わなかった。
「商談成立したから今日は飲むぞ」
「いつも飲んでいらっしゃるじゃないですか」
「名目があると酒はさらに美味になるんだよ」
城からそこまで離れていないギルモア商会の本部に帰り、会長の部屋でワインをさっさと開けている。
会長の部屋は特別な造りだ。防音で、魔石がいたるところに埋め込まれており、盗聴や透視ができないようになっている。大抵の商会の部屋はそうなっている。
「お前、ベッグフォード商会の残ってた魔法使いに手を出しただろう」
ワインの入ったグラスを揺らしながら、会長は口を開いた。笑っていても無表情でも怒っているような凶悪な顔をして。
「そんなことは無理でしょう。あちらはうちと違って歴史のある大きな商会です」
「そうかい。じゃあ、あそこのお抱えの魔法使いがなぜか全員デンゼル病にかかったのは偶然だと?」
「いやはやまさか。デンゼル病の感染力は長年経っても目を見張るものがありますね。ベッグフォード商会も魔法使いを一か所に集めて管理・隔離していたわけではないでしょうに。不運としか言いようがありません」
会長の視線は確信しているように鋭い。いや、もともとこの人の目つきは鋭い。
最初に会った時もこの視線で値踏みするように見定められた。会長の周囲がただの孤児だった私を放り出そうとするのを彼だけが止めた。
「足がつかないなら何をしても良い」
「会長はいつも仰っていますね。やるなら徹底的に、悪魔に足をすくわれるな」
「あぁ、分かってるんならいい。本当に分かってるんならな」
「私のような孤児は孤児院でもれなくデンゼル病にかかっていますが、せっかく逃れていた魔法使いの方々は苦しいでしょうね」
「よくそんな顔で言うよな」
「同情を馳せております」
「まぁ、デンゼル病の治療法を見つけるよりも魔法が使えないという世界に慣れる方が早いからな」
会長のグラスが空になったので、すぐさまワインを注ぐ。
ワインボトルには相変わらずの笑みを浮かべた自分の顔が映っていた。
まさか、鳥とネズミまでデンゼル病を媒介するなんて思っていなかっただろう。あの魔法使いたちも。
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