第5話
俺たちはどうせ太陽系を離脱するつもりだったので、月などについても『近々爆発しそうかどうか』くらいのモニターしかしていなかった。因みに地球では地表面で海水がどちゃくそに動きまくってミシミシしたせいか知らないがこの間いくつかの大規模噴火や地震が起きている。地上の人類が死に絶えかけているのはそのせいもあった。せっかく作った貧弱な畑が潰れたり津波が起きたりしたから。
しかし月では長らく何も起こらなかった。安定だからこそグルグルもデブリ置き場にしていたんだし。
「見よう」
グルグルが満面の笑顔でそう言うので俺としても止める理由はない。何しろ俺はもう死んでいるので。
「見よう」
俺が答えるとグルグルは船を動かし始めた。一応合意が取れてから移動することに決めているらしく、グルグルがいい奴だからなのか元々例の共同決定を絶対遂行する種族だから集団内の同意事項を明らかにしたがる性質があるのか、それは俺には判断できない。
グルグルはまず月本体からやや距離を取りドローンを出す。モニタに映し出された映像を見て俺たち二人は、おぉ、とアホみたいな声を出した。
月の裏側から魚の尾びれのような半透明で巨大なヒラヒラが生えつつある。
月面にはひびが入ってめくれ上がり、尾びれはどんどん大きく宇宙の風にゆったりとそよぎながら外に出てくる。青、紫、ピンク、黄色、まるで熱帯魚みたいな綺麗な色で筋がぼんやりと輝き、偏光のように次々と色が変わった。それが一つ、また一つと増えて――
「あれ何。魚?」
グルグルは珍しく答えない。ドローンを高速後退させて回収しようとしている。五秒で収納できる。それを横目で見ながら船のメインエンジンを入れている。珍しくシリアスな表情。なんでだ?
モニタの中では月を内側から軽々と割って美しく巨大なヒラヒラが生まれ続けている。
陰を割り、ついに日の当たる側も砕け始めた。柔らかなネオンみたいなグラデーションに輝くヒラヒラがそよぎながら広がって増えて輝きを増していく。
「グルグル、」
「君、ほんとに地球に未練はない?」
「何だよ」
「君が望むなら、地上に帰してあげられる。今が最後のチャンスだ。今帰れば君は母星で死ねる」
「何言ってんだ、おい、俺はもう死んだんだってば」
「じゃあこの船を降りないで、僕と他の宙域に行ける?」
「行けるよ。ずっとそう言ってるだろ。でもまだ四年経ってないぞ」
ドローンを回収しメインエンジンを稼働させてグルグルは船を急速後退させている。月から最速で離れたいというように。モニタの中では月の姿はもう見えず、代わりに鑑賞種の金魚の長く広い尾びれだけを集めてひとかたまりにしたような何かが揺らめいて艶やかな光を放っている。
「安全を見込んだ計算だったから、まだ三年半だけど一度だけ跳べる。ここを離れないと船も危ない」
「あのヒラヒラのせいか?」
グルグルは頷いた。
「あれは絶滅危惧種、通称『星喰い』だ。衛星を擬態して惑星にとりつき、孵化すると一番最初にそこの惑星を喰べる。つまり今から地球を喰べる。標本が欲しいけどこの船の装備じゃ無理」
「そらそうよ。デカすぎるわ」
「だから悪いけど今すぐ宙域離脱するね。ごめんね、できたら地球人類の自然死を看取らせてあげたかったけど」
「お前そんな事考えてたの? お気持ちだけで結構! 安全第一!」
「あはは、ありがとう
モニタの外には今やひどく巨大化した『星喰い』が揺らめいている。夜店のおもちゃみたいに綺麗な青、ピンク、そのグラデーションに全身を波打たせながらそれは地球に泳ぎ寄ろうとしているようだった。ヒラヒラのひれの縁にはLED電球みたいな光が並んでいて波上に点滅を繰り返す。そして『星喰い』は壁に衝突したボールみたいに地球側の一箇所から平面をつくった。口だ。
肉眼でも光の歪みは見える。『星喰い』の美しいヒラヒラと今はまだ生きている地球を背景に、『星喰い』の口の周囲に陽炎の波が波紋を生んでいた。いま、月から突如生まれた巨大生物が地球を捕食する。
さよなら地球。もう別れているが。因みに惑星というものは意思を持つのか? 惑星にも信仰心が、宗教があったのだろうか。もしそうなら死後の世界で惑星は何をどう救われるのだろう。
船体がやや震動した。俺は座席の背もたれに身体をぴたりとくっつけ肘掛けを掴む。Gが掛かるわけではないと言われてもそりゃあ身構えるだろ、地球人初めての亜空間航法だぞ。
『星喰い』が大きな口をまんまるに開けて地球を今まさに飲み込もうとするのを見た、その次の瞬間視野はブラックアウトとホワイトアウトを反復し俺はたまらず目を閉じて。
それが、俺と太陽系との永遠の別れになった。
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