第5話 廊下で集める視線

 そして、やってきた放課後。


 帰りのホームルームを終えて、俺が帰り支度をしているとヌッと黒い影が俺の前に現れる。


 顔を上げると、そこには口元を緩めた詞が立っていた。


「きーくん、帰ろうよ」


 詞はそう言うと、髪を耳にかけて何かを企むような笑みを浮かべる。


 俺はその表情に一瞬ドキッとしてから、慌てて頭を振る。


 そうだった。詞は俺に男友達みたいな距離間でいて欲しいんだよな。


 俺は橘の話を思い出して、頭を切り替えてニコッと笑みを返す。


「ああ、そうだな。いこうか」


「……ぐぬっ」


 俺が何でもないふうを装ってそう言うと、詞は眉を潜めて小さく唸る。


 あれ? 少し言い方が硬かったか?


 確かに、昔の方がもっと自然に誘えていたかもしれない。


 駄目だな。女子だということを意識すると少し言い方も硬くなってしまう。


 でも、詞が望むのなら、俺はもっと昔のように詞を誘わなくては。


 俺はそう考えて、本当の男友達に話すように投げやり気味の言葉遣いを意識する。


「帰ろーぜ、詞」


「ぐぬぬっ」


 俺がそう言うと、詞は悔しそうにそんな言葉を口にしていた。


 ……いや、なんで悔しそうなんだよ。


 俺が頬を掻きながら詞の前の席の橘を見ると、橘はふいっと俺から視線を逸らす。


 そして、橘は何食わぬ顔をしながら教室を後にした。


 え、何その反応?


 まるで、自分は関係ないみたいな顔をしていたけど、橘が色々と教えてくれたんだよな?


 もしかしたら、橘が教えてくれたことは詞に口止めでもされていたことなのだろうか?


 俺が橘が飛び出していった教室のドアを見ながら、むむっと考える。


「ほら、きーくん。帰ろうよ」


 俺がそんなことを考えていると、詞が俺の服の裾をくいくいっと引く。


 上目遣い気味に向けられた視線にドキリとさせられながら、俺は平常心を保つ。


「お、おうよ」


「ていうか、帰り誘ってくれたのは嬉しいけど、きーくんの家ってどっちの方なの?」


 俺は首を傾げる詞を見ながら、あっと小さく声を漏らす。


 詞が俺とは男友達のような関係でいたいというのなら、俺もそうしてあげたい。


 そう考えて一緒に帰ることを提案したが、変える方向が違っていたら意味がないよな。


 俺はどうしたものかと考えながら、頭を掻く。


「えっと、俺の家はここから駅と反対方向だな」


「え、きーくんの家もそっちの方なの?」


 俺がそう言うと、詞が目をぱちくりとさせる。


「きーくんもってことは、詞の家もそっちの方角なのか?」


「うん。そうだよ。少し大きなスーパーがある方かな」


「少し大きなスーパー……」


 俺は詞の言葉を聞いて、一人暮らしをしているマンションのすぐ近くにあるスーパーを思い出す。


 いやいや、少し大きなスーパーなんて他にもいくらでもあるか。


 俺がそう考えていると、詞は言葉を続ける。


「あとはチェーン店の古本屋があるね」


「古本屋……」


「ファミレスとコンビニも近くにあって、結構便利なんだよね」


「ファミレスとコンビニ……」


 これは偶然なのだろうか? 全部俺の家の近くにあるんだけど。


「きーくん?」


 俺がしばらく考え込んでいると、詞は不自然そうな顔で首を傾げる。


「うん、ただの偶然かもしれないしな。とりあえず、帰るか」


 俺はそう言って頷いてから、詞と共に教室を後にした。


 教室を後にしてしばらく歩いていると、やけに視線を集めていることに気がつく。


「なんか凄い見られてないか? 転校生だから、って訳ではない気がするんだが」


 こちらに向けられている視線は物珍しいものを見るような感じではなく、羨むような視線な気がする。


 耳を澄ませてみると、数人の男たちの声が聞こえてくる。


「小鳥遊さんが男と歩いている、だと」


「小鳥遊さんの隣の男、誰だ? 彼氏か?」


「嘘だろ。サッカー部のエースが告っても振られたんだぞ。それが、パッとでの男に……」


 ざわつく声を聞きながら、俺はほぅっと感心する声を漏らす。


 どうやら、橘が言っていたことは本当みたいだな。


 俺が辺りをきょろきょろとしていると、詞もその声に気づいたのか微かに顔を赤くさせる。


それから、詞はハッと何かに気づいたような声を漏らしてから、からかうような笑みを俺に向ける。


「もしかして、私ときーくんがこれから放課後デートでもすると思ってるのかな?」


「この声を聞く限り、そうなんだろうな」


「でも、きーくんは照れたりしないよね? だって、私たち男友達なんだもんね?」


 詞はそう言うと、頬を微かに赤くさせたまま一歩俺に近づいてきた。


 駄目だ駄目だ。詞は俺と男友達の距離感でいたいんだ。


 だから、意識するなよ。


 俺は自分にそう言い聞かせて、小さく深呼吸をしてから詞を見る。


「……そうだな。照れるはずがない」


「ぐぬっ」


 ぐぬ?


 俺がそう言うと、詞は不満げに小さく唸る。


「そ、そうだよね。気にしないよね」


詞はそう言うと、ぐいっとさらに俺との距離を詰めてきた。


「つ、詞?」


 肩と肩が触れ合うんじゃないかという距離。


 俺は詞の甘い香りに鼻腔をくすぐられて、鼓動が早くなるのを感じた。


 俺が思わず声を裏返すと、詞はにんまりとした笑みで俺を見る。


「んー、何かな? もしかして、きーくんは意識しちゃってるのかな?」


 詞は面白そうにそう言うと、俺の顔を覗き込もうとしてくる。


 そして、また少し近づいた時、詞の手が俺に手にちょんっと触れた。


「っ!!」


 すると、詞は体をぴくんと跳ねさせてから慌てるように俺と距離を取る。


「詞?」


詞は俺から視線を外して、ぱちぱちと瞬きをする。


そして、詞は耳の先を赤く染めながら、小さく咳ばらいをする。


「あ、あんまり、周りに誤解させるのもね。うん、どうかと思うし」


 詞はそう言うと、俺から少し離れた位置でまた歩き出した。


 ……詞の手、柔らかかったな。


 俺はそんなことを考えて、詞がこっちを見ないことをいいことに、急いで体の熱を冷ますことにしたのだった。


 ……意識しないわけがないだろうが。


 そんなことを考えながら。

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