第24話 どっちつかず


 色々考えてはみたけれど、結局のところ俺程度の存在が彼女たちに及ぼす影響などたかが知れているのではないだろうか。俺のようなはぐれものが、半端者が、門外漢が、アウトサイダーが何かの行動を起こしたところで、いずれかの決断を下したところで、きっとそれは決まりきった結論に向かう道をほんの少し迂回させる程度の影響しか持ち得ない。俺が何をしようと、世の中なるようにしかならないのだ。

 運命――とでもいうのがそれっぽいだろうか。

 お前なんかが悩んでも大して意味がないだと世界に突きつけられているような気分になるから、正直に言えば俺はその言葉はあまり好きではないのだけれど。


 しかしそれでも――否、だからこそ一言くらいは反論させてもらうとすると、裏を返せばそんな俺でも彼女たちに迂回をさせる程度の影響は持ち得るということなのだ。俺が意志をもって起こした行動は、大なり小なり誰かの行動に続いていく。もちろんそんなことは文字に起こすまでもない当たり前のことではある。モノを買うときにはそれを売る人間がいるように、何かを学ぶときにはそれを教える人間がいるように、いつだってどこだって、人間が一人で完結することはあり得ないのだ。

 なれば、やはり俺が悩むことにも意味はあるのだろう。

 と言うより、悩む責任があると言った方が正しいか。

 要するに、この板挟みを解決しようと悩む俺の心の動き自体は、きっと間違いではないということだ。


 間違っているとすれば、悩む方向なのかもしれない。


 杠葉のことは

 神楽坂のことは

 逃げ場のない狭間で小さな俺が右往左往していく。


 叶うのならば、俺は杠葉と神楽坂の二人ともに傷ついてほしくはない。いやまぁ、今の展開を考えれば神楽坂には傷つく余地はほとんどないのだろうし、杠葉サイドからしてみれば敵でしかないのだけれど。

 それでも。

 それでも杠葉と神楽坂、二人立場の俺からしてみれば、出来ることなら二人の願いを可能な限り叶えてやりたいと、そう思ってしまうのだ。こんなものは俺のエゴでしかないとわかっているけれど。


 優柔不断。

 どっちつかずの裏切り者。

 特に杠葉からはそう断罪されても仕方のない行為だろう。彼女にはその権利がある。

 それでも。

 それでも。


 実行予定の文化祭まで残り三週間。

 きっとまだ俺に出来ることはあるはずだ。


「天ヶ瀬くん、私と話をしている時のあなたっていつも上の空な気がするのだけれど。一体どういうつもりなのかしら。あなた、やる気あるの?」


 例によってクラス展覧会の準備――ではなく、学生の本分ともいえる勉強をしていた。

 展覧会準備は恙なく進んでいる。恙なさ過ぎて特に話すこともない。HRなどでクラスメートから意見を聴取しながら発表のアウトラインを着々と固めている。あまり興味のないクラス展覧会とあっても、それなりにきちんと意見を出し合うあたり、根は真面目な生徒が多いらしかった。まぁ、司会進行のうちの一人が神楽坂詩であるというのも大きいのかもしれない、というか多分その影響がほとんどだろう。神楽坂が前に立つだけで真面目にやらなければいけないという空気になるのは、なんとなく理解できる。こいつの場合、司会は全部俺任せなので一言も喋らないのだけれど。


 まぁ、そんなわけで進捗良好な俺たちは、今日は展覧会準備をさっさと切り上げ、期末考査に向けた勉強会を開いているのであった。

 科目は日本史。

 俺が作成した期末考査用の特別ノート(通称『ヶ瀬ガセノート』だ。ニュアンスだけだとガセ満載のノートにも聞こえてしまうが、試験に出るであろうポイントを自己学習用にまとめなおした超有能ノートである)を読み進めながら、わからない場所を俺が個別で解説する形をとっていたのだが、どうやら神楽坂は俺の態度が不満らしく、わかりやすく眉を顰める。


 いや、そんなつもりは到底なかったのだが。

 しかし未だに神楽坂と二人きりの状況に慣れていないというのも事実だ。無意識下で緊張して現実逃避しているのかもしれない。

 ここは平謝りが吉だろう。


「や、悪かったよ。ちょっと考え事をな。やる気はあるよ。むしろやる気しかないさ。ガセノートの中身見たろ? 我ながらこれ以上の教材はないぜ、マジで」

「違うわ。勉強のやる気なんてどうでもいいのよ。他人がSNSに投稿したランチの写真くらいどうでもいいわ」

「勉強を教える側の立場としてはそこまでどうでもいいものと同列に扱われるのは堪ったもんじゃねぇな」

「ただ、私との会話をおざなりにし過ぎじゃないかって言いたいの」

「俺にとやかく言う前に、お前はまず勉強をおざなりにするな」


 ご褒美で神楽坂のやる気を出させたのは良いものの、しかしいざ勉強を開始してみると彼女はどうにも集中力に欠けていた。

 なんだか小中学生あたりに勉強を教えている気分になる。いや、中学生の月子ですら勉強を教わる時にはそれなりに教わる姿勢を取ってくることを考えると、神楽坂の場合はそれ未満かもしれなかった。


「おざなりになんかしてないわよ。もう全部覚えたわ」


 心外だとでも言わんばかりに顔を背け、ノートをぱたんと閉じる神楽坂。

 もう覚えたって、それなりの分量はあったはずだぞ。期末考査は一学期で習った箇所すべてが出題範囲となるため、中間考査でカスみたいな点数を取ってるやつが一朝一夕で覚えられるようなものではないと思うんだが。


「本当かよ。んじゃ、ちょっと例題出してみてもいいか?」

「……覚えたからと言って問題が解けるわけじゃないわ」

「本当に覚えたやつの言い訳とは思えないな」

「第一に、人の習熟度を疑って問題を繰り出すだなんて、そんな幼稚な試し方は感心しないわね。あなたという人間の格を落とすことに繋がりかねないわよ」

「いまお前、試験の存在を全否定したか?」


 神楽坂の幼稚な言い訳はともかくとして、解説と言っても必要なポイントは全てノートに書き起こしているため、あえてこうして机を並べて勉強会をする必要性は、実のところほとんどなかった。地理や地学も同様にガセノートをベースに勉強すれば少なくとも赤点は免れることだろう。国語だけは悩ましいところだ。古典探求はともかく、論理国語はしっかりと解説しなければたぶん神楽坂の点は上がらないだろう。中間考査の点数を見ても、論国がダントツで点数が低かったし。なんならちゃんと解説しても点数は上がらないのではないかという不安にも駆られるレベルだ。他人の気持ちがわからないというのは本当らしい。


 とりあえず、現時点ではまだ論国用のガセノートは出来上がっていない。何とか今週中には完成させて神楽坂に読解の奥義を伝授したいところだ。俺の得意分野でもある論国で赤点を取らせてしまっては俺の沽券にかかわる。

 まぁ、誰に見せるわけでもない沽券だが。


「まぁ論国以外のガセノートは渡せたし、今日のところはこんなもんか。言っておくが、そいつは門外不出のマル秘ノートなんだぜ? そいつの中身を本当に暗記出来たら赤点とるこたぁねーだろうよ。ま、わからないところがあればいつでも聞いてくれ。別に平日の夜でも休日の朝でも、いつでも構わないからさ」

「待ちなさいよ。勝手に話を終わらせて帰ろうとしないで」

「……まだなんか用か?」

「私に対してそういう露骨にめんどくさそうな表情をするのやめて。普通に傷つくわ」


 意外と繊細で面倒な女だった。


「もっとお話をしたいわ。そうすれば日本史も暗記できるかもしれない」

「どんな理屈だよ。というか、やっぱり覚えたっての嘘なんじゃねぇか」

「何でもいいから話してみて頂戴。私、こう見えて話好きなのよ」

「それ、随分な無茶振りだって自覚してるか? ……えぇと、それじゃ、昨日の夜どんなご飯食べたんだ?」

「牛フィレ肉とフォアグラのロッシーニ風よ」

「……」

「それから?」

「……いや、これは俺の振り方が悪かった」


 素直に反省である。

 まぁ、普通に考えて晩飯を訊くのはねぇわな。

 また俺のコミュ障ぶりが披露されてしまった。


「というか、もしかしてお前、毎日そんな料理食べてるのか?」

「まさか。そんなわけないじゃない。たまたまフィレ肉とフォアグラが余ってたからシェフに作ってもらっただけよ」

「それがたまたま余る環境ってなに? お前んち、フレンチ?」

「……? 違うけれど。何を言っているの?」


 俺の渾身のラップは華麗にスルーされた。


「……いやまぁ、それはわかってるけど……でもさ、そんな環境だとどんどん舌が肥えちゃって、ぶっちゃけた話もはや庶民の食べ物なんて口に合わないんじゃねぇの?」

「いいえ、別に舌は太くなんてなってないわ」

「いや、わかってるよ、あくまで慣用表現だってば」

「本当にわかってる? ちゃんと見なさいよ、舌は太くなんてなってないでしょう? ほら、ん」

「うおっ……!」


 んべっ、と舌を突き出してこちらに迫る神楽坂。鮮やかなサーモンピンクが蛍光灯に照らされてぬらりと艶かしく光る。普通ではあり得ないその淫靡な光景に、俺は思わず生唾を飲みこむ。


 うわぁ。

 同級生の舌をモロに見ちゃった……。

 なんだろう、この背徳感。心中を占めるのは、同級生の、しかもナンバーワンレベルの美少女のベロを見れて嬉しい、みたいな素直な感情ではなく、謎の申し訳なさであった。パンチラは見られてラッキーって感じだけど、パンモロほどのラッキースケベだとはある種の罪悪感を覚えるみたいな、そんな感じ。言うなれば、ベロチラではなくベロモロを見てしまったのだ、俺は。

 そりゃ、喋っている隙間にチラチラ覗き見えることはあるけれど、口腔内は暗くて色なんてわからないし、他人の舌をマジマジと見つめる機会なんてそうそうない。俺だってそれは月子の歯を磨くときくらいなもので、あいつ以外の人間の舌をしっかり見たのはこれが初めてだった。

 誰にでもある口、歯、舌。

 けれどそれは、他の誰かが到達することなどほとんどない秘境。

 それが今、惜しげもなく晒されているのである。


「うっ――わかったわかった! そこまで全力で舌を出さなくてもわかったから! 俺が悪かった!」


 危うく劣情を催しそうになった俺は、神楽坂の端正なあっかんべ(意味不明だがそうとしか言いようがない)からなんとか目を逸らした。

 神楽坂はジロリとこちらを一瞥すると素直に舌を引っ込める。


「まぁ、冗談はさておき」


 タチの悪い冗談だ。


「私が庶民の味がわからないとは随分なことを言ってくれるじゃない。私だって庶民の味くらいはわかっているつもりよ。もちろんフレンチに比べれば、いや比べるべくもないでしょうけれど、庶民の味だって捨てたものじゃないことは私だって知っているわよ」

「本当にそう思ってるやつは『庶民の味』なんてキーワードを短い文章の中に三回も挟みこまねぇよ」

「貧民の食べ物だって時には美味しく感じるわ」

「いや、俺はそこまで卑下したつもりはないぞ!」

「ふんっ、いいわ、そこまで食い下がるなら私の行きつけのお店を教えてあげるから着いてきなさい」


 そう言って、神楽坂は勢いよく立ち上がる。

 弾き飛ばされた木製の椅子がフローリングに叩きつけられ、がしゃんという耳障りな衝突音が静かな教室内に響くが神楽坂は気にしない。対岸の小火程度にすら思っていない様子で、何事もなく続ける。

 得意げな表情などは見せず、淡々と。

 けれど胸を張り、堂々と。


「天ヶ瀬くん、あなたに庶民の味を体験させてあげるわ」


 毎日、食べてるんですけど。

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