第23話 重要なのは理由じゃない

「いやぁ、登った登った。数日分の運動をした気がする。さすがに握力が限界だよ」

「まさか杠葉が中級コースまで制覇するとは。人は見かけによらないな……」


 一時間とちょっと過ぎた頃、俺たちは室内に設けられたベンチに並んで腰掛けていた。あのあと、初級コースをサクッとクリアした杠葉は、ホールドのサイズや数が限定される中級コースに挑み、数回の試行錯誤の上、最終的に頂上まで辿り着いたのだった。腕力の少なさを、握力と運動神経だけでなんとかしてみせたのである。胸部に抱えた大きなビハインドをものともしないその逞しさには恐れ入る。


「どうよ。少しはわたしのこと見直したんじゃない?」


 杠葉がじんわりと滲んだ汗をタオルで拭いながらニコリと笑った。

 これは杠葉に限った話ではないのだけれど、女子が汗をかいてる姿ってなんかいいよな。唆られるというか。いや、エロい意味とかではなく、女子も自分と同じ人間なんだと思わされると言うか、うん、とても健全でいいと思います。


「というか、逆に天ヶ瀬くんが初級コースをクリアできなかったのは、なんだか見た目通りって感じするけどねー」

「それは言うなや」


 隠せ。隠しとけ。

 金庫の中にでもしまっとけ。


 仕方ないだろ。俺は根っからのインドア派なんだよ。普段からペンより重いものは持たないようにしているんだ。


「飲み物、買ってくるよ。スポドリでいいか?」

「おー、さんくー」


 初級コースすらクリアできない格好悪い男でも、せめてドリンクを買ってあげるくらいの格好はつけても罰は当たるまい。

 握力の失せた手のひらを力なくフリフリする杠葉に見送られ、施設内の自販機へと向かう。


「しかし」


 杠葉と普通に楽しく遊んで、普通に楽しく会話出来ている――というのは、なんだか不思議な感覚でもあり、それと同時にこのままでよいのだろうかという言葉にしがたい微妙な心のざわめきも感じる。

 これじゃあまるで――友だちみたいだ。

 俺はあくまで杠葉の協力者という立場だ。何をおいても、そのことは忘れちゃいけない。それに加えて俺は今や神楽坂ともリンクした立ち位置にある。あまりどちらかに近づきすぎると、微妙な塩梅で成り立っている均衡が瓦解してしまうような、そんな気がしている。

 やはり俺は杠葉と適切な距離感を保つべきなのだろう。付かず、離れず。協力者として一歩離れた傍らに居続けること。きっとそれが、杠葉の宿願結実に繋がるはずだ。


 俺は自販機にコインを投入しながら、そう思う。

 アテがあるわけでもないのに、そう――思っている。


 となれば、今日もただ楽しく運動するだけの会で終わらせるのも不味というものだ。

 蒸し暑い中、こんなところまで来たのだ。実のある話ができなければ、ただ俺が女子にも負ける体力を見せつけただけの不毛な会になってしまう。


 なんやかんやで、最近はあまり建設的な話が出来ていなかったからなぁ。

 具体的にこれからどうしていくのか、とか。


「んー、そうだねぇ。やっぱり文化祭が一つの区切りになるかなぁ」


 俺が買ってきたスポドリのペットボトルを手渡しながら尋ねると、杠葉は思案顔でそう言った。

 こんなところで話す話題ではないかもしれないけれど、周囲にほとんど人はいないし、まぁ構わないだろう。


「あいつと会わない言い訳も文化祭――長くとも期末考査までしか使えないしねぇ」

「でも、具体的にプランはあるのか?」

「うん、実は一個考えていることがあるんだ」


 ペットボトルの蓋を開けられず「あ、開かない~」と悪戦苦闘する杠葉から容器を受け取り、ぱきりと蓋を開ける。俺も壁を登れないなりに握力は酷使していたが、それでもペットボトルの蓋を開けるくらいの余力はある。


「あ、ありがと」

「それで、プランって?」

「あ、うん。天ヶ瀬くんはミスターコンテストって知ってる?」

「まぁ、さすがにそれくらいは」


 我が校の文化祭で昔から開催されているイベントだ。名前自体は一般的にもある程度馴染みがあるだろう。内容的には世間一般とそう大差なく、その高校でナンバーワンの男子を投票で決めるというものだ。今や色々な観点で男だ女だと区切りを入れたイベントの開催には懐疑的な風向きも色濃いが、そうは言ってもたかが高校生のイベントである。そこまで目くじらを立てる人間も多くないようで、無事今年も伝統は受け継がれるらしい。

 コンテストには様々なレクリエーションが用意されており、それらへの対応を踏まえて投票が為されるとは聞いたことがあるが、如何せん去年の文化祭は自分のクラスの店番が終わり次第、速攻で帰宅した俺にはその内容を知る由もない。唯一知っているのは、昨年の優勝者が一条だったということくらいである。その話も後日、文化祭の余韻に浸る生徒たちの噂話として盗み聞いたものだった。なんか俺、こういうのばっかりだな。


「あいつは今年も出る気満々なんだよね。ミスターコンテスト連覇ってのはそれなりに魅力的な称号みたいだよ。なんなら、来年もあわせて三連覇も狙ってるんじゃない? あいつ、『前人未踏の三連覇』とか、『表彰台独占』とか、そういうわかりやすい称号にやたら拘るタイプなんだよね」


 ふぅん、野心高い一条らしいといえばらしい。まぁ年頃の男の子がそういう言葉に惹かれるのは、気持ちとしてはよくわかる。

 厳密に言えば、一人で金銀銅メダル全部獲得することは出来ないのだから、『表彰台独占』の方はなんだかニュアンスが違うような気もするけれど。


「で、それがどう作戦に繋がるんだ?」

「種目の一つにね、告白シチュエーション対決っていうのがあるんだ。エントリーした男子が女の子を相手に自分の考える理想の告白をするってやつ。事前に相手役の女の子を選んでおく必要があるんだけど、あいつはわたしをパートナーに選ぶつもりみたいなんだよね。まぁ表向きには付き合っているのはわたしなのだからそれは当たり前ではあるんだけど、そのことを上手く活かせないかなって思ってるんだ」

「というと?」

「コンテストの直前にあいつに証拠を突きつけて、別れてやるんだよ。そしたら平常心でコンテストには出られなくなるよね。それに、シチュエーションの相手にわたしを選ぶわけにいかなくなるから猶更困るでしょう? どうかな、これって結構いいアイデアだと思わない?」


 杠葉は嬉々としてそう語った。

 なるほど、一条にダメージを与えるやり方としてはそれなりにえげつない部類に入るだろう。一条のプライドをバキバキにへし折りつつ、それでいてヤツの人間関係にそこまでの禍根を残さないというのは杠葉から聞いていた着地点のイメージとそうたがわないように感じた。悪くないアイデアだろうと聞かれれば、十分に首肯し得るものだと思う。


「あいつ、どんな顔してコンテストに出るのかなぁ。パートナーにはだれを選ぶんだろうね? 理想は、それまでに天ヶ瀬くんが神楽坂さんを懐柔出来ていることだけれど、ま、そこまでは行けてたらラッキーって感じかな。でも天ヶ瀬くんには期待してるよん」

「……おぅ」


 にひひと悪い笑みを浮かべる杠葉。しかし俺の心中は複雑だ。


 神楽坂の思惑を知っている俺からしてみれば、神楽坂のを叶えると約束しさえすれば、こちらの言う通りに振る舞ってくれるだろう。なんなら、もっとえげつないシナリオを描くことだって出来るかもしれない。


 しかしそんな上っ面だけの、嘘に塗れた結末でよいのだろうか。


 あれから俺はずっと悩み続けている。


 仮に杠葉が気づかないのだとしても、上辺だけでも彼女が満足できるのだとしても、やはり俺が納得できそうにない。それは俺のエゴのようにも聞こえるけれど、しかし何も知らない杠葉の存在を俺自身が認めてしまう方がよほどエゴイスティックではないかと、そう思ってしまう。


 そんなわけで、杠葉の思い描く作戦は確かに上策ではあるのかもしれないけれど、しかしいつまで経っても、どこまで行っても、最善の策には到底成り得ないのである。

 それが分かっている俺は、気持ちよく頷き返すことが出来ずにいた。


「あとは、突きつけてやる時のシチュエーションをどうするかだねぇ。そこはもう少し考えてみるよ」

「……だな。俺も、ちょっと考えてみるよ」


 俺は、そう返すので精いっぱいであった。

 しかし俺は、それを決してその場しのぎのセリフとしてそんなことを言ったわけではない。


 ちゃんと考えてみよう。

 ちょっとどころではなく、しっかりと考えるんだ。


 目の前で意地悪く、それでいて純粋に笑う彼女に対して、俺が何をできるのか。

 うまれてはじめて、真剣に考えてみようと、そう思った。


 それは本当に彼女のためかもしれないし。

 もしくは、そう見せかけただけのお為ごかしなのかもしれない。

 けれど、そんなことはどちらでもよかった。

 重要なのは理由じゃない。

 どうすれば、が悲しむことのない結果へと導くことが出来るか、だ。


「ね、二人で最高のハッピーエンドを目指そうじゃないか!」


 何も知らない杠葉が演技がかった口調でそんなことを言う。


 復讐劇の果てにハッピーエンドが待ち受けているのかは俺にはわからないけれど。

 せめて、彼女たちの行き着く先がバッドエンドにはならないように。

 そんな願いを込めて。

 流されるように、同調するように、俺は静かに頷いた。

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