第22話 イイ女を目指そう②
*
金曜日の夜、俺が戦争に関する参考文献を読んでいるとこんなチャットが届く。
『突然だけど天ヶ瀬くん、イイ女の条件って何だと思う?』
『なんだ急に。知らねーよ』
『やっぱりね、顔、頭脳、性格、スタイルすべて揃ってこそ真のイイ女だと思うの』
『はぁ』
『天ヶ瀬くんから見て、わたしにはどれが足りていないかな?』
『特にないよ。お前に足りていないものは何もない。杠葉は完璧だと思う』
『そうだよね、わたしもそう思う』
『うざ』
『でもね、強いてあげようとすれば、わたしにも欠点とまでは言わずとも完璧でない部分が一つくらいはあると思うんだよ。天ヶ瀬くんの意見を聞かせてほしいな』
『はぁ』『まぁ』『頭脳か?』
『んん〜? おやおや?』『天ヶ瀬くんにとって、わたしの顔とスタイルと性格は言うことなしって感じなのかなぁ???』
『前言撤回』『性格が悪い』
『ていうかね、わたし意外と成績良いんだよ。学年トップ20位には大体入ってるし』
『へぇ。まぁまぁ悪くないじゃん』
『うざっ! まぁ、わたしの性格とか頭脳はさておき、唯一スタイルだけはまだ追求の余地があると思うのよね』
『いや、成績こそ追求の余地ありだろ。そこで満足するな。上には上がいるぜ。そうお前の目の前にな』
『うるさいよ』『とにかく、わたしは自分のスタイルをもっと良くしていきたいと思っているのです』
『はぁ』
『そりゃあさぁ、天ヶ瀬くんが思わず欲情してしまうほど豊満ナイスバディのわたしだけれど』
『ちょっと待て。俺がいつ欲情した』
『え、してないの?』『??』『おーい?』『天ヶ瀬くん??』『ま、いいや。とにかく、そんなナイスバディなわたしだけれど、もっとアンダーを絞ることが出来れば魅力が一層引き立つと思うのよね。グラビアアイドルみたいにさ』
『そんな気にするほどのことか?』
『女の子はいつも気にしてるの! 気になるものなの!』
『はぁ』『あぁ、そういうこと』
『ん?』
『お前、太ったのか』
『言ってはならないことを言ったね、天ヶ瀬くん』『夜道に気をつけてね』
『こわい』
『別に、お料理の練習をしていて、それで食べ過ぎて太ったとかそういうことじゃないから! 断じて違うから!!!』
『語るに落ちてんな』
『失礼だね、天ヶ瀬くん。ノンデリ過ぎるよ天ヶ瀬くん。わたしは傷つきました』
『悪かったな、気にしてること言っちまって』
『喧嘩売ってるのかな?』『もう怒りました』
『はぁ』
『罰として天ヶ瀬くんにはわたしのシェイプアップに付き合ってもらいます。明日のお昼、空けておいてね。まぁ、念押ししなくてもどうせ何も予定はないと思うけど』
『うるせぇな』『何だよ急に』
『集合場所と時間は後で送るね! よろしくっ!』
……相変わらず勝手な女だなぁ。
*
そんなやり取りがあり、翌日の土曜日。
杠葉に見破られていた通り、特に用事がなかった俺は渋々、指定された場所へ向かう。別に素直に従う理由もないのだけれど、一方で従わない理由もない。本当は展覧会準備と期末試験に向けた勉強に費やしたいところだったが、一日くらい問題なかろう。明日頑張ればいい。天ヶ瀬陽太郎は明日やろうがばかやろうでないタイプなのだ。
「おはよーっ! 天ヶ瀬くん元気かな? まぁ、土曜日だし元気だよね、そうに決まってるよね! ふふん、元気そうでなによりだよ!」
「……おぅ」
薄手のブラウスにパンツルックとラフな格好で現れた杠葉は元気溌剌といった様子で、有り余るテンションを俺にぶつけてくる。こちらとしては手に余る感じだ。
これが休日の陽キャか。
やはり俺にはついていけそうにないな。
俺が出会って一秒でここに来たことをほんのり後悔していると、杠葉は俺の足元から頭の先まで、じっと視線を滑らせた。
「へぇ、それが天ヶ瀬くんの私服なんだね。何というか……普通だね」
「ほっとけ。心の底からほっとけ」
俺は無地のインナーに半袖Tシャツ、短パンというこれまたラフな装いである。
思えば、家族以外の知人に私服を見せた機会など、去年の修学旅行ぶりかもしれなかった。ただ俺の場合は私服といっても、俺が知らない間にクローゼットのレパートリーが月子によってちょくちょく変えられているため、もはや自分のチョイスとは言い難い。月子のやつは「来るべき時に備えてセンスがチョベリグなあたしが見繕ってあげといたからね! 感謝してよね!」などと恩着せがましいことを言ってくるが激しくうるせぇといった感じだった。そもそもセンスのあるやつがチョベリグなんて言葉使うかよ。
「それじゃ、早速行こうか! 善は急げだよ!」
言葉の意味はさっぱりわからないが、俺は杠葉に導かれるまま歩を進める。
俺たちが向かったのは近郊にあるボルダリング施設だった。近郊と言っても電車で揺られること数十分の距離にあり、同じ高校の生徒の活動エリアからは大きく外れている。誰かの目に触れる可能性は、ゼロとまでは言わずとも限りなく薄いことだろう。
「やっぱり、折角やるなら楽しく痩せ――シェイプアップしなきゃだよね!」
杠葉はシェイプアップという言葉にかなり強い拘りを抱いているようだった。側から見れば何が違うのかはよくわからないが、それが彼女なりの拘りというなら細かくは言及するまい。こちらとしても積極的に虎の尾を踏みにいきたいとは思わない。
「あのさぁ、ここまで来といてなんだけど、こういうのって友だちと来るべきじゃねぇの? お仲間と来てワイワイやった方が楽しいだろ」
「……それじゃ、一条も来ちゃうじゃない。ただでさえ平日は文化祭実行委員で放課後まで顔を合わせっぱなしなんだよ。休日くらいは自由にさせてほしいんだよ」
「向こうからは何も言ってこないのか?」
「うん。平日の放課後に何もできない分、休日は勉強と休息に充てさせてほしいって言ってるからね。そしたらあいつは何も言えないよ」
あははと愉快そうに笑う杠葉。
もしかして土日に会わない口実となるよう、実行委員の仕事をやや過剰なまでに手伝っているのかもしれない。それが真実ならば、げに強かな女である。
それに、こんな風に一条コミュニティ以外の人間と出掛けるというのは杠葉にとっても良い気晴らしになるのだろう。
そういう理由であれば、俺も協力せざるを得まい。
彼女の協力者として。
「はい、大人二枚でお願いします」
ボルダリング施設に到着した俺たちは入場料を支払い、更衣室へ向かう。事前に身体を動かすことを聞いていた俺は用意してきたスポーツウェアに着替える。このスポーツウェアもまた月子が買ったものである。あいつは俺のオカンかよ。
施設内の人影は疎らであった。これが普段と比較して混んでいるのかそうでないのか、俺には判別がつかない。個人的な見解を言えば、三十度に迫る蒸し暑い六月にわざわざボルダリングをしに出掛けるような物好きも少ないと思うので、やっぱりピークと比べれば空いている方なんじゃないかと予想する。ちなみにこれは別に、俺を連れ出した杠葉に対する不満とかではない。断じてない。
「お待たせー。ちょっと着替えに手間取っちゃった」
更衣室から出たところで待ちぼうけしていた俺のもとにニコニコと笑みを浮かべた杠葉が歩み寄ってくる。彼女はTシャツにショーパンとレギンスというスポーティな出で立ちに身を包んでいた。タイト目なTシャツが彼女の肌にぴたりと張り付き、女性らしい程よく丸みを帯びた彼女の輪郭を浮かび上がらせる。
タイト目っていうか、タイトなのはごく一部分に限った話であり、よく見ればTシャツ自体は普通のサイズのようであった。しかしそれをそうと感じさせない圧迫感や臨場感、あるいは躍動感のようなものがそこにはあった。
……なるほど、確かに動き易そうではあるが、しかしどうして、男としてはなかなか直視に困る感じであった。
どこが、とは言わないけれど、ちょっとサービスが良すぎませんかね、杠葉さん。
「……さすがだな」
「ん、なにが?」
「いや、何でもない」
思わずそんな言葉が漏れてしまうほど、否が応でもその容姿は衆目をひきつける。
本人は気にしているようだが、俺の好みを言わせてもらえるならば、これくらい肉付きが良い方が良いと思うんだけどなぁ。もちろん、痩せたい――もといシェイプアップしたいという彼女の意思は否定すべきでないし、誰かが何かを強制できるものではないけれど、今のままでも杠葉は十分に魅力的な女の子だと俺は素直にそう思う。
……それを口にする勇気はないのだけれど。
「さっ! 今日はガンガン登るよっ!」
力こぶを作るような動作を見せながら息巻く杠葉。
ただし俺の見間違いでなければ力こぶはなさそうだった。
あの細腕であのボリューミーな身体を支えられるのだろうか。
「天ヶ瀬くん、今失礼なこと考えなかった?」
「いえ、考えていません」
「言っとくけれど、あと一枚イエローカード出たら退場だし、次の試合は出場停止だからね」
「退場ってどこから? 出場停止って何を?」
色々と疑問は尽きないがとりあえず閉口だ。
係の人の説明を受けながら、俺は眼前に立ちはだかる巨大な壁を眺める。高さは四メートル程度だろうか。随分と天井が高く感じる。
形も色も様々な突起物(ホールドと呼ぶらしい)が全面に配置されている。初心者向けに大きめの突起物が大量に配置された優しいコースから、鼠返しのように反り返った上級者向けコースまで難易度は幅広く設定されているようだった。床にはほぼ全域にマットが敷き詰められており、よほど無茶な着地さえしなければ怪我の心配もなさそうだ。
「いよーしっ! まずはわたしから行くね! 初っ端から登頂して、わたしを舐めてる天ヶ瀬くんの度肝抜いちゃるけん!」
杠葉は気合を入れると、初心者向けコースのホールドに足をかける。少しでも上のホールドからスタートしようとしているのか、足をかけたホールドを踏み台としてぴょこぴょこ飛び跳ねる。なかなか狙いのホールドに手をかけられないらしく、勢いをつけて二度三度と身体を上下に揺さぶっていた。その度に豊かな胸部がゆっさゆっさとゴム鞠のように跳ね回る。
縦横無尽に。
さながら別の生き物のように。
暴れ、跳ね回る。
時折、袖の隙間からチラリと覗かせる内奥の肌色も相まって、まさしく目に毒という感じだった。いや、この場合は目の保養だろうか。毒と薬は紙一重とはよく言ったものである。
凝視するのは悪いという罪悪感を感じつつも、逆に見ない方が失礼な気もするから不思議だ。
――いや、これは間違いなく男側のエゴなのだけれど。
いずれにせよ、色々と危なっかしくて俺は杠葉から目を離せずにいた。あの細腕じゃ落ちそうで危ないしな。うん、これは決して邪な気持ちだけではない。
「よっと……わわっ!」
「おっと」
ようやく手を引っ掛けられたと思いきや、思いの外ホールドの位置が高すぎたか杠葉はバランスを崩し、足をかけていたホールドから滑り落ちる。
ハラハラしながら見守っていた俺は、反射的に腕を差し出し、杠葉の背中を受け止めていた。
「あっ……ありがと」
「お、おぅ」
自身を庇った俺の動きに少し困惑した様子を見せつつも、明るく笑って俺から離れる杠葉。
「あはは、この高さなら流石に大丈夫だよ。天ヶ瀬くんは過保護だなぁ」
「……だよな」
うん、杠葉の言う通りだった。
むしろすけべ心で彼女を触りにいったみたいでめちゃくちゃ恥ずかしい。そんなつもりじゃなかったのに。まぁ、どういう気持ちかと聞かれたらそれはそれで困るのだが。
僅かに口籠った俺の様子を見た杠葉はニヤニヤと口角を上げる。
「なんだいなんだい天ヶ瀬くん、そんなにわたしのことが心配だったのかい? なになに、天ヶ瀬くんはわたしのこと好きなのかな? もう、モテちゃうのも困りものだなぁ、あはは」
「いや、別にお前を好きだから受け止めたとかそういうわけじゃない」
「ちょっと、マジレスやめてよ。なんでわたしがフラれたみたいになるの……」
杠葉は少し傷ついたような顔をする。
うっ、ちょっと強く否定しすぎたか。
「……なんというか、思わず手が出たというか……悪い」
「……いや、悪くはないんだけれど……というか、むしろもっと高いところからだと天ヶ瀬くんが怪我しちゃうかもだから、無理に受け止めてくれなくても大丈夫だからね! 気持ちだけもらっておくよ」
そう言って、杠葉は再び壁に向き合う。
抱き止めた時の杠葉の体温と柔らかさが、いつまでも手のひらに残っているような、そんな気がした。
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