第21話 神楽坂ってもしかして
*
この復讐の行き着く先を杠葉に聞いたことがある。
『んー、細かく考えているわけではないのだけれど、わたしはあいつが一番大切にしている男としてのプライドさえバッキバキに折れたらそれでいいんだよね。みんなに全部ぶちまけてあいつを孤立させたいとか、退学にまで追い込みたいとか、そんなことは
そんな怖いことを言う。
ここで重要なのはそのほとんどという部分なのではと思わないでもないが、彼女の言葉を概ね信じるのであれば今の彼を取り巻くコミュニティがバラバラになるようなことは避けたいと考えているらしい。
もちろん、中核メンバーである一条と杠葉が離別するということは、即ちあのコミュニティの瓦解を意味するのだろうと思うけれど、一条から友だちを根こそぎ奪うことまでは考えていないようだった。
仮にあの五人組で居られなくなったとしても。
それは彼らの立ち位置まで歪めるものではない。
互いが友だちであること自体は変わらないのだろう、と思う。
結局それは、いつか来るタイミングの前倒しに過ぎないのだろう。進級に伴って出来上がったコミュニティが、次の進級とともに解散していくのは自然な流れだ。コミュニティが離散してすぐは悲しさが押し寄せるのかもしれないけれど、きっとすぐにまた新しいグループが出来上がる。そうして熱は、喉元を過ぎていく。それが数ヶ月ほど早まっただけのことなのだ。
その脆さと儚さこそが青春なのだろう。
俺は、ほんの少しだけ羨ましくなる。
きっと、俺には手に入らないものだから。
――なんて。
感傷的になったフリをしてみる。
本当はそんなこと、一つも思っていないくせに。
「どうかしたの?」
「……いや」
神楽坂の言葉で俺は現実に引き戻される。
放課後である。
開催まで三週間ちょっとに迫った文化祭に向けて、俺たちは今日も今日とて放課後の教室で作業に勤しんでいた。
そう考えれば、俺が今いるこの場所も一つのコミュニティと言えなくもない、のかもしれない。文化祭が終われば解散することが確定している期間限定ユニットだ。まぁ、神楽坂との縁自体はそう簡単に切れるものではないような予感がするけれど。
「何でもないよ。ボーっとしてただけ」
「本当? 大丈夫? 熱はないかしら? のど飴、いる?」
「いや、なんでそんな過保護よ」
ガサゴソと鞄を漁る神楽坂を制止する。
俺は未だ神楽坂のキャラを掴みかねていた。
何をしてくるかわからない危うさをひしひしと感じる。
「風邪はひき始めが肝心なの。然るべき対処を怠れば後で苦しむのよ」
「いやまぁ、それはそうかもしれないけれど」
「風邪かなと思った瞬間にネギをおしりに突き刺すといいらしいわ」
「それは断じて然るべき対処ではない」
よく聞くのはネギを首に巻く、とかだろう。
それも十分に眉唾だが。
神楽坂は不思議そうに小首を傾げる。
「……刺さないの?」
「刺さねぇよ!」
「でも科学的に証明されているっておばあさまは言っていたわ」
「その知恵袋、たぶん穴空いてるぞ」
一族揃って不思議ちゃんなのかもしれなかった。
つーか、こいつ、祖母のことをおばあさまって呼ぶのな。もしかして良家のお嬢様ってやつなのだろうか。
どんどん要素が追加されてキャラが濃くなっていく。
「……なんていうか、神楽坂、お前って色々変わってるよな」
「なによ、私に常識がないみたいに言うじゃない」
「いや、そこまでは言ってないが」
しかし普段のこいつを見る限り、常識があるかないかで言えば『ない』寄りだろうと思う。
「失礼ね。私は非常識があるだけなのよ」
「余計にタチが悪ぃよ」
授業で当てられても立ち上がることすらせず黙って首を横に振る生徒は後にも先にも神楽坂しかいない。もちろん、唯々諾々と教師が指示するままに答えるのが常識的とまでは言わないけれど。
「……? わからないものをわからないと答えるのは普通でしょう?」
「……マジでわからないって反応だったのかよ」
こいつ何言ってんだ的な表情でぼうっと俺の方を眺める神楽坂。
うーん、軽々と予想を超えてくるなぁ。
いや、この場合は下回ってくるという方が正しいか。
しかし、そこまで難しくない問題でも一切答える気ナシって感じだったように思うが。
「仕方ないじゃない。本当にわからないんだもの」
「……お前って、もしかしてすげぇバカなのか?」
「随分なことを言ってくれるじゃない。殺すわよ」
「ヒェッ」
神楽坂はいつも通りの無表情ではあったが声がマジだった。マジトーンだった。
「や、悪かったよ……でもさ、それなのにこんな仕事引き受けちまってよかったのかよ。文化祭終わってから期末考査までほとんど時間ないぜ」
「……そこまで言うからには私に勉強を教えてくれてもいいんじゃなくて?」
「は?」
「天ヶ瀬くん、賢いのでしょう? なら、私に勉強を教えなさいよ。その知識をこの私に授けたらどうなの」
「……」
現実世界では凡そお目にかかれないような高飛車な喋り口調であったが、どうやら、これが神楽坂なりのモノの頼み方らしかった。
……いや。
どんだけ不器用なんだこいつは。
もしかしてこいつ、本当に箱入り娘で、花よ蝶よと育てられた結果、人に頭を下げる方法を教えられずに育ってしまったんじゃないだろうか。
現実的にはそんなことはないのだろうけれど、それでももしかしたら神楽坂ならと思わせてしまう何かが神楽坂にはあった。
黙っていたらどんな反応をするのだろう。
悪戯心が芽生える。
「……」
「……私に、勉強を教えるのはどう?」
「……」
「……私に、勉強を教えるのは素晴らしいことです」
「……」
「……私は、勉強を教えてもらえるととても喜びます」
「……」
「……天ヶ瀬くん、私に勉強を教えてください。お願いします」
「よかろう」
いろいろと回り道はしたものの、神楽坂は正しいお願いの仕方に辿り着いたらしかった。
正しく頼まれたなら、正しく応えるのが俺の信条だ。
それに、個人的には人に勉強を教えるのは嫌いじゃない。俺が唯一輝けるシーンだからな。教えた人間の成績が良くなることで俺の自己肯定感も高まるのだ。まぁ、モデルケースはこれまでのところ月子しかいないのだけれど。
「いいぜ。俺が唯一
「あら、頼もしいわ」
どこか他人事みたいな言い方の神楽坂を後目に、トンと胸を叩く。
しかし、それが言葉ほど簡単なものでないのだとすぐに気づかされることになる。
「ちなみに点数はどんな感じなんだ? 前に数学は得意とか言ってたけれど、苦手な科目とかがあるならそこから片づけていこうぜ」
俺の質問に、神楽坂はふるふると首を横に振る。
「特にないわ」
「……いや、ないってことはないだろ。赤点とった科目とかさ」
「赤点をとったら苦手ということになるの?」
「……まぁ、一般的には」
「そう、じゃあ私は数学と英語以外はすべて苦手ということになるのかしら」
「お前、数学と英語以外全教科赤点だったのか!? よくそれで苦手科目ないとか言えたな!」
「どれもできないのだから相対的には苦手科目はないということにならないかしら?」
「ならねぇよ!」
ちなみに我が校は高校二年生から文理選択制となっており、うちのクラスは文系選択であった。試験科目は英語と数学二科目のほか、国語二科目に歴史、地理、地学というラインナップである。正確にはここに保健体育も入ってくるのだが、さすがにそれはノーカウントでよいだろう。そんなもの自分で勉強しろという感じである。
「私、自慢じゃないけれど、人の気持ちを読解するのって苦手なのよね」
「その前置きから本当に自慢じゃないことを言うやつ、俺は初めて見たよ」
「モノの名前を覚えるのも嫌いなのよ。歴史とか、どうして知らないおっさんたちのことを覚えなければいけないのかしら。全くもって興味が湧かないのよ」
「致命的過ぎる……そもそもお前、なんでそれで文系選択したんだよ」
「言っておくけれど、理系科目だって苦手よ」
「さいですか……」
「数学は好き。自分のやりたいように解き進められるし、答えに読解力がいらないもの」
得意も不得意も、なんとも神楽坂らしい感じだった。個人的には数学の問題にも作成者の意図とか読み取らなければならない箇所もあると思うが、問題の捉え方は人それぞれということだろう。むしろそういう部分を一切感じ取れなくても問題を解けてしまうというのは、感覚派の天才という感じがして実に羨ましい限りである。
しかし、逆に悩ましくもある。英語と数学であればある程度教え方も決まってくるが、残りの科目は割と暗記要素も強い。国語なんかは感覚的に解かなければならない側面もある。さて、どういう風に教えたものか。
「……とりあえず、暗記科目は重要そうな箇所をピックアップするから、それを覚えてもらうか……」
「ふぅん……暗記、好きじゃないのだけれど、もっと楽な方法はないのかしら」
「ないです」
「うぅん、やる気が出ないわね。あーあ、ご褒美でもあればやる気が出ると思うのだけれど」
教えてもらう立場のくせに報酬まで要求するとか正気かこいつ。
どうやら、彼女の成績を
気分的にはサービスを提供する側なのに金を払っているような感覚である。
これが理不尽でなければこの世に理不尽は存在しないと思う。
なんだか頭が痛くなってきた。
「……なんだよ、どういうご褒美があればやる気が出るんだ」
「そうね。ちょっと考えてみようかしら。まず自慢ではないけれど私の実家はお金持ちだから、お金のご褒美とかはいらないわ」
「当たり前だろ! そんなもんが選択肢に入ってたまるか!」
「なによ、小粋な冗談じゃない」
「どこが小粋なんだアホ。無粋の間違いだろ」
というか、お前が言うと、本気なのか冗談なのかわからないんだよ。
神楽坂は「そうね」と呟きながら考えこむような素振りを見せると、
「そうしたら、私が全科目赤点を回避できたら一緒に打ち上げに行きましょう。私、お寿司が好きなの。お寿司のためなら頑張れる気がするわ」
そう言った。
「寿司か……」
「そう、回らないお寿司」
「……俺、そんな金出せないぞ」
「構わないわ、私が出すわよ。勉強を教えてくれるお礼も兼ねて、ね。言ったでしょう? 私の家はお金だけはあるの」
「だったら、寿司なんて食べ慣れてるんじゃないのか」
「お金はあっても連れて行ってくれる人がいないから、あまり食べる機会がないのよ」
神楽坂は哀しそうにそう言った。
彼女の家庭の事情は到底推し量れないけれど、しかしきっとそれは純粋に、大好きな寿司が食べられないことを嘆いているのだろう。
俺の知っている神楽坂はそういうやつだ。
本当に俺が知っている通りならば。
しかし、どうしたものか。
俺と神楽坂、そして杠葉の関係性を考えれば、これを吞むかどうかはなかなか悩ましいところだ。
けれど……まぁ。
少なくとも、胸を触れだの、身体中舐めろだの、そんなアホみたいな不健全なお礼よりもよっぽどマシだ。
それに――寿司は俺も好物だしな。
「……わかった、いいよ。奢ってくれるってんなら、どこにでも付き合うさ。その代わり遠慮はしないぜ? 男子高校生の胃袋を侮るなよ?」
「ふふ、ありがとう。楽しみにしているわ。お店は予約しておくわね」
「いや、気が早いって。まずはその前に赤点回避しなきゃ、だろ?」
「するわよ。私を誰だと思っているのかしら? 私が赤点なんてとるわけないでしょう」
そう言って、神楽坂はふわりと笑った。
五科目で赤点を取ったやつの言葉にしては、随分と大言壮語な感じであったけれど。
しかし、それを口に出すというのは。
それこそ無粋というものだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます