第16話 料理研究会
*
翌日、俺には特に用事がなかった。
などと特筆してしまうと、まるで普段から用事が盛りだくさんの生活を送っているようにも聞こえてしまうが、もちろんそんなことはない。入学してから今日この日まで、授業以外の時間を最も自由に活用してきたのは俺であると自信をもって言える。ちなみに二番目は神楽坂であろう。俺と神楽坂はかなり熾烈なデッドヒートを繰り広げ、トップを競っている。または最下位争いとも言う。
ただ、ごく最近に限った話では、やれ昼飯から2時間後にもう一度昼飯を食べさせられたり、やれクラス一の美少女からガン詰めされたりと、放課後に立て込むことが多かったのは確かだ。慣れないシチュエーションで多少肩が凝りつつあるのも事実であった。慣れないことはするもんじゃねぇな。
神楽坂は、相変わらず教室では彫刻のように美しく、それでいて彫刻のように静寂を保ち続けていた。昨日の放課後に交わした会話が嘘のようである。彼女のおしゃべりスイッチはどこにあるのだろう?
あれから、彼女とはチャットを含め一切の会話を交わしていない(昨日、SNSのIDを交換させられた)。俺が回答を濁したまま逃げるように帰っていったことに対して今のところ彼女からの言及はないが、内心どのように思っているはわからない。怒っているのかもしれないし、納得しているのかもしれないし、はたまた案外何も思っていないかもしれない。腕の隙間から覗き見る彼女の横顔からは、何も窺い知ることは出来なかった。
しかし、昨日のやり取りからわかったことが、少なくとも一つある。それは、神楽坂がわざわざクラス展覧会委員に立候補してまで俺に近づいてきたのはあの話をしたかったから、ということだ。それも二人きりで話せるシチュエーションが望ましかったのだろう。彼女のクラスにおける振る舞いを見ていると、理由もなしに彼女の方から俺に話しかけるというのはなかなか難しかったに違いない。まぁ、あの性格からするとそこまで気にはしていないのかもしれないけれど。
てっきり、一年生の時に俺の知らない何らかの因縁でも作ってしまったかと思ったが、どうやらそういうわけではなさそうだ。これ以上ややこしい事情を抱えるのは避けたいところだったので一安心である。そうした事情が一つ明らかになっただけ収穫と呼べるだろう。
今日、神楽坂からの呼び出しはない。
結局、昨日ほとんど展覧会準備を進められなかった点は不安ではあるものの、昨日の今日でまた顔を突き合わせる気にもならなかった。また明日頑張ろう。
一方の杠葉はといえば、本格化し出した文化祭準備でかなり忙しいらしく、ここ数日は昼休みも放課後も作戦会議で集まることは出来ていない。本来、学級委員の役回りとしては、文化祭実行委員会の中で示達される各種伝達事項をシームレスに各クラスの出し物などへ反映させていくことが求められる。また、出し物に要した諸経費やその他スケジュールなどを委員会へ報告するなど、言わば連絡係の立ち位置であり、文化祭実行委員としての仕事自体は当然ながら実行委員である一条たちが担うべきものなのだが、実行委員メンバーが皆仲の良いメンバーであることと、元来の責任感の強さも相俟って、かなりがっつり噛みこんでタスクを請け負っているらしい。当然ながらそれによって学級委員の仕事が減るわけでもなく、今はまだ走り出しのために顕在化していないものの、どこかでパンクしてしまうのではないかと心配になる。
まぁ、そんなわけで、最近の俺と杠葉のコンタクト手段は基本的にSNSとなっていた。もちろんのこと、教室内で作戦のことを大っぴらに話すわけにもいかないため、この数日俺と杠葉が直接話す機会はめっきり減少していた。
そんな杠葉であったが、どうやら俺の落ち着かない様子に気が付いたらしく(視野の広い彼女ならではだろう。ほとんど突っ伏していたのに)、幾度となく目線で合図が送られてきた。
しかし俺はどうにもそれに応えられず、視線に気づかないフリをしてそっと首を垂れる。
理由は単純明快、昨日の神楽坂の言葉が頭の中を駆け巡るとともに、杠葉に対する罪悪感が心の内を暴れまわっていたためである。
神楽坂が全てを仕組んでいたということ、またその上で復讐に協力してほしいと言われたことは、当然ながら杠葉には伝えられていない。
伝えようものならば、きっと全てが瓦解してしまうだろう。裏切られた悲しみを復讐という形で変換できているからこそ普段通りの日常を送れているのだ。綺麗な形で発散できぬまま目的がなくなってしまえば、行き場を失った感情を彼女は抱えていかなければならない。それでもいつかは傷も癒えるだろうが、なるべくなら傷は広げたくないと、そう思う。
だからこそ杠葉には全てを伝えることが出来ていないのだが、一方で彼女に対して秘密を抱えているという罪悪感から、彼女の目を見ることが出来ないでいるのであった。
そんなわけで授業の復習もそこそこに寝たフリをして休み時間をやり過ごしていると、なにやら痺れを切らした杠葉からチャットが送られてくる。
『なんかあった? 大丈夫?』
俺はスマホ画面を一瞥した上で、それを無視する。
ちなみに昨日、俺が神楽坂に会ったことと、何もなかったという嘘だけは伝えてある。
続け様にチャットが着信。
『無視するな! 引っこ抜くよ!』
何をですか!?
俺はチラリと顔を上げると、こちらを見ていたらしい杠葉と目線が合う。眉間に皺を寄せ、ちょんちょんと手に持ったスマホを指差す。
脅しをかけられては仕方がない。俺は短く返信する。
『学校でスマホいじるな。校則違反だ』
『今更そういうこと言っちゃう!? こっちは心配してるんですけど?』
『何でもありません。大丈夫です』
『なんか距離を感じるんですけど!』
『いつも通りだよ。心配するな』
『そう? 顔が暗いように見えるけど』
『残念ながらそれはいつも通りだ』
『そんなに暗い顔してると運気が逃げちゃうよ』
『逃げるほどの運気が俺にあるとも思えないけどね』
『ひねくれてるなぁ。いつにも増してひねくれてるよぅ』
『それも、いつも通りだ。つーかマジで心配するなって。また後日打ち合わせしよう』
そんな感じで適当に返していると、杠葉は納得したようなしていないような微妙な表情をしながらも、『ならいいけど』とだけ言い残し懐にスマホをしまう。
うーん、色々な意味で罪悪感が凄い。
でも客観的に見れば俺もまあまあ気の毒なポジションにいると思う。
誰か、俺をこの復讐サンドイッチから助けてくれ。見えない誰かに対してそんなことを祈る。
そんな願いに呼応したかのように、新しいチャットの着信をスマホが告げる。
差出人は杠葉でも神楽坂でもない。
『招集』
シンプルなその二文字だけが通知される。
あの人は相変わらず素っ気ないなぁ。こんな声のかけ方があるかよ。
しかし、今日くらいは今抱えている問題から離れた場所に身を置きたいと思っていた俺にとってはまさしく渡りの船といった感じで、少しだけ嬉しくなる。
俺は帰りのHRが終わると、いつも通り高速で鞄の中に筆記用具や教科書を仕舞い込み、そそくさと教室を後にした。俺を見つめる視線がいくつかあったような、なかったような気がしたが、どちらにせよ今日ばかりはスルーだ。
教室をでた俺は家庭科室へ向かう。
俺は
そんなことを思いながら、俺は家庭科室の扉を開く。
「お疲れ様です」
「おっそーい。待ちくたびれたー」
気の抜けた返事が返ってくる。
中では、一人の女生徒がぐでんと机に突っ伏しながらスマホを弄っていた。
明るい茶髪が御簾のように顔にかかり、こちらから表情は見えない。というかスマホ見えてるのそれ?
「遅いと言われましてもね、こちとらHR終わりで速攻で出てきたんですけど。なんなら早すぎてまだ廊下誰も歩いてなかったですよ」
「ふーん、口答えするとはアンタも偉くなったじゃん?」
「この程度を口答えだなんて判定しないでくださいよ。つか、会長が早すぎなんでしょ。どんな絡繰り使ったんですか」
「ウチは昼休みからここいるから」
「勝てるわけねぇよ」
そう言って茶髪女子は気だるげに身体を起こす。
はらりと除けられた髪の毛の向こう側から覗かせたのは大きな二つの双眸。瞳自体が純粋に大きいのもあるだろうが、そこに加えてばっちりとメイクが施されている。あまり詳しくは知らないが恐らくカラコンも入れているのだろう。彼女の茶髪はそれはもう金髪と言っても間違いではないくらいに明るいものであったが、そのインパクトに負けないくらい顔立ちのはっきりとした女の子である。
見た目の印象は完全にギャルであり、そして中身も寸分違わぬギャルだ。
彼女こそ、三年生にして料理研究会会長である
俺は彼女のことを、畏敬を込めて会長と呼称していた。
「つーか、その会長とかいう呼び名やめてくんない? 西園寺って苗字に会長がつくと、なんか偉そうなジジイみたいでヤなんだけど」
「はぁ。じゃあなんて呼べばいいんですか、西園寺会長」
「アンタね……別に、無難に琴音先輩とか、
「……まぁ、それは追々ということで。そんなことはともかく会長、今日はいったいどんな風の吹き回しなんです?」
「ウチの名前に対して『そんなこと』って言ったの、いま?」
会長は不機嫌そうに小さく舌打ちする。
「……別に、暇だったからアンタを呼んだだけ。なんか面白い話しろ」
「生憎ですけれど、そんなこと言われてパッと話せるくらいなら今頃友だちのニ、三人はいますよ」
「あはっ、それもそーか」
俺の言葉に花が咲いたように破顔してみせた会長は、両手をあげグイと伸びをする。
彼女の動きに合わせ、明らかに他の女子よりも短くセットされたスカートの端がチラリと揺れる。健康そうな白い太ももが顔を覗かせ、俺は慌てて目を逸らした。
「アンタさぁ、いい加減に友だち作りなさいよ。なーにいつまでも変な意地張ってんのよ。反抗期の子どもかアンタは」
「別に意地なんて張ってないんですけどね。それに俺は割かし反抗期がないタイプだったと自覚してます」
「あっそ。それなら、アンタは産まれてからずっと反抗期って感じのタイプなのかもしれないわね」
「どんなタイプですか、それ。そこまでひねくれてるつもりはないですって。それに、一人もそんなに悪くないもんですよ。たくさん勉強できますし」
「あー、アンタが張ってるのは意地じゃなくて虚勢だったわね。失敬失敬ー」
そう言ってカラカラと笑う。
失礼な、と思いつつも何ら反論は思いつかない。
「クラスメートにも似たようなこと言われたんですけど、実際どうすりゃいいかわかんないんですよ。友だちってどうやって作るんですか? 友だちになってからみんな何を話すんですか? わからないワカラナイ……」
「いやいや拗らせすぎ。フツー、そんなこと考えて友だち作ったりしないし、そもそも友だちなんて気づいたらなってるもんでしょ」
「それは、会長が陽キャだからでしょう?」
「言い訳するなってーの。せっかく新学期で人間関係リセットされて人間関係拡げるチャンスなんだから、何とか頑張りなさいよ。アンタって別に話下手ってわけでも人嫌いってわけでもないんだから、アンタ自身に頑張る気概があればなんとかなるでしょ。文化祭っていうお誂え向きの理由があるんだからたまには男を見せなさいな」
たかが友だちを作るのに男を見せろってのも変な話だけれど、と付け加えつつも俺に檄を飛ばす会長。
「はぁ、まぁ、善処します」
「……イマイチやる気のなさそうな受け答えねぇ。さっきのよりもよっぽど口答えって感じ。その様子じゃ、新しいクラスになってからも誰とも喋ってないんでしょー? ほんと、先が思いやられるわ。や、別にウチがアンタの先を思いやる義理なんてないんだけどさー」
頬杖を突きながらそんな憎まれ口をたたきつつも、さして仲の良いわけでもない後輩男子のことを気遣えるのが会長の良いところだ。オタクに優しいギャルが存在するかは知らないが、少なくとも根暗に優しいギャルは実在した。会長は人類に希望を与える存在なのだった。
だからだろうか。そんな会長を心配させまいとして、思わず口が滑ってしまう。
「いや、最近少しずつ話す相手は出来てきたんですけどね。まぁ、友だちってワケではないんすけど」
「――詳しく話しなさい。面白いところから面白くないところまで、徹頭徹尾話しなさい」
会長は俺の言葉に途端に目を輝かせ、食い気味でそう言った。
それは子どもが新しいおもちゃを見つけたときの表情そのものであった。
……ミスった。
事情が事情なだけに言うつもりはなかったのに。
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