第15話 やばい女
「手伝ってほしい……と言われても、それってつまりは――」
彼女の復讐相手は杠葉だ。
それはつまり、俺に杠葉を裏切れと言うことに等しい。
俺が杠葉を裏切ってしまったら、誰があいつの骨を拾ってやれるというのか。
「――それは、出来ないよ。俺はあいつと約束しちまったんだ。ほかのことならどんなことでも出来るけれど、あいつを裏切ることだけは――それだけは出来ない」
「そう、優しいのね、天ヶ瀬くんは」
俺の拒否にも動じることなく、淡々と言葉を並べる神楽坂。
「勘違いしないで。別に天ヶ瀬くんに杠葉さんを裏切ってほしいというわけではないの。あなたは彼女の願いを叶えてあげればいい。私があなたにフラれるのが彼女の望みということなら、私も協力する」
「……じゃあ、神楽坂の言う復讐ってなんなんだよ。一条を略奪した以上の復讐がお前の中にあるってのかよ」
「簡単よ。全部終わった後も、
神楽坂は凄惨な笑みを浮かべた。
俺はその考え方に恐ろしさすら感じる。
いったい、何が彼女をここまで駆り立てているのだろう。
「いま、天ヶ瀬くんには二つの選択肢があるわ。一つは私と杠葉さん、二人の希望を叶えること。言うまでもなく、これなら一条くん以外の誰も傷つかないし、私と杠葉さんの心は癒される。みんながハッピーになれる結末ね。もう一つは、二人の希望を
どう転ぼうともバッドエンド濃厚な一条については因果応報という感じなのでどうでもいいとしても、その二択を並べられてしまえば俺に選択権はない。
結局のところ、肝心要の部分を神楽坂に握られてしまっている以上、第三の選択肢――つまりは杠葉の望みだけを叶えるというのは取り得なくなってしまっているのだ。
それに、神楽坂の言う通りであれば、確かに杠葉の望みは達成され、かつ神楽坂の願いは成就する。俺が抱えるであろう罪悪感はともかくとしても、一番丸い選択肢であることは間違いないとは思う。
それでも素直に頷くのはなんだか憚られてしまい、俺は叱られた子どものように下唇を噛み締めて深く黙り込む。
そんな様子を見て、神楽坂は不思議そうに首を傾げていたが、そのうちに合点いったように小さく頷いた。
「あぁ、もしかして杠葉さんから何かしら御礼を約束されてる? それが重しになっていて、踏み切れないでいるのかしら――ふん、どうせ、だらしなくぶら下がったあの駄肉に触らせてあげるとか、そんなところでしょう?」
杠葉と異なり、ごく一般的(と思われる)な胸部を持つ神楽坂はなんだか気に入らない様子で、唾棄するようにそう言った。
なんでそんな具体的に当てられるんだよこいつ……。
あの約束をした日以降、俺たちはその話題に触れていないはずだぞ。
もちろん、杠葉のおっぱいにも触れていない。
「ふんっ、そんな破廉恥なご褒美を思いつくだなんて、まったく見た目通りのふしだらな女なのね、杠葉ちとせは」
その内容を正確に当てることの出来る神楽坂も似たような思考回路を持っているのではと思う。
同じくらいエロくなきゃ思いつかねぇよ。
神楽坂はもう一度、ふんと鼻を鳴らすと、ガラリと音を立てて椅子を引き、勢いよく立ち上がった。
杠葉にはできないような正しい腕組みをしてこちらを見据えると、高らかに宣言する。
「いいわ、なら私からもご褒美をあげます。もし私にも協力してくれるのならば――私の身体の好きな場所を舐めさせてあげる」
*
結局、俺は神楽坂の言葉を拒むことは出来なかった。一応言っておくが最後に打診されたお礼は関係ない。
拒むことは出来なかったが、しかし受容したわけではない。酷く情けない話ではあるのだが、肯定も否定もせず微妙な反応でお茶を濁し、戦略的撤退を図ったのであった。
戦略的撤退。
または優柔不断ともいう。
半ば結論は見えてしまっているのだけれど。
しかし、杠葉からも神楽坂からも、俺はいったいどのように思われているのだろう。
エロいご褒美を与えたらホイホイ釣られて動くような変態だと思われているのだろうか。
もしそうなのだとしたら遺憾の極みと言わざるを得ない。
真剣に抗議したい感じだった。
確かに男子高校生の大半はエロしか考えていないだろう。エロエロ部活、エロ部活という感じだ。その部活とて半分くらいはエロの為にやっているようなものだから(偏見)、実質的にはエロエロエロ、エロエロと言っても決して過言ではない。
翻って俺はといえば、部活もせず、毎日を真面目に過ごしている。無論、エロいことを一切考えていないとまでは言わない。沈黙を貫いてはきたけれど、杠葉からの「おっぱい触ってもいいよ」というお礼について何も思わなかったわけではない。しかし、よしんば俺からそのお礼を要求したならまだしも、その発言は向こうからのものであり、それについて悶々とすること自体は責められるべきことでも、恥ずべきことでもない。むしろ、俺の方からそれを言及しなかったことについては誇らしいとすら思う。
……いや。
まぁ、それは落ち着いて考えてみれば当たり前のことではあるのだけれど。
もしこちらから要求したら一撃で信頼関係ぶっ壊れそうだな……。
一方で神楽坂の方はどうだろう。
神楽坂はどこまで想定してそれを口にしたのだろう。『舐めさせてあげる』というのは、『舐めてあげる』よりも多少は健全かもしれない。イメージとしては、紳士が女性の手の甲に口づけをするようなあんな感じだ。しかし後者と比べて選択肢が宇宙のように広く、無限に等しい可能性を秘めているわけで、場合によってはより過激な要求にもなりかねない。
もちろん、今のところ俺に『お礼』を実行するつもりはないけれど、仮に俺が容赦のない変態だとして――たとえば、耳の裏を舐めさせてほしいだとか、足の指を一本一本
あの二人が、ほとんど他人であるはずの俺なんかにそんな約束をしてしまうことの危うさについて正しく認識しているとは到底思えなかった。うら若き女子高生が大丈夫かよと自分事のように心配になってしまう。
それだけ、生半可な覚悟で臨んでいるわけではないとも言えるが。
「陽ちゃん、なーに考えてんの? もしかしてあたしのこと?」
「いや、お前のことは一秒たりとも考えてない」
「ひどっ!」
我が物顔で俺のベッドを独占していた月子は、俺の言葉にショックを受けたような顔をした。
ちょうどいい、こいつに女子の心理ってヤツを聞いてみよう。
普段あまり男と接点のない女子校育ちだし、普段の有様を見ている限りではロクな感性をしているとも思えないが、何かの参考くらいにはなるだろう。
「おい月子、一つエロ談義してもいいか」
「なにさ、陽ちゃん、水臭いな。このあたしを差し置いてエロ談義に花を咲かせられる人材は、この家にはいないぜ。好きなジャンルはBSSだ」
そう言って月子は誇らしげに胸を張る。
狭いコミュニティの話を誇らしげにするな。そもそも誇っていい話でもねぇ。
というか妹の性癖なんて聞きたくない。
「無論、陽ちゃんが取り揃えている無尽蔵のエロ漫画、エロ本、AVはすべて網羅している。そこに官能小説、エロゲー、エロアニメまで嗜んでいるあたしはさらにその上をいくよ」
「はぁ!? バカ言え! 俺のコレクションは全部電子媒体で取り揃えているんだぞ! お前がそれにアクセスできるわけないだろ!」
「甘いね陽ちゃん。陽ちゃんのパソコンも、タブレットも、スマホも、全てのログインパスワードは既にあたしのもとに流出済みさ」
「なんだと!」
「なんならあたしの友だちにも流出済みだよ。陽ちゃんのコレクション一覧表と併せてね」
「それはマジで何やってくれてんだアホ妹」
途中までは半ば楽しくやりとりしていたが最後のはちょっと笑えなかった。
女子中学生に俺の性癖が流出してしまった……。
こいつ、割と頻繁に家に友だち呼んだりするから普通に気まずいよ。
家しか逃げ場のない俺になんてひでぇことしやがる。
「まぁ、流出の件はあとでお仕置きするとして、えぇと、これはこの間ネットで読んだエロ漫画の話なんだけどよ」
「あはっ、自分の話だとバレるのが恥ずかしいから友だちの話に置き換えて相談する、みたいな導入だねぇ。友だちがいない陽ちゃんは、その代わりにエロ漫画に置き換えているということなのかな?」
「そんなアクロバティックな置き換えをする人類がいてたまるかよ」
などと否定しつつも、月子の鋭さに内心震える。
何でこんな的確に読み切れるのこいつ。
「そのエロ漫画でさ、『私の身体を好きにしてもいいから力を貸して』ってセリフがあってさ。実際その漫画では言葉通り女の子が代償とばかりに無茶苦茶されちゃうんだけれど、もしも現実世界で同じようなことを言うような女子がいた場合、そいつは本当に身体を好きにされてもいいだなんてことを思っているのだろうか」
「……? ちょっと話が見えないんだけど」
「つまりさ、そういうことを言っちゃうような女子って、どのくらいの覚悟を決めてるもんなのかなって。いや、俺って結構現実主義者だからさ、漫画やアニメとかで現実には考えられない無理矢理な展開があったりすると冷めちゃうんだよ。要は、そういう女子が現実に存在するもんなのか、お前の意見を聞かせてくれよ」
無理矢理な展開だと冷めると言っておきながら聞き方にだいぶ無理矢理感あるのはご愛嬌だ。
「んー、何を聞きたいのかイマイチよくわからないけど、そもそもエロアニメやエロ漫画なんて大半が無理矢理な展開じゃない? いやいや、お前そのくらいの弱みを握られた程度でなんで身体許すんだよ、結果的にもっと大きな弱み握られてんじゃん! みたいな? 陽ちゃんのコレクションにも結構そういうの多いじゃん?」
「俺のコレクションへの言及はやめろ」
「ああいうのは尺だったりページ数だったりが決まっている以上は仕方ないというか、本当はもっといろんな紆余曲折があるんだろうけれど、みんな導入部分なんて気にしないからね。それっぽい感じにさえなればいいわけだし、そこで整合性求めるのはちょっと酷な感じがするよ」
「まぁ、それはそうだな」
「そうした大前提の上で言うとすれば、『私の身体を好きにしてもいいから力を貸して』みたいなことを言っちゃう漫画の中の女の子も、きっと行間に色々な葛藤やしがらみがありつつ、仕方なしにそういう表現にまとめられちゃってるんだと思うんだよね。そういう裏の裏までイメージできないと、『なんだこいつ、自分の身体を好きにしていいだなんてビッチだな』なんて感想を抱いちゃうかもしれないけれど、本人的にはきっと足掻いて足掻いて、そうしてたどり着いた結論がその交換条件なんだろうなってあたしは想像しちゃうから、そこで無理矢理感はあんまり感じないかな。でも、エロ漫画の場合はエロという着地点ありきだから逆算的にほかの手段がない状況に追い込まれているわけで、仮に現実世界で『力を借りさえすればなんとかなるような状況』が発生したとしたら、別に身体を許さなくてもほかの解決策があると思うんだよね」
「ふむふむ、つまり?」
「うん、つまり現実社会でそんなことを言っちゃう女子がいたら
月子はそう言い切った。
「それが本気の発言なんだとしたら、本当に追い詰められててどうしようもなく困っているか、安易に身体を明け渡しちゃうビッチのどちらか、もしくは――いや、やっぱりこの二択のどちらかってことになるかなぁ。うん、そういうことにしておこう」
最後の部分はやや言い淀みつつも、最終的に月子はそう纏めた。
……聞いておいてなんだけどこいつ本当に中三女子か? 意見の出し方がどう考えても三十歳は超えてるんだが。いったいどんな教育受けたらこうなるんだよ。家族の顔が見てみたいね。
まぁ、月子がマセガキなのはさておき、意見自体は腹落ちできるものだった。
杠葉も神楽坂も本気で追い詰められているわけではないし、かと言ってビッチというわけでもないので(たぶん)、やはり発言は本気ではないと考えてよさそうだ。お互い、相手のことしか視界に入っていなくて、ヒートアップしてつい言ってしまったということなのだろう。
危ない危ない、俺が紳士じゃなけりゃ大問題になってたとこだぜ。
「もし陽ちゃんの周りでそんなことを言う女子がいたら今すぐ縁を切ってあたしの胸に飛び込んできてほしい。あたしの身体ならいくらでも自由にしていいから」
「お前も十分にやばいやつだよ」
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