第14話 デジャブ

「えっ、あっ……い、一条とお前が付き合ってる?」


 まさか本人から切り出してくるとは思わず、狼狽えた俺が迷った挙句に放った言葉は、恥ずかしながらオウム返しであった。

 言い訳するつもりは毛頭ないが、残念ながらこの爆弾発言を華麗に捌くほどのキャパは俺にはない。

 俺は慎重に言葉を選びながら続ける。


「えーっと、一条の彼女って杠葉だろ? つまり……どういうこと?」

「あぁ、しらばっくれなくてもいいのよ。私は、から」

「――ッ!」


 しまった――そう思った時には既に遅かった。

 そう思ってしまった時点で遅いのだ。

 神楽坂が知っているというのが事実であろうとカマかけであろうと、きっと答えは俺の顔に出てしまっていることだろう。


「こないだの放課後、ばったり会った日、あなた――あなたとは私と一条くんのことを尾けていたでしょう? あなたたちは隠れていたつもりかもしれないけれど、私は早々に気づいたわ。それも校門を出た瞬間にね。言っておくけれど、素人の尾行って案外バレやすいものなのよ。特に私みたいに人の目線を集めやすい人間にとってはね。まぁ、一条くんはたぶんそれどころじゃなくって気づいていなかったのでしょうけれど。これはあなたたちにとっては良い話かしら?」


 クスクスと笑う神楽坂。

 俺は黙り込むことしか出来ない。

 十分に気を付けていたつもりだったが、尾行どころかあの変装が杠葉であることも気づかれていたらしい。つくづく自分の甘さが嫌になる。

 神楽坂の言う通りだとすると、一条気づかれていないということだけは唯一の救いかもしれない。けれど、それもすべて神楽坂次第だ。

 俺たちの作戦の生殺与奪は、まさしく神楽坂に握られていた。


 。あと最近では、いつものように授業が終わっても一目散に帰ることをせず、最上階の空き教室で何度か彼女と落ち合っていたわよね」

「……なんでそれを」

「一度、あとを尾けたのよ。いつも私と同じタイミングでホームに立っている天ヶ瀬くんの姿が見えないことが多かったから、もしかしてと思ってね。だからごめんなさい、あなたたちが何を企んでいるかもすべて知っているわ」


 なんということだ。

 杠葉と俺が協力して一条と神楽坂をハメる計画のすべてが知れ渡ってしまったらしい。

 それはつまり、少なくとも、神楽坂を俺に惚れさせたうえで振るという計画についてはということを示していた。

 さすがに、俺と杠葉が協力関係を結んだ経緯までは認識していないようだった。正しくは、相談を受けたからこその今の関係性ではあるのだが、しかしこの状況まで至ってしまってはそれはもはや些事でしかない。


 いや。

 これマジでどうするの。

 バレた理由もほとんど俺のせいじゃん……。

 これやべぇよ、杠葉に怒られる……。

 あいつに締められる……。


「あぁ、そんなに怯えないで、天ヶ瀬くん。怖がらないでいいのよ、大丈夫だから」


 神楽坂はどこか楽しそうな表情を浮かべながらこちらに身を乗り出してくる。


「あなたたちの計画を邪魔するつもりはないわ。一条くんの鼻を明かすという計画も、、どちらも好きに進めなさいな」

「……それは、どういう意味?」

「そのままの意味よ。好きに一条くんを貶めればいいし、私のことを辱めればいいわ。私はその一切に目を瞑る――その代わりと言ってはなんだけれど、私の話を聞いてもらえるかしら」


 その真意はこれまでのところ、俺にはよくわからない。彼女が何を以て、どんな判断を踏まえたうえでそんなことを言うのか、皆目見当がつかなかった。自分の彼氏を陥れることもそうだが、何より自分を辱めればいいというのは、理屈が通っていない。そもそも成立すらしないのではと思う。


「……わかった。聞くよ。聞かせてもらうよ」


 しかし、その代わりに話を聞いてほしいというのであれば、俺にはそれを断る理由はない。

 断る権利すらも、ない。

 是非もなし、だ。


 俺の回答を聞いた神楽坂はほんの少し安心したように小さく吐息を漏らすと、改めて口を開く。


「その前に一つ断っておくのだけれど、私は別に一条くんと付き合ってなんかいないわ」

「……はぁ!?」

「いえ、正確には、私は付き合っているとは思っていない、と言った方が正しいかもしれないわね。たぶん、一条くんの方は私と付き合っているでしょうから」


 今日何度目かもわからない爆弾発言に、そろそろ眩暈を起こしそうだった。

 俺は目頭に手を当て、光を遮断した世界で冷静に、極めて沈着冷静に思考の整理を図る。


「えぇと、ちょっと待て……つまりお前は、一条を騙しているということなのか?」

「私としては、そもそも彼に対して『付き合ってほしい』だなんて一言も言っていないのだけれどね。ちょっと思わせぶりなことを言って彼をその気にさせただけよ」


 それを騙したのだと、世間では言う。


 しかし――それが事実なのであれば、杠葉の復讐はいったい何になるというのだ。

 このままでは何の意味もない、あとには正しく何物も残らない。

 それは――いくらなんでも虚しすぎるだろう。

 あんまりだろう。


「なんの意味もない、ということはないでしょう? 少なくとも一条くんが浮気をしたのは事実だし、私が彼の気持ちを奪ったのも事実。それに対して復讐心を抱くのは道理に叶っているわ」

「……でも、そんなものは」

「あの手の男は一度山頂に達したら、すぐにもっと高い山へ登りたがるものだからね。この学校に私ほど高い山はないもの、そこらへんは簡単。まぁ、野心があるのは悪いことではないかもしれないけれどね。でもあの程度の男は私のタイプではないの。全くもってあり得ないわね。登っている山が幻の山だということにも気づいていない愚かな男。可哀想とすら思わない。本当はあの男と抱擁することも、デートに行くことも嫌だったのだけれど、必要経費と言ったところね」


 本人のいないところでオーバーキルという感じだった。

 事実の列挙で人が殺せるのであれば既に一条は死んでいるだろう。

 この発言を一条に聞かせるだけでも十分に杠葉の復讐は成立するのではないだろうか。


「ちなみに、私と一条くんが抱擁していた時、教室の扉から杠葉さんがこちらを覗き込んでいたのも私は知っているわ。なぜなら私が仕組んだから。あの日の放課後にこっそり会おうと彼を誘ったのは私、裏から手を回して同じ時間に彼女が相談を受けるよう仕向けたのも私。もちろん、必ずしもこちらの思い描いた通りの行動を杠葉さんがとってくれるとは限らなかったけれど、結局は私の作戦勝ちといったところかしら。まぁ、まさか天ヶ瀬くんまで覗いているとまでは気づかなかったし、そんなことは思いもしなかったけれどね」


 神楽坂は思い出したように小さく笑った。俺と杠葉の話を聞いて、俺があの現場に居合わせていたことまでも把握したようだ。


 どうやら悲しいことに、俺たちは二人して神楽坂の手のひらの上で踊り続けていたらしい。

 なんだか、俺まで神楽坂に完敗したような気持ちになる。

 いや、気持ちになるどころか――この気持ちは正しく完敗だ。

 神楽坂に対して乾杯をあげたくなるほどの、清々しい完敗だ。


 ここまできたら、もはや俺はただの舞台装置としか成り得ないようだった。唯一俺が出来るのは、神楽坂の次の言葉を引き出すくらいのものである。


「……なんでそんなことを?」

「杠葉さんから彼氏を奪うため。それ自体に意味があるの。もっと深く掘り下げていけば、それは杠葉さんが、私の愛する男を誑かしたからよ。もちろんそれは一条くんなんかではないわ」

「杠葉が――神楽坂の好きな人を誑かした?」

「そう。つまりこれは――私の復讐」


 神楽坂の言葉には底冷えするような冷たさと、火傷してしまいそうなほどの熱が同居しているようだった。

 彼女がこれまで募らせてきた怨嗟の念、その激情が言葉の端々から伝わってくる。

 神楽坂に愛する男がいるということ、ひいては神楽坂に愛されている男がいるというのは――存在するにしてもそれはきっと一条のことなのだろうと思い込んでいたが――ヤツ以外にそんな幸運な男がいるというのは、まぁなんとも羨ましくもあり、しかしながら戦慄を覚える話でもあった。


 これまでの教室での彼女が無色透明であったと仮定すれば、いまの神楽坂は――いや、本当の神楽坂はきっとその対極にいるのだろうと実感する。

 氷のように冷たい炎。

 あるいは炎のように熱い氷。

 そのどちらだとしても、彼女のかいなに抱かれるということはそれ相応の火傷や凍傷は覚悟しなければならないことだろう。そう考えると、どこぞの誰かもわからないが、彼女に愛されるというのはひとえに幸運とばかり言い表せる男ではないのかもしれない。


「……復讐、ね」


 よりによってまた復讐とは。

 そんな言葉が飛び交う日常は嫌だと思った記憶があるが、どうやらそんな日常が近づきつつあるらしい。眩暈とともに、軽いゲシュタルト崩壊を起こしそうになる。


 しかし、男を誑かすだなんて、杠葉がそんなことをするタイプだろうか? 確かに裏表のあるタイプだけれど、中途半端な気持ちで誰かを傷つけるような女ではないと、俺は思う。

 そもそも、あいつは、一条と付き合う前後からの少なくともここ数か月は一条一筋だったはずだ。

 もし神楽坂の言う通りなのだとしたら、それが一年生の時の話なのか、二年生になってからの話なのかはわからないが、きっと杠葉の意図したものではなかったのだろうと思う。いつも通り彼女は友だちの輪を広げようとして、そうする中で誤って神楽坂の琴線に触れてしまったらしい。

 虎の尾を踏んでしまった。

 あるいは――地雷を踏んでしまったのだ。


「ねぇ、天ヶ瀬くん。私の話を聞いてくれると、そう言ったわよね」


 打って変わって、ゆったりとした口調を取り戻した神楽坂は、湿っぽい雰囲気でそんなことを言う。


「……言ったけれど、それがどうしたって言うんだ」


 そう聞き返しながらも、俺は次の言葉を予感していた。

 この流れは知っている。

 このストーリーは見たことがある。


 進研ゼミで学んだのかというくらい、見覚えがあり、身に覚えがある展開だ。

 それこそ、デジャブじゃないかとすら思うほどに。


「それが重要なのよ。天ヶ瀬くん、一つお願いをさせてもらいます」


 お願いじゃなくて話を聞くだけの約束だっただろう――と俺が制止する間もなく、神楽坂は淡々と告げる。



「私の復讐を、手伝ってほしいの」

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