第13話 私のこと、知りたい?


 別の日の放課後、俺は二年C組、つまりは自分たちの教室に居残りをしていた。

 最上階の空き教室とは違い、どちらかといえば低層階にあるこの教室には、窓の外から部活動の掛け声と、ブラスバンド部の楽器の音色が交互に、よりダイレクトに聞こえてくる。どの部活も夏の大会が近いらしく気合が入っているようだ。暑い中、汗水垂らし、時には涙も流しながら全力を尽くすことの出来る生徒たちを俺は素直に尊敬する。友だちがいなくとも、自分の世界に閉じこもりそれ以外のすべてを恨み、妬み、僻むようなことを決して行わないのは、我ながら美点なんじゃないかと思う。まぁ、そんなことは他の人たちからしてみれば当たり前なのかもしれないけれど。


「外が気になるの?」

「……別に、そういうわけじゃないよ」


 俺の向き合う形で正面の机に腰かける女――神楽坂詩が俺の様子を見ながらそんなことを言う。

 机に腰かけるだなんて書くと随分と行儀が悪いようにも見えてしまうが、あくまでわかりやすい表現に努めた結果であり、実際には背筋をスッと伸ばした優等生然とした振る舞いで椅子に腰かけている。

 俺と神楽坂以外には、誰もいない。


「今日、結構暑いから外の部活大変そうだなぁって、ふとそう思っただけ」

「天ヶ瀬くんは運動をあまりするタイプじゃないのかしら?」

「昔は色々やってたんだけどな。水泳とか、野球とか。でも中学に上がって以降はからきし」


 そこでコミュニケーションの術を身につけていればこうはならなかったのかもしれないと思うと四年前からやり直したいところではあるが、仮に運動系の部活に入ったとて俺の性格上途中で辞めていた可能性が高いと考えると、今の俺があるのは当然の帰結のように思えた。

 運命とも言える。

 嫌な運命だ。


「案外、やっていたらやっていたでハマっていたんじゃなくって?」

「どうかな……そっちは運動はやらないのか?」

「やらないわよ。暑いし疲れるもの」


 神楽坂の肌の白さや尋常でない手足の細さを見れば運動経験があまりないであろうことは自明の理ではあったが、いざ聞いてみるとばっさり一刀両断という感じであった。しかし女子が運動を嫌うとすれば大体こんな理由になるのだろう。


「いまは部活には入っていないのよね?」

「あぁ。同好会みたいなのには入っている――というか籍だけ置いているんだけれど、たまに顔を出す程度であんまり活動しているとは言いづらいかな」


 同好会の時点で部活モドキみたいなものではあるのだが、同好会としての最低限の要件すら満たしていない感じの集まりなので、やはり同好会モドキと呼ぶのが適切なのだろう。

 そもそも同好会届を提出しているかどうかすら怪しい。とある縁があって俺はその会に入会することになったのだが、その際適当な用紙に名前だけ書かされたことを思い出す。あの時は同好会はこんなものか、などと特に疑問に思うこともなかったが、今考えれば同好会だとしても学校に届け出している以上は最低限のルールは課されているはずであり、となるとやはりあれは本当に同好会ですらないのかもしれない。


 神楽坂は同好会については特に興味はないようで、俺の話に適当に相槌を打つと目を細める。


「ふぅん、それで空いた時間を勉強に充てているのかしら。殊勝なことね」

「まぁ、結果的にそうなってるってだけなんだけどな」

「勉強のために人間関係も、部活動も、すべて投げ捨ててきたのね。立派だわ」

「いや、何もそこまで不退転の覚悟で勉強しているわけではない……」


 神楽坂は、先ほどからこうして饒舌にしゃべり続けていた。

 ここまでで既に一年生の時に聞いた神楽坂の言葉数を大きく越しているように思う。

 こいつ……思っていたよりも三十倍くらい話好きだぞ、これ。

 普段の神楽坂詩は何なんだよと思いたくなるほどのギャップであった。


 なぜ俺と神楽坂が放課後の教室で楽しくおしゃべりをしているかというと、件のクラス展覧会の準備のためである。

 テーマ自体は、先日の説明会の後に行われたHRにて既に決定済みである。そのHRではクラスの出し物についても検討が為されることになっていたため、先に打診した展覧会テーマについては半ば義務的な消化というべきか、皆あまり興味がなさそうであった。議論が紛糾してまとまりがつかないよりはマシかもしれないが、いくつか案を携えていった身としては少し寂しいものがある。しかしまぁ、それも無理からぬことだろうとは思う。


 ちなみにテーマは『なぜ戦争はなくならないのか』。

 ありきたりなテーマではあるが、長い人類の歴史上、戦争は幾度となく繰り返されてきているし、参考となる文献も多い。何より、杠葉VS一条・神楽坂の戦いに巻き込まれている俺としてもぴったりのテーマと言える。そこまで皮肉的なニュアンスを込めているわけではないし、そもそも戦争にまで発展させるつもりもないのだが。前にも言ったけれど、これは一方的なリベンジなのでね。


「まぁ、俺の話なんてどうだっていいんだよ。展覧会の話し合いを始めようぜ。とりあえず、どういう構成にするかってのと、大まかなスケジュールだけは早いとこ決めないとな」

「展覧会の準備みたいなつまらない話こそどうだっていいのよ。もっと天ヶ瀬くんのお話を聞かせてちょうだいな」

「……いやどうでもよくはねぇだろ。手作業の時間を考えたらなるべく巻いていかないと間に合わなくなるぞ」

「そんなのどうだっていいわ。適当にこっちで考えて適当にこっちで書いちゃえばいいのよ」

「不真面目だ……不真面目な生徒がいる……」

「なんならクラスの暇そうな男子にでもやらせてしまえばいいのよ」

「その理論で言えばやることになるのは俺なんだけど」


 随分と横暴だった。

 ここらへんはなんというか神楽坂に抱いていたイメージ通りではある。


「というか、そもそも相談のために集まろうって言いだしたのは神楽坂の方だろ。相談するつもりがないならいったいこの時間は何のための時間なんだよ」

「せっかくパートナーになったのだから、お互いのことを知ろうとするのは当然でしょう?」

「パートナーって……んな大袈裟な」

「私は天ヶ瀬くんのことを知りたいと思っているわよ。それに――天ヶ瀬くんの方も私のことを知りたいんじゃないかしら?」


 神楽坂は抑揚のない声色でそんなことを言う。しかしなんだか心の中を見透かされているようで、ドキリと小さく心臓が跳ねる。


 本音を言えば聞きたいことは山ほどある。

 たとえば、なぜ一条と付き合っているのか。

 たとえば、先日の発言――展覧会委員に立候補した理由の真意。

 たとえば、俺のことを知りたいと言ってくれる理由。


 しかし杠葉の目的を第一とするならば、あまり踏み込みすぎるのも危険だ。

 罠、とまでは言わないが勢いよく食いついてしまえば思わぬボロが出かねない。そもそも、これまで一切クラスメートに干渉してこなかった俺が神楽坂のことを知りたいと安易に言ってしまうのは強烈な違和感として彼女の中に残り、それが一条にまで漏れ伝わってしまえばヤツに余計な警戒を抱かせてしまう可能性だってある。


 ここはあえて泳がせてみよう。

 というより、泳いでみよう。

 同じ委員として、今後も接点はあるだろう。今焦る必要はない。


「……いや、別に大丈夫だよ。それより展覧会をどうするか、一緒に考えようぜ」

「いや、あの、展覧会をですね……」

「なによ、私の価値は展覧会以下とでも言いたいわけ?」

「いえ、そんなことは言っていません……」

「私と展覧会、どっちが大事なのよ」

「そんな終焉間近のカップルみたいな質問されても」


 神楽坂はむむっと表情を険しくする。

 なぜ俺が詰められてるんだ……。


 しかし、この神楽坂の表情は演技っぽくない。本当にプチ怒りしている感じであった。

 いよいよ神楽坂が何を考えているのかわからなくなってくる。


「でも実際のところ、聞きたいことはあるはずよ」

「……と、言いますと?」

「そうね、たとえば私のスリーサイズとか」

「……そんなことを聞きたいはずの人間と思われているのか俺は」

「たとえばリーマン予想の証明方法とか」

「それを聞いて答えられる人間なのか!? お前は!?」

「私、数学には強いの」

「強いの、で済ませていい次元じゃねぇよ! 今すぐアメリカに行け!」

「たとえば――」


 神楽坂は一瞬、言葉を区切ると、瞳をキラリと光らせる。

 怪しく、妖しく。


「――私が一条くんと付き合っている理由とか」

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