第12話 イイ女を目指そう
*
「そろそろ、新しいプロジェクトを動かしていきたいと思います!」
放課後の教室で、杠葉は高らかに宣言した。
いつも通り、最上階の空き教室である。普通、教室には名前がついているもので、たとえば俺たちが普段学び舎とする二年C組は、おそらくどれだけ学年の入れ替わりが発生しても『二年C組』なのだろうし、音楽室や化学実験室はずっと昔からそうなのだろう。もちろん、長い歴史の中においては、リノベーションの結果として教室の位置が変わることや、あるいは全く別の目的のために作り替えられることもあるだろうが、少なくとも今現在時点で付加されている各教室の役割のもと、そうした教室を『教室』という固有名詞呼ばわりすることは基本的にない。
では、この空き教室は何と呼べばよいのだろう。
校舎の最上階、階段から最遠い廊下の最奥に位置し、いずれの場所への導線ともならない場所。正確には突き当りには非常階段が構えられているため有事の際にはまた違ってくるのだろうが、いずれにせよこの教室の役割には関係がない。間取りは普通の教室と変わらない。いくつかの机と黒板が設置されているため、使おうと思えばきっと教室としても機能するのだろうが、少なくともここしばらくはそのように使われた形跡はないし、今後使われるという噂も聞かない。
生徒たちには認識されておらず、教師には忘れ去られた教室。まぁ、埃の溜まり具合から察するにちゃんとメンテナンスはされているようなので、完全に忘れ去られているというわけでもなさそうだが。
教室としての機能を具備しているにもかかわらず、皆の視界に入らない教室。
まるで風の噂のように存在感が希薄な教室。
どうしてか親近感を抱かざるを得なかった。
だからこそ、俺はこの教室に役割を与えたい。
俺たちはここを――秘密基地とする。
「ねぇ、聞いてる?」
「いや、聞いてない」
「もぉ! 怒るよ!」
俺の顔を覗き込むと、可愛らしく頬を膨らませぷんすかする杠葉。
その言葉を発した時点で既に怒っているだろう、という返しはきっと怒りを増長するだけなので自重しよう。
空気が読める男なのだ天ヶ瀬は。なにせ風のような男だからな。
「まったく、ちょっと神楽坂さんとの間に進展があったからって浮かれすぎじゃないの? 調子に乗りすぎているんじゃないのかな?」
「別にそれは杠葉にとっては悪い話じゃないだろ。というかお前がそうしろって言ったんじゃないか」
「言ったけど、でもそういう問題じゃないの! 理屈じゃないんだよ女の子は! そういうところだよ天ヶ瀬くんは!」
そう言うと杠葉は苛立ったように腕を組む。
胸の前で組むことが叶わないためか、手を下から回してちょうどアンダーの部分で腕組みをするが、それによって予期せず胸が持ち上がり強調されるような格好となる。というか強調しようとして腕組みしているようにしか見えない。本人が気づいてやっているかは定かでないが、なんだかグラビアのワンシーンを見ているかのようだった。なんて、この視線に気づかれてしまえば彼女の怒りが増幅すること請け合いであり、俺はバレる前にさりげなく目線を外した。
しかしわからない。
杠葉はいったい何に対して怒っているのだろう。
俺が彼女を裏切って神楽坂と懇意にしてしまうことを危惧しているのだろうか。だとしたら余計な心配である。俺が神楽坂とそんな関係性になることはどう転んでも発生し得ない。七転び八起きではなく七転八倒だ。俺は俺をいい意味で信用していないし、悪い意味で信用している。
こっぴどい裏切りにあった杠葉が神経質になる気持ちはわからなくもないが、自分が疑われるのも癪だし、ここらでしっかりと言葉にしておこう。
「心配するなよ杠葉。俺はお前を裏切らない。乗り掛かった船から突然飛び降りるだなんて真似はしないっての。この船が港まで漕ぎつこうと、途中で力尽きて沈没しようと、どんな結末を迎えるのであれ俺は最後まで一緒だ」
「……まったく、そういうところだよ、天ヶ瀬くんは。というか沈没なんてしないし!」
小さく嘆息した杠葉は腕組みを解く。
どういうところがそういうところなのかはよくわからないままだが、ともかくとして溜飲は下がったらしかった。
「もう一度説明するけれどね、そろそろわたしの自分磨きについても本格化していこうと思うのですよ! より一層、一条に悔しい思いを味わわせるために、わたしはもっともっとイイ女になるのです!」
「ふぅん、なればいいんじゃないか? 頑張れよ」
「なんで他人事なんだよ。言っておくけれど、天ヶ瀬くんにも協力してもらうからね?」
「はぁ?」
「あのですねぇ、やっぱり自分一人での自分磨きには限界があるんだよ。磨きたい自分というのは他人から見た自分でしょう? 要は客観性が重要なんだ。だから、天ヶ瀬くんには今のわたしに欠けているモノを判断してもらいます!」
「もらいますと言われてもな」
なんだか面倒な話だ。
杠葉は別にスペックが低いわけでもなかろう。大して上積みが見込めるとは思えない。
「杠葉は十分イイ女だと思うし別にいらないんじゃないか?」
「天ヶ瀬くんが本心で言っている時と、面倒だから適当にあしらおうとしている時の違いがなんとなくわかってきたよ。今のはとても投げやりな感じがしたから後者だね」
……。
図星の時は黙っておくが吉である。
「というわけで第一弾は料理です! いえーい!」
という謎のテンションに合わせ、杠葉は鞄から弁当箱を取り出す。
「人の心を掴むにはまず胃袋からって言うよね! 同棲とか結婚とか、将来的に料理を作らなきゃいけない場面ってきっとあるだろうし、イイ女の必須条件だと思うんだ! なので、お昼ご飯とは別でね、天ヶ瀬くんに食べてもらうためにお弁当を作ってきました!」
「……今からそれを食えということ?」
「そゆことです。あ、ちゃんと保冷剤は効いてるみたいだから安心していいよ!」
「別にそこを気にしてるわけじゃない」
「男子に、というか誰かのために料理するだなんて初めてだからさ、あはは、ちょっと緊張するねー! でも、きっと天ヶ瀬くんのお腹は満たせると思うよ!」
「いや、そもそも腹減ってないんだけど」
「ふふっ、天ヶ瀬くんはわたしのお弁当を食すことで、お腹だけでなく胸いっぱいになってしまうかもしれないね」
「上手くもなければ脈絡もねぇ!」
「じゃじゃーん!」
俺の言葉など聞こえていないかのように弁当箱を開ける杠葉。
そこに並んでいたのは色とりどりのおかずに、オムライスだった。如何にも男子高生が喜びそうな弁当である。やや茶色が多い感じもするが、少なくとも見た目は悪くない。
「どうぞ、めしあがれ?」
誰かのために初めて作った料理だと、彼女はそう言った。
きっと朝早く起きて準備をしたのだろう。思い返せば、今日の授業中、珍しく杠葉は船を漕いでいた。
これはその努力の結晶だ。努めて明るく振る舞っているが、しかし俺に箸を差し出したその手は、ほんのわずかに震えているようだった。初めて誰かに自分の手料理を食べてもらうのは、それは緊張することだろう。相手が家族でも恋人でもない人間となればなおさらだ。
そういって箸とともに差し出される弁当を、俺は拒むことなどできるわけがなかった。
「というか、食べてもらうつもりだったなら昼休み前に言ってくれればよかったのに」
「だって……天ヶ瀬くんのご両親が作ってくれたお弁当もあったでしょう? それを差し置いてわたしが作ったものを食べてもらうなんて出来ないもの」
「だったら昨日のうちに連絡するとかさ」
「……だって、前もって言っちゃうとハードル上がるじゃない」
だってだってと言う様子は、杠葉にしては珍しく子どもが言い訳をしているようにも感じた。
その一言一言から彼女の緊張が伝わってくる。
仕方ない。彼女の心意気に応えよう。
ぶっちゃけ本当に腹は減っていないのだが、別に腹がいっぱいで食えないというわけではない。男子高校生の胃袋ならばこの程度は朝飯前である。
今は昼飯後だけれど。
「……言っておくが、俺の採点は辛口だからな?」
「……望むところだよ!」
「……いただきます」
念のための確認を終えたのち、俺は杠葉が見つめる前で手を合わせ、箸を手に取る。
作ってきた料理はオムライス、ミニハンバーグ、ミニグラタン、から揚げ、卵焼き、ほうれん草のお浸し、きんぴらごぼうにプチトマトであった。品数的には十分すぎるほどである。この量を朝起きて仕込むのは時間的にも分量的にも難しいはずで、おそらくは昨日のうちにある程度調理していたのだろう。
一口、また一口と、おかずを口に運んでいく。
その様子を固唾をのんで見守る杠葉。見られながら食事をするのはやや緊張するが、俺は無心で食事を進めていく。
それから数分と経たないうちに完食。
俺はペットボトルの麦茶に口をつけ一息つくと、杠葉の目を見て口を開く。
「……一緒に、料理の勉強していこうな」
「わぁん! その言葉だけで全部わかっちゃったよぉ!」
割と本気でショックを受けた感じの杠葉は、過剰ともいえるほど大袈裟に仰け反る。
「うぅ……覚悟はしていたけれど、これかなり
「うぅん、別に食えないわけじゃないんだけどな。お腹にも溜まるし」
「それ、おおよそ料理への感想には思えないんだけど! 保存食に対する感想にしか思えないんだけど!」
そう言われても事実だから仕方ない。
それ以上の感想は持ち合わせていないのである。
「たとえば、この唐揚げだけど筋みたいなのが結構残っちゃってるんだよな。たぶん下処理が甘かったんだと思う。あと、結構衣がふにゃふにゃになってて、これは揚げるときの油の温度が低くて衣の水分が抜けきらなかったんだろうね」
「お、おぉ……割と真面目なダメだしだ……」
「このオムライスもケチャップライスがちょっとべちゃっとしてるね。炊いた米が柔らかすぎたか、ケチャップの水分がしっかり飛びきってなかったか、どっちかだと思う。あとは――」
その後も、俺は思いつく限り料理の改善点を述べていく。
別に、ここまで真面目に答える必要はなかったかもしれない。適当にお茶を濁してもよかったのだろう。
けれど、杠葉はそれを期待しているのではないと思った。わざわざ時間と手間をかけてまで俺なんかに意見を求めてきているのだ。
俺のダメだしに対して、悔しげな表情ながらも余計な言葉一つ挟まず、じっと耳を傾けているのがまさしくその証左だと思う。
思えば、あの日のファミレスでも杠葉は忖度を嫌った。きっと彼女は、少なくとも俺とのやり取りの中では本音で向き合うことを常に望んでいる。
であれば俺としても忖度なしで言葉を届けるのが道理というものだろう。
俺は一通り感想を伝え終えると、一区切り入れたのち、改めて口を開く。
「最後に一個だけ、すげぇ酷なこと訊いてもいいか?」
「……どうぞ」
「これ味見ってした?」
「ぐはっ」
今度は大げさでなく、手近な机へ本当に突っ伏す杠葉。
「……うぅ、一応したんだけれど、ある程度味付けがしっかりしていたら、わたし何でもおいしいと思っちゃうタイプで、全然疑問に思いませんでした……」
なんとも料理の作り甲斐の無いやつだな。
いや、なんでも美味しいと言ってくれるのであれば逆に作り甲斐があるというべきか。
「基本的な味付けは確かにそんなに悪くはないと思う。まぁ偉そうなことたくさん言ったけどさ、ぶっちゃけ料理なんて慣れだからね。さっき言った下処理とかも慣れてくれば当然のようにできるようになってくるし、なんとなく『これやらないといけないよな』って勘所も身についてくるもんだから」
「……天ヶ瀬くんは結構料理するんだね?」
「まぁな。伊達に年がら年中家にいるわけじゃないさ」
暇というのももちろんあるのだが、割と両親の帰りが遅かったり、休日も仕事に出ていたりで、月子と二人きりの時間も多くて、必然的に俺が作らなければいけない場面が多いという事情もある。
もちろん、俺だって最初は失敗続きだったが、やっていくうちにすぐに上達していった――と自分では思っている。ちなみに月子は俺が何を作っても、どれだけ適当に作っても「陽ちゃん美味しい! 天才だよ!」と言ってくれるので、嬉しいことには嬉しいのだが、自分の上達度合いを測るうえでは全く参考にならない。
「結構色々言っちゃったけど、あんまり落ち込む必要はないよ。これから上手くなれば――慣れていけばいいんだよ。杠葉は要領いいし、すぐに上達すると思うよ」
「……優しいね、天ヶ瀬くん」
「あれだけダメだしされての感想がそれって……杠葉は変わってんなぁ」
「もぅ、そういうこと言わない!」
杠葉はほんの少し怒ったような素振りを見せるも、そこに怒気は見えない。
「……わたし、今日という日を忘れない。本当に悔しかった。一条に浮気された時の次くらいに悔しい」
そこまで言うほどか。
俺はほんの少し戦慄する。
「だから、いつかは絶対、天ヶ瀬くんに美味しいと言わせてみせるから――」
杠葉は小さく笑う。
「――覚悟しておいてね」
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