第11話 立候補の理由

 翌日の一限。


 クラス展覧会の担当者に任命された俺――もとい俺たちは、一限の時間を使って開かれた担当者説明会に参加する。クラス展覧会のみならず、文化祭実行委員やクラスの出し物などについても、この時間を使って第一回の説明会が開催されていた。指定された教室に移動し、各学年各クラスの担当者が集合する。但し三年生については文化祭そのものが自由参加となっており、当然この手のイベントに積極的に参加したがる奇特な生徒はいない。従って、一年生と二年生、それぞれ六クラスの代表者二名ずつ、合わせて二十四名が一堂に会したわけであるが、その面持ちは決して明るくはない。抽選か何かでまさしく貧乏くじを押し付けられたのだろう。自ら立候補してこの役職に任命された人間など、俺たちを除けば皆無に近いのではないだろうか。


 しかし、さすが神楽坂詩というべきか、彼女が入室した瞬間、明らかに教室の雰囲気が変わる。既に噂は浸透している二年生はもちろんのこと、彼女のことをあまり知らないはずの一年生までも彼女に目を惹かれていた。一言も発することなく人々を魅了するそのカリスマ性は、不断の努力を積み上げたとしても届きうる次元にはないのかもしれない。但しこの場合、隣で立ち尽くす俺のことも皆の視線の内にどうしても入ってしまうようで、俺としてはひたすら肩身が狭いばかりであった。


 その後、担当の先生からレクリエーションを受ける。しかし説明されることといえば、作成にかかる線表や過去の事例紹介程度であった。学校にもともとある備品を使っての作業となるため特に下準備や許認可が必要なものではないし、そもそものコンセプトとしても生徒の自主性を重んじた発表ということなので、学校サイドから生徒へインプットしなければならない項目はほとんどないらしい。もちろん、展示前には教師から簡単な検閲は入るらしいが、よほど過激な内容などでなければ、精々誤字や脱字を修正する程度のものなのだそう。


 十五分程度の説明と要綱を記載したペライチの資料を受け取った俺たちは自分たちの教室へ戻る。

 二人、肩を並べて歩く。


 会話は――ない。

 彼女が押し黙っているのはいつも通りなのだが、俺は俺で話しかけるタイミングを見計らっていたというか逃し続けていた。

 まぁ、俺が黙っているのもいつも通りと言えばいつも通りではあるが。


「……」


 これ、話しかけてもいいものなのだろうか。

 いやもちろん究極的にはダメということはないのだろう。答えてくれるかは別として、勝手に話しかけること自体は俺の自由だとは思うが、しかしそれを躊躇させるだけの迫力が神楽坂にはある。


 形だけ見れば願ったり叶ったりという感じではある。あれだけ苦慮していた彼女との『とっかかり』が出来たのだ。展覧会のことでもいいし、それ以外のことでもいい。今ならどんな会話を交わそうが、誰かに不思議がられることはないだろう。


 しかし、彼女の方から展覧会の委員役に飛び込んできた、その意図が測りかねる。

 少なくとも、俺が知っている彼女――表層上の神楽坂詩であれば、あのような会議の場で積極的に自分から名乗りをあげるようなことはしなかっただろうと思う。もちろん、俺が知っている通りの神楽坂でなかったからこその立候補だったわけだが、では彼女の意図はどこにあるのだろうか?

 いろいろと予測は立てられるが、いずれも推理の域にすら届かない只の妄想だ。


 それに――先日の別れ際の挨拶も気になっている。

 やはり彼女の本質は、俺の知らない部分にあるのだと思い知らされる。もちろんそれは一条と浮気していることからも自明の理ではあるのだが、しかしミステリアスな神楽坂の花弁が一枚ずつめくれていくに従って、『本当の神楽坂詩』はどんな人間なのだろうという探求心が一層強くなっていく。俺にしては珍しく、また杠葉には申し訳ない話にはなるのが、彼女の復讐とは関係なく神楽坂のことを知りたいという欲求に駆られていた。無論それは恋愛感情などではなく、知的好奇心から来るものであるとだけ断っておく。


「……神楽坂はどうして展覧会委員に立候補したの?」


 迷った俺は、結局ストレートに尋ねることにした。婉曲的に質問してもこちらが望む回答が返ってくるとは限らないしな。


「気になる?」


 半歩先を歩く神楽坂は半身をこちらに向け、そう言葉を返してきた。


 正直に言えば、それはこちらが想定していない切り返しであった。

 答えずに押し黙るか、もしくはストレートに答えてくれるか、てっきりその二択だと思っていたのだが、見事に予想を裏切られた形である。

 なんだか、良くも悪くも出鼻を挫かれた感じだったが、しかし会話が続いたことには安堵の気持ちを覚える。


「まぁ、ぶっちゃけ。展覧会委員なんか立候補してなるものじゃないだろ」

「なんかって、天ヶ瀬くんも立候補したのにおかしなことを言うのね」


 そう言って神楽坂はうっすらと笑みを浮かべた。


 俺は――その笑顔に思わず見蕩れてしまう。

 普段の彼女との高低差も相俟って、破壊力倍増という感じであった。


 ……いけないいけない。

 俺は昨日の夜、杠葉から送られてきたチャットを思い出す。


『神楽坂さんと仲良くなるのはいいけど、マジになっちゃだめだよ!(@_@)』

『ならねぇし、なれねぇよ』

『裏切り者には、制裁』


 などと、王様ゲームの掛け声と似たようなフレーズを顔文字一つなく送ってくるものだから、俺は思わず肝を冷やした。

 悪いことは何一つしていないし、未遂すら起こしていないのになんでこんな釘を刺されなきゃいけないんだという思いはありつつもなんとかそのチャットは平身低頭で乗り切ったわけだが、しかし杠葉が懸念する理由がいまはっきり分かった気がする。


 たとえ言葉少なくとも、その存在だけで周囲を魅了する力が神楽坂詩にはある。


 どれだけのマイナスも一撃で帳消し、どころか貯金すら作ってしまうほどの大いなる魅力が。

 どれだけ障害があろうとも思わず近づきたくなってしまう太陽のような魅力が。

 彼女には、ある。


 そう、きっとそれは、彼氏を寝取られた杠葉自身が一番よくわかっていたのだろう。

 痛切なまでに、わかっていたのだ。


「どうかした?」

「……なんでもない」


 たかが笑顔で話しかけられた程度でどれだけ地の文を連ねるんだ、俺は。

 浮かれすぎてて恥ずかしい。神楽坂と会話が成立していることに対してはしゃぎすぎだ。

 気持ちを切り替えよう。


「いや、俺は別にいいんだよ。ほかの役職がやりたかったわけじゃないし、この役職が嫌なわけでもないから」

「そう。そういえば天ヶ瀬くんは成績優秀だったものね。こういうアカデミックな感じも得意というわけね」

「得意って程じゃねぇけどな。嫌いじゃないだけだよ」

「あら、自分を大きく見せることをしないのね。立派だわ」


 そう言ってまたも神楽坂は微笑を湛える。


 なんだろう。普通に神楽坂と話せていることにまずは驚きだが、会話してみると思いのほか普通の女の子――なんなら普通の子よりもよっぽど柔らかい感じなことに更なる驚きを禁じ得ない。


 え、神楽坂ってこんな話し方をするのか……。

 というかそもそもちゃんと会話してくれるんだ……。


 意外性と感動の波が押し寄せてきて、キャパがパンク状態であった。

 そんな俺のことなどお構いなしに神楽坂は言葉を続ける。


「私が立候補した理由は、あなたよ」

「…………へっ?」

「あなたが立候補したから、私も手を挙げた。それだけ」


 呆けた声を漏らした俺に対し、神楽坂は足を止めこちらに向き直りながら、迷いなく言い切る。

 その凛とした様は見習いたくなるほどかっこよかった。


 ……いや、待て待て。

 かっこいいとかそんな感想を抱いている場合じゃない。

 明らかに何かがおかしい! どう考えても何かがおかしい! なんだこれはハニートラップか!?

 そんな邪推をしてしまうほどに、神楽坂が俺に対して差し向けてくる言葉には現実味が感じられなかった。


 俺はじんわりと手のひらにかいた汗をズボンで拭う。

 きっとこの汗は、気温によるものだけではない。


「あ、あのさ、それってどういう――」

「さぁ、戻りましょう――テーマを決めないと」


 意図してかどうかはわからないが俺の言葉を遮った神楽坂は、話は終わりとばかりにくるりと反転。

 廊下を吹き抜けた風も相俟って、カーテンが波打つように神楽坂の黒髪がふわりと吹き上がる。


 そのままスタスタと廊下の先を行く神楽坂の後ろ姿に、俺はかける声を失う。


 神楽坂詩はどうやら俺が思い描いていた性格ではないようだけれど。

 どちらにせよ、なかなかに御しがたい性格をしているというのは間違っていなさそうだった。

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