第7話 化かし合い

 暫くすると、一条と神楽坂が席を立ち退店していくのが見えた。俺たちも急ぎ後を追う。


「ちなみにさ、訊いていいのかわからないけれど、杠葉ゆづりはと一条がデートするときは普段どういうところに行ってたんだ?」

「行ってた……そうか、もうわたしは過去形で形容される人間なんだね」


 トボトボと歩く杠葉。ここまでに蓄積したダメージは大きいらしく、ちょっとした言葉尻でも傷ついてしまうようだった。

 ……これからは言い方には気をつけよう。


「わたしと健――一条は特にこれっていう定番のコースは特になかったかなぁ。カラオケに行ったり、映画を観たり。でも、恋人になる前からグループで遊んだりしてきたから、今日みたいな高校生の定番みたいなコースは逆に二人きりの時はあんまり行かなかったかも」

「ふぅん」


 逆説的に捉えれば、前を歩く二人にとっては今のこのデートコースは定番ではないということなのだろう。

 大した慰めにはならないだろうが、彼らにとってこれはほとんど初デートか、それに近いものなのだろうと推測する。


「あの二人、次はどこに行くんだろう」


 十数メートル先を歩く二人の背中を見つめながら、杠葉はそう呟く。

 既に17時近くになっている。明日も学校があることだし、健全なカップルであればそろそろ別れてもおかしくない。

 裏を返せば、もし彼らがのならここから先の一挙手一投足は見過ごせない。無論、制服を着ている状態では活動範囲は限定されるだろうが、もし個室のあるお店、すなわちネットカフェやカラオケにでも行こうものなら、それは決定的な証拠とも成り得る。


 そう考え、ほんの少しだけ二人を追う足を速めたところで、二人が角を曲がろうと身体の向きを変える。


 その瞬間――僅かに首を振った神楽坂詩の真珠のような大きな瞳がこちらを捉える。

 ほんの少し前のめりになっていた俺はうかつにも目標から目線を外すこともできず、刹那に等しいコマ割ではあったが、俺と神楽坂の視線が確かに交錯する。


「やべっ」


 俺は慌てて目線を逸らす。しかし視界の端に捉えた二人の人影は、何事もなかったかのようにそのまま角を曲がり姿を消す。

 心配のし過ぎだったのだろうか。まぁ、それなりに距離はとっているし、一瞬のことだったからそこまで彼女の眼には止まらなかったのかもしれない。


 もしかしたら俺の顔が認識されていなかっただけかも。

 仮にそうなのだとしたらこの場においては僥倖ではあるのだけれど、一年以上同じクラスでそのレベルの認知というのは今後のことを考えると前途多難と言わざるを得なかった。


「見失っちゃうよ! 急ごう」


 急かす杠葉に先導され、俺たちは足早に曲がり角を目指す。

 思えば、油断はあったのだと思う。


 そろそろ解散の頃合いだろうという油断。

 神楽坂に俺の顔が認知されていなさそうだという油断。


 それらが積み上がり、俺たちは不測の事態への備えが取れていなかったんだ。


「――どうしたんだよ、急に戻ろうだなんて」


 俺たちがちょうど曲がり角に差し掛かったタイミングで、見えない角の先から聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 同じく響いてくる二人分の足音は間違いなくこちらに近づいていた。


 つまり、二人は――引き返してきている。


「えっ、うそっ、やば」


 気づいた杠葉は狼狽える。しかしながら、生憎と近くに二人ともが姿を隠せそうな場所はなかった。


 ――どうする。

 鉢合わせするまで残り数秒もない。このまま遭遇してしまったら一巻の終わりであろうことは想像に難くない。

 俺は自分の迂闊さに歯噛みをしたくなるが、その猶予すら存在しない。


「――っ」


 杠葉は咄嗟に俺の腕を抱き込み、ラブラブカップルが如く俺にしがみつく。

 俺は肘のあたりに伝わる柔らかな感触と仄かに香る甘い匂いに一瞬ドキリとさせられるが、すぐさま杠葉の意図を理解し、思考を切り替える。


「――おわっ……えっ」


 次の瞬間、再び曲がり角の先から姿を現した一条は、至近距離の人影(つまり俺たちだ)にまずは驚き、さらにその人影の正体がクラスメートであることを知るとより一層表情に驚愕を深める。


「えっと……天ヶ瀬あまがせ、だよな?」


 恐る恐るといった具合で、一条はそう口にした。

 直接話すのはこれが初めてだったが、さすがに顔と名前は認知されていたらしい。あまり自信はなさそうではあったが。

 ほんの少し嬉しくなるが、喜んでいる場合ではない。


「おう……奇遇だな、一条」

「そうだな……」


 一条はどう説明したものかと逡巡するように目線を左右させる。

 こいつの中でも同級生に見つかった時の言い訳はいくつかシミュレーションしていたのだろうが、俺と遭遇するパターンは考えていなかったらしい。こいつに対してどのテンションで接し、どこまで話をするべきか、などと考えているのだろう。会話の糸口を探るように視線を彷徨わせたのち、俺の腕にしがみつく女子の姿に目を止める。


「あー……悪い、もしかしてデート中、だったか?」

「……あぁ、まぁ、そんなところだ」


 そんなところも何もデート以外で腕にしがみつくなんて状況は発生し得ないのだろうが、俺は話を合わせて適当にお茶を濁す。


 ――デートをしているように見せかける。

 杠葉が唐突に腕にしがみついてきたのはそういう理由だった。しかし当然ながら、杠葉は顔を見られてはいけないわけで、今もなお俺の腕を抱き込みながら目深に被った帽子のつばを手で押さえ、一ミリたりとも表情を見せないよう必死で俯いている。


「へぇ……そうなんだ、ふぅん」


 一条は杠葉を一瞥したのち、納得したのかしていないのかよくわからない中庸的な相槌を打つ。

 値踏みするようなその視線は正直に言えばあまり気分のよいものではなかった。

 その瞳は『こんな奴に彼女が?』という疑いと好奇の発露を如実に表していた。


 クラスの片隅で、居るか居ないかもわからない程度に存在感を薄くしているようなクラスメートが繁華街でデートしていることに対して抱く感情としては正常のようにも思うが、正常だからといって心地よいものではない。

 しかし一条は自分の置かれている状況への説明もしないまま、俺にしがみついたまま顔の見えない謎の女子へ不思議そうに眼をやる。


 一応、変装の甲斐あって、顔さえ見られなければ杠葉であるとは気づかれにくいだろうとは思う。しかしもし万が一バレてしまえば、一転してこちらが浮気を疑われかねない場面だ。杠葉の身体から緊張が伝わってくる。


「えぇと、そっちは神楽坂さんとデート、なのか?」


 一条の半歩後ろに無言で佇む神楽坂へ視線をやりながらそう尋ねる。

 今は一条の気を杠葉から逸らすことが大事だ。


「ん、あぁ、実はそうなんだよ。俺らお忍びでデートしてたんだわ。参ったぜ、クラスメートに見つかっちまうとは」


 一条はおどけて肯定してみせる。それによって逆に真実味を薄れさせる魂胆なのだろうと俺はそう直感する。

 ならば、と一条が待ち受けているであろう部分に俺は切りこむ。


「あれ、でも、一条って杠葉と付き合っているんじゃなかったのか?」

「ははっ、おいおい真に受けるなって。悪い、嘘ついたわ。俺たちのはデートじゃないよ」


 一条は俺からの質問を予期していたように淀みなくそう答えると、照れくさそうに頭をかいた。


「……実はさ、杠葉の誕生日が近いんだ。で、、日直が一緒だったってのもあって、そのプレゼント選びを神楽坂に付き合ってもらってたんだよ。こう見えて神楽坂と杠葉ってセンスが似通ってるみたいでさ、女子の目線でいろいろアドバイスをもらっていたんだ」


 なるほど、これは最初から準備していた言い訳なのだろう。ここまでの問答が彼の中では予定調和ということらしい。

 もちろん、デートの最初から最後までを目撃していた俺たちからしてみればそれが嘘八百であることはお見通しなのだが、そんなこととは露知らずの一条からしてみれば在り来たりではあるが追及しづらい理由であると確信しているのだろう。


 冷静に見れば、神楽坂詩がというだけで放課後デートしてまで協力するような人間にはとても思えないのだが、しかしこいつならあり得るかもと思わせるのが一条健矢という男であった。


「つーわけでさ、今日俺たちが二人でいたことは黙っててくれねーか? プレゼントのことは秘密にしておきたいし……それにほら、プレゼント選びとはいえ女子と二人で歩いてたなんてことを知られたら杠葉もいい気はしないだろうしさ」


 確かにこう言われてしまえば、これ以上言及することも、言外に漏らすことも難しくなる。

 さすが杠葉が抜け目ないと評するだけある。ずる賢いともいえるが。


 まさか、『知られていい気はしない』どころか全て筒抜けで、現在進行形で怒りの炎をたぎらせているとは夢にも思うまい。


「……うん、わかった。そういうことなら」

「ありがとう! えぇと、そっちの子も大丈夫、かな?」

「あぁ、大丈夫大丈夫。こっちは俺たちの学年の子じゃないから、心配する必要もないよ。俺からもちゃんと言っておくからさ」


 そう言って俺は適当に誤魔化す。完全なブラフだが、情報の少ない一条にとってみれば安心材料の一つにはなるだろう。

 目論見通り、一条は俺の言葉にほんの少し弛緩した様子を見せる。


 ならば、と俺は言葉を続ける。


「その代わりと言っちゃなんだけど、俺たちが歩いていたことも内緒にしてもらっていいか? ほら、俺ってクラスだとだろ? この子も結構シャイな子でさ、あんまり付き合っていることがバレたくないんだよ」

「あぁ、なるほど……了解。じゃあ、今日出会ったことはお互い忘れようか」


 一条はそこで初めて得心したように頷くと、これ幸いとばかりに俺の提案に飛びつく。

 一方的に黙っててもらう約束よりも双方向的な契約とした方が安心感は増すものである。


 これで一条から変に情報が漏れることはないだろう。良くも悪くもずる賢い一条であれば、リスクを冒してまで俺の話を吹聴することはないはずだ。俺の相手が誰なのか、多少気になってはいるのだろうが、明日になったらきっと忘れていることだろう。そもそも俺に出会ったことすら忘れてしまうに違いない。


 ここに至るまで一切口を開いていない神楽坂詩についても、まぁ大丈夫だろうと考える。多少楽観的かもしれないが、彼女が顔も名も知らぬ俺のことを嬉々として触れて回るタイプでないことは明確だったし、そもそも話をする相手も限られているだろう。


 ふぅと脱力する。

 無論、まだ気は抜けないが、これで八百長は成立だ。

 すべての事情を知っているこちらからすれば完全なる茶番劇ではあるが、これにて化かし合いもひと段落というところだ。


 あとは形式的な別れの言葉を言ってお互いの視界から消えれば万事解決。浮気の決定的な証拠を抑えることはできなかったけれど、こうなってしまった以上はこちらの思惑がバレなかっただけでも御の字といったところだ。下手にボロが出る前に退散するとしよう。


 そう考えて口を開きかけたところで――俺の腕に微かに伝わる震えに気が付く。

 杠葉ちとせは――震えていた。

 正体がバレてしまうかもしれない不安――はもちろんあるだろうが、それに対する怯えだけではないことは明々白々だ。


 では、彼女はいったい何に震えているのだろう?

 それに思い至ったとき、俺の思考回路からは退散の二文字が消え失せていた。

 やられっぱなしじゃ――帰れねぇよな。


「――あのさ一条、物の序でってことでひとつ相談させてもらってもいいか?」

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