第5話 一条健矢という男
*
一条健矢がどんな人間か、率直なところ俺はよく知らない。
直接話したことはほとんどない。だからこそ彼について述懐する際には、多分な推測と少量の偏見が入り混じることは容赦願いたい。
一年生の頃から名前はよく耳にしていた。容姿端麗、スポーツ万能の男子が別のクラスにいて、女子が皆メロメロになっているのだと。実際のところ皆がメロメロというのは幾分か誇張した表現だったのだろうが、廊下で実物を見かけた時にはなるほどと納得せざるを得なかった。
明るく、誰に対しても人当たりがいい。
常に周囲に人がいる。
一条の人となりについて聞こえてきたのはそんな声だった。
まぁ聞こえてきたと言っても、相変わらずの聞き耳と人間観察による情報収集で拾ったものではあるが、人格面については良くも悪くも普通の評価をされているらしい。しかしここでいう普通というのは彼の外見を基準としたもので、外見以上に人格が優れているようなエピソードのある人物ではない、というニュアンスに過ぎない。
身も蓋もない酷い言い方にはなるが、容姿端麗でスポーツ万能とくれば自然と性格も明るくなるだろうし、周囲に人も集まってくるだろう。そんな人間を悪く言う人もきっと多くないはずで、よほどエッジの利いた性格でさえなければ当たり障りのない評価が聞こえてくるのは当然のことのように思う。
無論、これは俺が捻くれているからこそ抱く感想なのかもしれないし、本人の耳に入ったら業腹間違いない身勝手な評価だろう。しかし人の口に戸が立てられない以上に、人間の思考を制限することは出来ない。結果、話したことすらない一条健矢の人物像が、俺の中では『フツーのイケメン高校生』ということで落ち着いていたのである。
その評価は同じクラスになったことで少々変容した。
俺が一条に抱いた印象としては、かなりの自信家で、かつカースト意識が非常に高い人間であるというものであった。
前評判通りのスペックを持ち、進級してすぐにクラスの中心人物の座を確保した点は流石といった感じだ。春休みに
机に伏せた俺が腕と腕の隙間から覗いている限りでは、自分の周囲の人間に対しては優しい――というより、ごく普通の高校生という感じだった。友だちが困っていたら助けるし、皆がいる場ではおどけたり男友だちをいじったりする。多少過激な弄りもなくはなさそうだが、高校生の小さなコミュニティのことと考えればよくある話だろうと思う。
ただし、自分のコミュニティに属さない人間に対しては驚くほど冷たい一面も垣間見せる。
たとえば、ある日のことだ。その日は、一条ともう一人の女子(至って普通の女子で、特に一条コミュニティに属しているわけでもない)が日直を務めていた。
「あの、一条くん……先生が、今日配る予定の冊子を職員室まで取りに来て、それをみんなに配ってほしいって」
「ふーん……あー、悪ィんだけどさぁ、やっといてくんね? ちょっとやんないといけないことがあってさぁ」
「あっ、そうなんだ……うん、わかった……」
「悪いねー」
と、まぁそんな具合に日直の役割を押し付けて自分はどこかへ去っていった。
もちろん、本当にやらないといけないことがあったのかもしれないし、これだけで冷たい人間と言い切るのはややオーバーかもしれない。
しかしこうしたやり取りを聞く限り、少なくとも前評判として聞いていた『誰に対しても人当たりが良い性格』であると表現するには瑕疵が存在していると感じざるを得なかった。
相手によって態度を変えるのは人間として当然のことだと思う。誰に対しても同じ熱量でコミュニケーションをするというのはとんでもなく負担が大きいだろうし、そもそもそれが正しいことだとは俺は思わない。人間の時間と体力が有限である以上、どこかで区切りをつけなければならない。
一条の振る舞いは至って正常なのだろう。言い方は悪いが、杠葉が異常なだけだ。俺のような人間にまで輪を広げようとするのは奇特という言葉を超越している。
しかし一条の場合は、自身が定めた優先度の中でも、その階層に応じた対応の差異がかなり大きい部類にあるように感じた。極端に言えば、自分こそが至高であり、それ以外の人間は端役であるとすら考えているようにも思う。きっとそれは、彼女であるところの杠葉ですら例外でない。だからこそ、今こうして俺と杠葉は復讐の作戦を練っているわけなのだが。
とまぁ、ここまで散々っぱら一条健矢という人間について意見を述べてきたわけだが、冒頭にも断った通り俺は一条と会話らしい会話を交わしたことはないので、正しく認識できていない側面は多分にあると思われる。
だからこそ、彼に近い人間から知ったような口を利くなと言われれば、俺は素直に閉口するしかない。あくまで外からの観測だけで、好き勝手一条の性格を因数分解しているだけだ。何様だと断罪されても致し方ない話だろう。無論、俺には優しくしてあげる友だちすらいないわけなので、一条と俺とでは比較するべくもない。
ただ、これらは俺が一条のコミュニティ――どころかクラスの埒外に存在しているがために抱ける感想であると感じている。彼のコミュニティの人間からすればそうした感情を認識する余地はないだろうし、コミュニティ外のクラスメートとすれば、トップカーストなのだから仕方ないと萎縮、諦観し、そうした状況を受容してしまっている節もある。
要は俺が誰との繋がりもしがらみもない存在であり、休み時間などに好き放題クラスの様子を窺い知れる立場にあるからこそ、こうして好き勝手言うことができているというだけだ。配信者のゲームプレイに好き放題口出しするコメデターと何ら変わりない。そうした人たちと違って、俺はそうした考えをアウトプットすることがない点はまだ救いようがあると思っている。話す相手がいないだけだろと言われてしまえばそれまでだが。
ただ、俺は俺なりの客観性を持って事実と推量を並べているだけだ。それを振り翳して心の中で彼らを侮辱したり、優越感を浸ったりするつもりは一切ないのだと、自分の名誉のためにもそれだけは言わせてもらおう。
兎も角、杠葉とも話をしたように事実関係の確認はマストだ。情報が少なければ思い込みや偏見により思わぬ足を掬われることがある。
というわけで今日も今日とて、一条一派の会話に耳を立てることにする。
ありがたいことに俺の座席はクラスの最後方、そのど真ん中の列に位置する。唯一、教室全体を俯瞰できるポジションだ。俺の情報収集が及ばない領域はない。
しかしありがたくないことに、一条やその取り巻きが窓側後方の座席に偶然にも固まっていることから、彼らが俺の左斜め前辺りに
「健矢ぁー、帰りにカラオケ行かねー?」
「おー、アリ。アリ寄りのアリ」
「えー、健矢ひどいよ! 今日はデートの約束してたじゃない」
休み時間にそんな会話が聞こえてくる。
最後のセリフは当然、杠葉のものである。健気に彼女を演じているらしい。彼女の内心に渦巻く怨嗟の炎を考えると、それをおくびにも出さずよくやっていると思う。
「ち、ちーちゃん? どうしたの、いちごミルクがぐしゃぐしゃだよ?」
ダダ漏れだった。
炎ダダ漏れ。
杠葉はどうやら無意識下で手のひらに力を込めてしまったらしく、驚いたように手元を見つめると、見るも無惨に丸められた紙パックを慌てて後ろ手に回す。
幸いすべて飲み干されていたらしく、中身が漏れ出してくることはなかった。そこまでダダ漏れにならなくてよかったな。
「あ、あれ? あははー、最近握力鍛えているからかなぁー、思わず潰しちゃったヨー!」
「ははっ、杠葉キレすぎだろぉー」
「悪いちとせ! そんなに怒るなよー。忘れてたわけじゃないんだって! ちょっとした記憶のかけ違いというかさぁ」
「それを忘れてたって言うんだよ! もう!」
どうやら上手いこと取り繕えたようだが、なかなかに綱渡りのやりとりだなぁ。
杠葉の表情をよく見てみるとこめかみのあたりがピクピクと痙攣している。あそこまでわかりやすく青筋を立てる人間も珍しい。
彼女としても精神衛生を考えれば一条と顔を突き合わせる機会は少ないに越したことはないと思うが、それ以上に自分を蔑ろにされたことが腹立たしいのだろう。
耐えろ! 耐えるんだ杠葉!
すると別の男子生徒がふと思いついたようにカットインしていく。
「あれ、というか健矢って今日は日直でしょ? 放課後に先生から資料作りを手伝って欲しいって言われてなかったっけ」
「げっ、そういやそうだった」
「えー、どういうことー? ダブルブッキングどころかトリプルブッキングじゃない!」
「それで、健矢はどうするの?」
「んー……今日は真面目に日直の仕事やることにするわ! 担任に目ェつけられたくねーし。悪いな、ちとせ、雄樹」
「えー、マジかよ健矢ぁー! お前いつからそんな良い子ちゃんになったんだよー!」
「マジかよはこっちのセリフだよ! この借りはいつかまとめて返してもらうからね!」
「わかってるって!」
すまんすまんと平謝りする一条、杠葉は怒ったそぶりを見せつつもどこかホッとした表情に見える。一条と顔を突き合わさずに済んだこと以上に、デート中止の理由が日直という不可避な事象であるために多少溜飲が下がったというところだろう。
だが甘いな杠葉ちとせ。
俺の位置からは黒板の右下に書かれている日直当番の名前も見えているのだ。一条はどうやら、ただ単に真面目ってわけじゃあなさそうだぜ。
「あー、今日は神楽坂さんと一緒の当番なんだね」
取り巻き男子のその言葉を聞いて、それまで笑顔を浮かべていた杠葉の動きがピシリと固まる。
「ん……そうだったか?」
しらばっくれる一条。
嘘つけ、絶対気づいてたろお前。直前に黒板を盗み見たのを俺は知ってるぞ。
「へぇー、いいなぁ健矢ぁー、羨ましいぜ。俺もお近づきになりてぇよぉー」
「そこで嬉しいとか言ったら俺はちとせに殺されてるよ」
「雄樹さー、健矢くんにはちーちゃんって彼女がいるんだからいいなぁとか言わないでしょー普通!」
「あ、アハハー、ダイジョウブダヨ。ワタシはダイジョウブ」
それは果たして誰に向けた言葉なのだろうか。どちらかといえば自己暗示に近いようにも感じた。
どうやら杠葉のメンタルも臨界点に近づいているらしい。目の焦点はあっていないが口元だけはなんとか笑おうと努力している状態だった。
杠葉よ――負けるなよ。
俺は心の中で彼女にエールを送りつつ、一層深く腕の中に頭を埋めていった。
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