第2話 沈黙の街

エリオットは王宮を後にし、夜のエストリアを一人歩いていた。彼の足取りは重く、心の中にはリオネルの行方を追うという使命感と、果たして自分がそれを成し遂げることができるのかという不安が渦巻いていた。彼が尊敬してやまない英雄リオネル・グレイが、なぜ姿を消したのか。その理由を突き止めることが、彼に与えられた任務だったが、今はその重さに圧倒されていた。


エストリアの街は、昼間の賑わいとは打って変わって、静まり返っていた。石畳の路地を抜け、木製の扉が並ぶ古い家々の前を歩くと、時折、冷たい夜風が頬を撫で、彼を現実に引き戻した。街灯のオレンジ色の光が、彼の長い影を地面に落とし、その影が彼に寄り添うように歩いていた。まるで、自分自身の不安や恐怖が形となって付きまとっているかのようだった。


「リオネル……」


エリオットは小さく呟いた。彼の胸には、あの日の光景が浮かんでいた。リオネルが魔王を討ち取り、王国を救ったあの日のことだ。民衆の歓声が彼を讃え、彼自身もその勇姿に憧れを抱いた。しかし、そのリオネルが今はどこにいるのかすら分からない。彼が王宮を去った理由は何だったのか。その理由が、彼の心を掻き立てていた。


エリオットはまず、リオネルが最後に目撃された場所へ向かうことにした。それは、王宮近くにある古びた塔で、リオネルがよく瞑想をしていた場所だった。彼はそこで何を考えていたのか、何を見ていたのかを知るために、その場所を訪れる必要があった。


塔は王宮の裏手にあり、ほとんどの人がその存在を知らないほど、ひっそりと建っていた。長い年月の中で風雨にさらされ、石造りの壁にはひびが入り、苔が生えていた。エリオットはその前に立ち、深く息を吸い込んだ。塔の中には何か手がかりが残されているかもしれない。しかし、それは彼にとって希望であると同時に、恐れでもあった。


重い扉を押し開けると、内部は暗く、静寂に包まれていた。彼は懐中電灯を取り出し、足元を照らしながら階段を上っていった。石造りの階段はところどころ崩れており、長い年月の経過を物語っていた。足音が響くたびに、塔全体が揺れているかのように感じられた。


最上階に辿り着くと、リオネルがよく座っていたという窓辺の椅子が見えた。彼はその椅子に近づき、慎重に周囲を観察した。窓からはエストリアの街並みが一望でき、その景色は昼間とは異なり、幻想的な雰囲気を醸し出していた。彼はしばらくその景色に見とれた後、ふと椅子の背もたれに手をかけた。


「何か……残っているはずだ。」


エリオットはそう呟きながら、椅子の周囲や窓辺を細かく調べ始めた。彼が指先で触れたのは、微かな埃と、リオネルが触れたであろう跡だった。それは、まるで彼がここで何かを残したことを示しているかのようだった。


そして、彼の指が触れた瞬間、何か固いものに当たった。それは椅子の裏側に隠された小さな金属製の箱だった。エリオットはその箱を慎重に取り出し、蓋を開けた。中には一枚の古びた羊皮紙が入っていた。羊皮紙には、何かが書かれているようだったが、年月が経ちすぎており、文字がほとんど読み取れなかった。


エリオットは慎重に羊皮紙を広げ、残された文字を読むことに集中した。彼が読み取れたのは、断片的な言葉だった。


「……影……王国の……真実……」


それは、リオネルが何か重大な秘密を知っていたことを示唆しているようだった。しかし、その全貌を知るためには、さらに詳しい調査が必要だった。エリオットはその羊皮紙を大切に折り畳み、ポケットにしまった。


「これは、手がかりになるかもしれない……」


彼はそう呟き、塔を後にした。夜の風が再び彼の頬を撫で、彼の心に冷たい感覚を残した。塔の外に出ると、エリオットは再びエストリアの街を歩き始めた。彼はリオネルの足跡を辿り、その理由を見つけるために動き始めた。


次にエリオットが向かったのは、リオネルが頻繁に訪れていたという書店だった。書店の主人は、リオネルと親しかった人物であり、何か情報を知っているかもしれないと考えたからだ。その書店は、王宮から少し離れた静かな路地にひっそりと佇んでいた。


書店の扉を開けると、中には古書が所狭しと並べられており、独特の香りが漂っていた。埃の匂いと古い紙の香りが混じり合い、時代を感じさせる空間だった。エリオットは店内を見渡しながら、奥にいる店主に声をかけた。


「こんばんは、エリオットです。リオネル様のことでお伺いしたいことがあるのですが。」


店主は、エリオットの声に気づき、ゆっくりと振り返った。彼は年配の男性で、白髪混じりの髪と深いしわが刻まれた顔に、温かみのある微笑みを浮かべていた。


「エリオット、君か。リオネル様のことか……あの方も、君も熱心な読書家だったね。何かあったのか?」


エリオットは頷き、リオネルの失踪について手短に説明した。店主の顔が徐々に険しくなり、そして深いため息をついた。


「そうか……彼が突然姿を消すとは……私にも心当たりがないわけではないが、少し心配だな。」


「心当たりが……何かご存知なのですか?」


エリオットの問いに、店主はしばらく考え込んだ後、書棚の奥から一冊の本を取り出した。それは、古びた革装丁の厚い本で、表紙には金色の文字で「王国の歴史と闇」と書かれていた。


「これが、リオネル様が最後にここで求められた本だよ。彼は何かを探していたようで、この本を熱心に読んでいた。私もその理由を聞いたことはないが……」


エリオットはその本を受け取り、ページをめくった。中には、セレナディア王国の歴史が詳細に記されており、特に王家の秘密や、過去の陰謀について言及している部分が多かった。リオネルがこれを読んでいた理由は何だったのか。


「ありがとう。これは重要な手がかりになるかもしれない。」


エリオットは店主に礼を言い、書店を後にした。彼の手には、リオネルの意図を解明するためのもう一つのピースが握られていた。夜空を見上げると、満月が淡い光を放ち、エストリアの街を静かに照らしていた。


リオネルが抱えていた「影」とは何なのか? 王国の「真実」とは何を意味するのか? そして、彼はなぜそれを知った上で姿を消したのか? エリオットの中に、これまで以上に強い疑念と好奇心が湧き上がってきた。


彼はリオネルの痕跡を追うために、さらに多くの場所を訪れなければならないことを覚悟しながら、夜の街を歩き続けた。彼の心には、かつての憧れと、今抱いている複雑な感情が混じり合い、混沌としていた。


「リオネル、あなたは一体何をしようとしていたのか……」


その問いは、夜の静寂の中に溶け込み、エリオットの足音と共に響き渡った。彼の調査はまだ始まったばかりであり、真実にたどり着くには、これからも数々の困難が待ち受けているに違いなかった。

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