第5話

祭りから数日が経った。村の空気は穏やかで、秋の気配が少しずつ濃くなってきていた。恵は毎朝、春子と共に塩むすびを作る日課を続けていたが、ここ数日、春子の様子に微妙な変化が見られるようになっていた。


「春子さん、大丈夫ですか?」恵は心配そうに春子を見つめた。今朝も、春子はいつものように塩むすびを作っていたが、その動きがどこか鈍く、顔色も少し悪いように見えた。


「大丈夫よ、ただの疲れが出ただけだと思うわ」と春子は微笑みながら答えたが、その微笑みはどこか力が入っていないように感じられた。


恵は気になりながらも、春子の言葉を信じて作業を続けた。しかし、日が進むにつれて、春子の体調はますます悪化していくようだった。食堂での仕事を終えると、すぐに椅子に座り込み、深いため息をつくことが増えた。


ある日の午後、恵はついに春子に直球で問いかけた。「春子さん、本当に大丈夫ですか?無理をしないで、少し休んでください。」


春子はその言葉に一瞬戸惑ったようだったが、やがて静かに頷いた。「そうね、少し休ませてもらおうかしら。」


春子が食堂の奥にある小さな部屋に引きこもった後、恵は食堂を一人で切り盛りすることになった。彼女は春子の代わりに塩むすびを作り、村人たちに届ける日々を送る。しかし、村人たちの心配は募るばかりで、食堂に訪れる度に春子の容態を尋ねる者が増えていった。


「春子さんがいないと、やっぱり寂しいわね…」ある村人がポツリとつぶやいた。


恵はその言葉に胸が痛んだ。春子の存在がどれほど村人たちにとって大切なものか、改めて実感した。


数日後、恵は意を決して春子の部屋を訪れた。ノックをしても応答がなかったため、静かに扉を開けると、春子が窓辺の椅子に座って外を見つめているのが見えた。


「春子さん…」恵が声をかけると、春子はゆっくりと振り向き、穏やかに微笑んだ。


「心配かけてごめんなさいね、恵さん。でも、こうやって静かに過ごす時間も必要なんだよ。年を取ると、無理が利かなくなるものだから。」


恵は春子の言葉に対して何か言いたかったが、言葉が見つからなかった。ただ、春子の元気が少しでも戻ることを祈るように、黙って隣に座った。


その日の夕方、村の診療所から春子の主治医である田中先生が訪れた。春子の様子を診察し、少しの間、二人きりで話をする場面があった。診察が終わると、田中先生は恵に近づき、静かに話しかけた。


「恵さん、春子さんは今、体調がかなり悪い状態です。無理をさせないように、できるだけ安静にしてあげてください。」


恵はその言葉を聞いて、胸の中に不安が広がるのを感じた。春子が村にとってどれほど大切な存在であるか、彼女自身も痛感していた。そして今、恵は春子を守り、彼女の思いを引き継ぐべき時が来ていることを感じ始めていた。


その夜、恵は眠れずに布団の中で考え続けた。春子がいない未来の村、そして自分がその中で何をすべきか。彼女の心の中には、春子の塩むすびを守り続ける覚悟が、少しずつ芽生え始めていた。

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