「秘密のレシピ ― 幸せを呼ぶ祖母の想い―」

 さくらハウスの郵便受けに、一通の小包が届いたのは、ある土曜日の午後だった。にこが、いつものように完璧な身だしなみで外出から帰ってきたときのことである。


 にこは、シャンパンゴールドのシルクブラウスに、ライトグレーのテーラードジャケット、同系色のスリムパンツという洗練された装いだった。首元には、控えめながら上質な真珠のネックレスが輝いている。彼女の髪は、緩やかなウェーブをつけてアップスタイルにまとめられ、柔らかな印象を醸し出していた。メイクは、ナチュラルながらも気品を感じさせるもので、特に唇の淡いローズ色のリップが、彼女の知的な雰囲気を引き立てていた。


「ただいま」


 にこの声に、リビングでくつろいでいた澪と詩音が顔を上げた。


「おかえり、にこ」


 澪が優しく微笑んだ。彼女は休日らしく、オフホワイトのカシミアニットにデニムのワイドパンツというリラックスした姿だった。髪は、いつものポニーテールから解放され、なだらかな波を描いて肩に落ちている。


「にこちゃん、お疲れさま!」


 詩音が元気よく声をかけた。彼女は大きめのグラフィックTシャツにショートパンツという、いつものカジュアルな格好だった。髪は、まとまりのないウェーブが独特の魅力を放っている。


 にこは、玄関で靴を脱ぎながら、小包に気づいた。


「あら、これ……」


 彼女は慎重に小包を手に取り、リビングに向かった。


「ねえ、見て。祖母からの小包よ」


 にこの声に、澪と詩音が興味深そうに顔を寄せた。


「へえ、にこのおばあちゃんからなんだ」


 詩音が目を輝かせながら言った。


「開けてみましょう」


 澪が提案した。


 にこは丁寧に包みを解いた。中から出てきたのは、年季の入った革表紙の料理帳だった。


「まあ……」


 にこの目が、懐かしさと驚きで潤んだ。


「これ、祖母が大切にしていた料理帳だわ」


 三人は、ソファに腰掛け、料理帳をそっと開いた。ページをめくるたびに、懐かしい料理の名前と、丁寧に書かれたレシピが目に飛び込んでくる。


「わあ、すごい! にこちゃんのおばあちゃん、料理上手だったんだね」


 詩音が感嘆の声を上げた。


「ええ、本当に……」


 にこの声が少し震えた。

 澪は、にこの肩に優しく手を置いた。


「にこ、大切な思い出の品なのね」


 にこは静かに頷いた。


 三人は、ページをめくりながら、それぞれのレシピに込められた思い出や工夫について語り合った。にこの祖母の人柄や、家族との思い出が、一つ一つのレシピを通じて浮かび上がってくる。


 そして、最後のページを開いたとき、三人は息を呑んだ。


「幸せを呼ぶ秘伝のケーキ」


 優雅な筆跡で書かれたタイトルが、三人の目を捉えた。


「これは……」


 にこが、驚きと懐かしさの入り混じった表情で言った。


「祖母が特別な日にだけ作ってくれた伝説のケーキよ」


「へえ、すごい! 作ってみたい!」


 詩音が興奮気味に言った。

 澪も、興味深そうにレシピを覗き込んだ。


「確かに、材料を見ているだけでも特別な雰囲気を感じるわ」


 三人は顔を見合わせ、にっこりと笑った。


「じゃあ、作ってみましょう」


 にこが決意を込めて言った。


「うん! 絶対に美味しいはず!」


 詩音が元気よく賛同した。


「そうね。にこのおばあちゃんの想いを、私たちで受け継ぐのも素敵だわ」


 澪も優しく微笑んだ。

 三人は、さっそく材料の確認を始めた。

 しかし、リストを見ていくうちに、にこの表情が曇り始めた。


「あら……」

「どうしたの、にこ?」


 澪が心配そうに尋ねた。


「この材料、いくつか見たことがないわ」


 にこが困惑した様子で言う。


「えっ、本当?」


 詩音が驚いて声を上げた。

 三人は、改めてレシピを確認した。確かに、現代ではあまり見かけない材料がいくつか含まれていた。


「どうしよう……」


 にこが落胆した様子で呟いた。


「大丈夫よ、にこ」


 澪が優しく言った。


「代わりになりそうな材料を探してみましょう」


 詩音も元気づけるように言った。


「そうね……そうしましょう」


 にこも気を取り直した様子で頷いた。


 三人は、それぞれのスマートフォンを駆使して、代替材料を探し始めた。時折、「これはどう?」「この組み合わせならいけそう」といった会話を交わしながら、オリジナルのレシピに近づけようと奮闘した。


 にこは、高級パティスリーで見かけた特殊な砂糖を思い出し、詩音はオーガニックショップで見つけた珍しい小麦粉を提案した。澪は、祖母が使っていたという伝統的な調味料の現代版を見つけ出した。


 三人の協力で、何とか代替材料のリストが完成した。


「よし、これで材料は揃ったわ」


 にこが満足げに言った。


「じゃあ、早速作ってみよう!」


 詩音が意気込んで言う。


「そうね。にこ、指示をお願いするわ」


 澪が笑顔で言った。


 三人は、さっそく調理に取り掛かった。にこがレシピを読み上げ、澪と詩音が手際よく材料を計量し、混ぜていく。

 キッチンには、バターと砂糖を練り合わせる音、卵を割る音、粉をふるう音が響き、次第に甘い香りが立ち込めていった。


「うわぁ、いい匂い」


 詩音が目を輝かせながら言った。


「本当ね。懐かしい香りがする」


 にこも、うっとりとした表情を浮かべた。


「きっと美味しいケーキになるわ」


 澪が優しく微笑んだ。


 しかし、オーブンから取り出されたケーキは、三人の期待とは裏腹に、見た目も香りも少し違和感のあるものだった。


「あれ?」


 詩音が首を傾げた。


「なんだか、祖母が作っていたのとは違うわ……」


 にこが落胆した様子で言った。


 澪は、静かにケーキを一口食べてみた。


「うーん……悪くはないけど、秘伝のケーキというほどの味ではないわね」


 三人は顔を見合わせ、深いため息をついた。


「ごめんなさい。私の腕が未熟だったのね」


 にこが肩を落とした。


「そんなことないよ、にこちゃん」


 詩音が慰めるように言った。


「そうよ。きっと材料の問題よ」


 澪も同意した。


「でも……」


 にこの目に、涙が浮かんでいた。


「祖母の大切なレシピなのに、私じゃ再現できないなんて……」


 澪と詩音は、にこの落胆ぶりに心を痛めた。二人は顔を見合わせ、小さく頷いた。


「にこ、諦めないで」


 澪が優しく言った。


「そうだよ。もう一度挑戦しよう」


 詩音も元気づけるように言った。


「でも、材料が……」


 にこが弱々しく言いかけたが、澪が遮った。


「私たちで探してみるわ。きっと本物の材料が見つかるはず」


「そうだよ! にこちゃんのおばあちゃんが使っていた材料を、絶対に見つけ出すよ」


 詩音が力強く言った。


 にこは、二人の決意に満ちた表情を見て、少し元気を取り戻したようだった。


「ありがとう、二人とも」


 にこの目に、今度は感謝の涙が光った。


 翌日、澪と詩音は朝早くから町に繰り出した。二人は、古い商店街や、専門食材店、さらには郊外の農家直売所まで足を運んだ。


 澪は、いつもの仕事モードとは違う、カジュアルながらも洗練された装いだった。オフホワイトのリネンシャツにベージュのチノパン、足元はコンフォートシューズという実用的な格好。髪は、ポニーテールにまとめられ、すっきりとした印象だ。


 詩音は、大きめのTシャツにデニムのショートパンツ、足元はスニーカーという動きやすい格好。首にはチョーカー代わりにペンダントヘッドのイヤホンを巻きつけ、時折スマートフォンで情報をチェックしていた。


 二人は、レシピに書かれた材料の名前を、店主や農家の人たちに尋ねて回った。しかし、なかなか見つからず、疲れと焦りが募っていった。


「どうしよう、澪ちゃん。見つからないよ」


 詩音が不安そうに言った。


「大丈夫よ、詩音。まだ諦めるのは早いわ」


 澪が優しく微笑んだ。


 二人はいかにも古そうな食材店を発見した。薄暗い店内に足を踏み入れると、古い木材と乾燥ハーブの香りが鼻をくすぐった。棚には、年季の入った缶や瓶が所狭しと並んでいる。


「いらっしゃい」


 年配の店主が、優しく二人を迎えた。白髪まじりの髪を後ろでまとめ、古風な着物姿の店主は、まるで時代劇から抜け出してきたかのようだった。


 澪と詩音は、レシピの材料について尋ねてみた。すると、店主の目が輝いた。


「ああ、それはね……」


 店主は、奥の棚から埃をかぶった古い缶を取り出した。それは、錆びかけた青い缶で、「寒梅粉」と手書きのラベルが貼られていた。


「これが、お嬢さんたちの探しているものだよ」


 澪と詩音は、驚きと喜びで目を見開いた。


「本当ですか!?」


 詩音が興奮気味に言った。彼女の大きな瞳が、まるで宝物を見つけたかのように輝いていた。


「ええ、間違いないわ。これが、にこのおばあちゃんが使っていた材料ね」


 澪も、感動的な表情で言った。彼女の指先が、缶の表面をそっと撫でる。


 二人は、他の珍しい材料も見つけることができた。茶色の和紙で包まれた「葛粉」、陶器の小さな壺に入った「黒糖蜜」、そして竹筒に詰められた「山椒の粉」。どれも、現代のスーパーマーケットでは見かけない、懐かしい材料だった。


 最後の材料である「干し菊の花びら」が見つかったとき、二人は思わず抱き合って喜んだ。澪のいつもの冷静さは影を潜め、詩音と同じように無邪気な笑顔を浮かべていた。


 店主は、にこきり笑いながら二人を見守っていた。その目には、若い二人の姿に、遠い日の思い出を重ね合わせているような優しさがあった。


 古い食材店を後にする時、澪と詩音の手には、宝物のような材料が詰まった和紙の包みが握られていた。その中には、単なる食材以上の、大切な想いが詰まっているようだった。


「やったね、詩音!」

「うん! にこちゃん、きっと喜ぶよ」


 二人は、大切そうに材料を抱え、急いでさくらハウスに戻った。


 にこは、二人の帰りを待ちわびていた。玄関のドアが開くなり、彼女は飛び出してきた。


「どうだった?」


 にこの声には、期待と不安が混じっていた。


「見つかったわ、にこ」


 澪が優しく微笑んだ。


「本当に!?」


 にこの目が輝いた。


「うん! 全部揃ったよ」


 詩音が嬉しそうに言った。


 にこは、感極まった様子で二人を抱きしめた。


「ありがとう……本当にありがとう」


 三人は、すぐさま調理に取り掛かった。今度は、本物の材料を使って、レシピ通りに作っていく。


 キッチンには、再び甘い香りが立ち込め始めた。しかし、今回はどこか懐かしさを感じさせる、深みのある香りだった。


 にこは、祖母から受け継いだエプロンを身につけていた。淡いピンク色の生地に、繊細な花柄が刺繍されたそのエプロンは、にこの肌の色を一層引き立てていた。彼女の髪は、いつもの完璧なアップスタイルから解かれ、柔らかな波を描いて肩に落ちている。その姿は、普段の凛とした雰囲気とは違う、柔らかな女性らしさを醸し出していた。


「ねえ、このバターの香り、すごくいい匂い」


 詩音が目を輝かせながら言った。彼女は、にこから借りた白いシンプルなエプロンを身につけ、髪を高めのお団子にまとめていた。頬には、小麦粉の跡が可愛らしくついている。


「本当ね。昔、祖母の台所で嗅いだ香りを思い出すわ」


 にこの目が、懐かしさで潤んだ。


 澪は、ボウルの中で卵を泡立てていた。彼女は、ネイビーのエプロンを身につけ、いつものポニーテールをきつめに結い直していた。その姿は、仕事モードの彼女を彷彿とさせるが、表情は柔らかく穏やかだった。


「にこ、次は何を入れるの?」


 澪が、丁寧に卵を泡立てながら尋ねた。


「えっと……」


 にこは、祖母の料理帳を確認した。その動作には、まるで大切な宝物を扱うような慎重さがあった。


「次は、砂糖を少しずつ加えていくのよ」


 詩音が、さっそく砂糖を計り始めた。彼女の指先は、いつもの絵筆を扱うときのように繊細で正確だった。


 三人は、息を合わせるように作業を進めていった。粉類をふるい、生地を混ぜ、型に流し入れる。それぞれの動作に、真剣さと期待が込められていた。


 オーブンに生地を入れ、タイマーをセットすると、三人は一旦キッチンを離れた。リビングのソファに腰掛け、緊張した面持ちで待つ。


「うまくいくかしら……」


 にこが、少し不安そうに呟いた。


「大丈夫よ、にこ。今度は絶対に成功するわ」


 澪が、優しく彼女の肩に手を置いた。


「そうだよ。にこちゃんのおばあちゃんの想いも込められてるもん。きっと美味しいケーキになるはず!」


 詩音が、元気よく言った。


 待つ間、三人は祖母の思い出話に花を咲かせた。にこが幼い頃に教わったお菓子作りのこと、祖母の厳しくも温かい教えのこと。話をするうちに、にこの表情がどんどん和らいでいった。


 そして、待ちに待ったタイマーの音。


 三人は、息を呑んでオーブンの前に立った。にこが、ゆっくりとオーブンを開ける。


 甘く芳醇な香りが、一気に部屋中に広がった。


「わぁ……」


 詩音が、感動したように声を上げた。


 オーブンから取り出されたケーキは、黄金色に焼き上がり、ふんわりと膨らんでいた。その見た目は、まさに「幸せを呼ぶ」という言葉がぴったりだった。


「これよ……」


 にこの目に、涙が浮かんだ。


「これが、祖母の『幸せを呼ぶ秘伝のケーキ』……」


 三人は、しばらくケーキを見つめていた。そこには、単なるお菓子以上の、大切な想いが込められているように感じられた。


 ケーキが冷めるのを待つ間、三人はテーブルセッティングを始めた。にこは、祖母から譲り受けた上品なティーカップセットを取り出した。澪は、花瓶に季節の花を生け、詩音は手作りのナプキンを折り畳んだ。


 そして、いよいよケーキを切り分ける時が来た。


 にこが、慎重にナイフを入れる。ケーキの中からは、しっとりとした生地の層が顔を覗かせた。


「いただきます」


 三人は、口を揃えて言った。


 最初の一口。


「……!」


 にこの目が大きく見開かれた。


「これ……祖母のケーキの味……」


 彼女の頬を、涙が伝った。


「すごく美味しい!」


 詩音が感動的な表情で言った。


「本当に……幸せな気分になるわ」


 澪も、しみじみとした表情でケーキを味わっていた。


 三人は、ゆっくりとケーキを楽しんだ。その間、不思議なことが起こり始めた。


 にこの携帯電話が鳴り、長年憧れていたブランドの限定アイテムが予約できたという連絡が入った。


 詩音のメールボックスには、有名ギャラリーから個展開催のオファーが届いていた。


 澪は、プロジェクトの重要な資料を探していたのだが、ケーキを食べている最中に突然その在り処を思い出した。


「ねえ、これって……」


 詩音が、不思議そうに言った。


「ほんとに『幸せを呼ぶ』ケーキなのかも」


 澪が、少し驚いたように答えた。


 にこは、静かに微笑んだ。


「きっと、祖母の想いが込められているのね」


 三人は顔を見合わせ、幸せそうに微笑んだ。


 その夜、にこは祖母の料理帳を大切そうに抱きしめながら眠りについた。彼女の夢の中で、祖母が優しく微笑みかけていた。


「にこ、あなたはもう立派な大人になったのね。でも、忘れないで。幸せの秘訣は、愛する人たちと時間を共有することよ」


 にこは、夢の中で祖母にしっかりと抱きついた。


 翌朝、にこは澪と詩音に、新たな提案をした。


「ねえ、私たち、定期的にお菓子作りの日を作らない?」


 澪と詩音は、にこの提案に喜んで賛同した。


 こうして、さくらハウスに新たな伝統が生まれた。それは単なるお菓子作りの時間ではなく、三人の絆を深め、小さな幸せを分かち合う大切な時間となった。


 そして、にこの祖母の「幸せを呼ぶ秘伝のケーキ」は、三人の宝物となり、特別な日に作られては、新たな思い出を紡いでいくのだった。


(了)

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