「デパ地下の誘惑」

 とある土曜日の午後、鷹宮澪、小鳥遊詩音、月城にこの三人は、都内有数の高級デパートの地下食品売り場に足を踏み入れた。彼女たちの目の前に広がる光景は、まさに食の楽園だった。


 澪は、休日らしくカジュアルながら洗練された装いだ。淡いベージュのリネンシャツにホワイトデニムを合わせ、首元にはさりげなくスカーフを巻いている。髪は、普段のポニーテールから解放され、柔らかなウェーブを描いて肩に落ちていた。


 詩音は、いつものラフさを残しつつも、少しお出かけ気分を意識した様子。大きめのグラフィックTシャツにプリーツスカートを合わせ、足元はスニーカーだ。首にはチョーカー代わりにペンダントヘッドのイヤホンを巻きつけている。


 にこは、休日でも抜かりなく、エレガントな雰囲気を醸し出していた。淡いピンクのブラウスにフレアスカートを合わせ、足元はローヒールのパンプス。首元には、控えめながら上質な真珠のネックレスが輝いている。


「わぁ……」


 三人の口から、思わず感嘆の声が漏れた。


 目の前に広がるのは、色とりどりのお惣菜の海だった。ガラスケースの向こうには、職人技が光る料理の数々が並んでいる。


「あれを見て! 京都の老舗料亭が監修した季節の八寸よ」


 にこが指さす先には、美しく盛り付けられた八寸が並んでいた。香ばしく焼き上げられた鱧の葛叩き、瑞々しい枝豆、艶やかな錦玉子……。一つ一つの品が、まるで宝石のように輝いている。


「すごい! まるで芸術作品みたい」


 詩音が目を輝かせながら言った。


「ええ、本当に美しいわ。でも、あっちを見て」


 澪が視線を向けた先には、イタリアン惣菜のコーナーが広がっていた。


「あのカプレーゼ、見てよ。モッツァレラチーズの白さと、トマトの赤さのコントラストが素晴らしいわ」


 澪の言葆に、三人は思わず足を向けた。カプレーゼは、確かに絶品の出来栄えだった。真っ白なモッツァレラチーズは、まるで雪のように純粋で、その隣に並ぶトマトは太陽のごとく輝いている。その上からかけられた濃緑のバジルオイルが、まるで森の恵みのように香り立っていた。


「あ! あれも美味しそう」


 詩音が声を上げた。彼女が指さす先には、和惣菜のコーナーがあった。


「ねえ、あの茄子の田楽を見て。艶やかな紫色の茄子に、こんがりと焼き目がついて……。上からかけられた味噌だれが、とろりと流れ落ちそう」


 三人は、茄子の田楽に見入った。確かに、その見た目は食欲をそそるものだった。焼き上がった茄子の香ばしい香りが、彼女たちの鼻をくすぐる。


「あら、こちらのコーナーも素敵よ」


 にこが、フランス料理のコーナーに目を向けた。


「このキッシュ・ロレーヌを見て。黄金色に焼き上がったパイ生地の中から、ベーコンとチーズの香りが漂ってくるわ。きっと、一口食べれば、口の中いっぱいに旨味が広がるはず」


 キッシュ・ロレーヌは、まさに芸術品のような美しさだった。表面はこんがりと焼き色がつき、中からはとろけるチーズの白さが覗いている。


「でも、こっちのローストビーフも捨てがたいわ」


 澪が言った。


「ほら、あの肉の赤身の色。完璧なミディアムレアね。表面はカリッと香ばしく焼き上げられて、中はしっとりとジューシー。きっと口に入れた瞬間、肉汁が溢れ出すわ」


 ローストビーフは、確かに圧巻の出来栄えだった。赤身の色合いは鮮やかで、脂の白さとのコントラストが美しい。表面に塗られたハーブの緑色が、さらに食欲をそそる。


「あ、でもこっちも気になる!」


 詩音が、中華惣菜のコーナーに駆け寄った。


「この春巻き、見て。皮がパリパリで、中身がたっぷり詰まってる。きっと、噛んだ瞬間カリッという音がして、次の瞬間に野菜と豚肉の旨味が口いっぱいに広がるんだろうなぁ」


 春巻きは、確かに食欲をそそる黄金色に揚がっていた。表面はカリカリで、所々に焦げ目がついている。中からは、彩り豊かな具材が覗いていた。


 三人は、次々と目に飛び込んでくるお惣菜に目移りし、気づけば食品売り場を何周もしていた。彼女たちの手には、既にいくつかの惣菜パックが握られている。


「ねえ、これ全部買っちゃう?」


 詩音が、少し不安そうに言った。


「でも、食べきれないわよ」


 にこが冷静に答える。


「そうね。でも、一つずつなら……」


 澪が提案した。


 三人は顔を見合わせ、くすりと笑った。


「じゃあ、それぞれ一番食べたいものを選びましょう」


 にこの提案に、澪と詩音も頷いた。


 結局、澪はローストビーフを、詩音は茄子の田楽を、にこはキッシュ・ロレーヌを選んだ。


 レジに向かう途中、三人は自然と笑顔を浮かべていた。


「今夜は豪華な晩餐ね」


 にこが嬉しそうに言った。


「うん! 楽しみ」


 詩音が弾んだ声で答える。


「そうね。たまにはこういう贅沢も必要よね」


 澪も満足げだ。


 デパートを出る頃には、夕暮れ時を迎えていた。三人の手には、大切そうに抱えられた惣菜の入った紙袋がある。その中身は、彼女たちの心を温める、特別な晩餐の始まりを告げていた。


(了)

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