「緑の陽だまりの行方」

 梅雨明けの蒸し暑い夕暮れ時、さくらハウスのリビングでは、鷹宮澪がソファに深く腰掛けていた。彼女は仕事から帰ったばかりで、普段の完璧なスーツ姿からは打って変わって、リラックスした様子だった。


 澪は、シルクのブラウスとリネンのワイドパンツというナチュラルな装いに着替えていた。その素材の質感が、彼女の洗練された雰囲気を引き立てている。首元には、控えめながら上質な真珠のネックレスが輝いていた。長い黒髪は、いつものポニーテールから解かれ、なだらかな波を描いて肩に落ちている。


 彼女の手には、お気に入りのハーブティーが入ったマグカップが握られていた。その香りが、心地よく部屋に漂っている。


 ミチおばあちゃんは、いつものように和服姿で、澪の隣に座っていた。その着物は、淡い青地に白い桔梗の花が描かれた上品なもので、季節感を感じさせる。おばあちゃんの髪は、きちんと後ろで結われ、銀色の簪が控えめに輝いていた。


「ねえ、ミチおばあちゃん」


 澪が、少し物思いに耽るような表情で口を開いた。


「はい、どうしたの?」


 ミチおばあちゃんが、優しく微笑みながら答える。


「最近、気になることがあって……」


 澪は、マグカップを両手で包み込むように持ちながら、言葉を続けた。


「いつも通勤で使うバス停の横の交差点で見るやたら元気な緑のおばさん……もとい、おばあさんをみかけなくなったんです」


「まあ、そう」


 ミチおばあちゃんの表情が、少し曇った。


「確か小宮山さんという名前だったかな……。いつもバスを待ちながらその小宮山さんの元気な様子を見てこちらも元気をもらっていたので、最近見かけないのは寂しいな、と思って」


 澪の声には、心配と寂しさが混ざっていた。彼女の指先が、無意識のうちにマグカップの縁をなぞっている。


「その小宮山さんね、実は……」


 ミチおばあちゃんが、ゆっくりと口を開いた。その表情には、何か秘密を明かそうとしている様子が見てとれた。


「実は、私の古い友人なのよ」


「え?」


 澪が驚いた表情を見せる。


「そうなの。昔から元気いっぱいで、みんなから『緑のおばあちゃん』って呼ばれてたわ」


 ミチおばあちゃんの目が、懐かしそうに遠くを見つめる。


「でも、最近体調を崩して……」


「まさか!」


 澪が思わず声を上げた。その表情には、心配と驚きが混ざっていた。


「大丈夫よ、命に別状はないの。でも、しばらく入院することになってね」


 ミチおばあちゃんの言葉に、澪はほっとしたように深いため息をついた。


「よかった……。でも、入院ですか」


「そうなの。でもね、小宮山さん、相変わらず元気なのよ。病院のスタッフを困らせるくらいにね」


 ミチおばあちゃんが、くすりと笑った。


「それ、なんだか想像できます」


 澪も、小さく笑みを浮かべた。


「ねえ、澪ちゃん。よかったら、一緒に小宮山さんのお見舞いに行かない?」


 ミチおばあちゃんの提案に、澪は少し驚いた表情を見せた。


「え? 私も一緒に?」


「ええ。小宮山さん、きっと喜ぶわ。毎日、交差点で見かける綺麗なお嬢さんのことを話してたの」


 澪の頬が、わずかに赤くなる。


「わ、私のことですか?」


「そうよ。『あの子、いつも忙しそうだけど、頑張ってるわね』って」


 澪の目に、少し感動した。知らない間に、自分も小宮山さんに元気をもらっていただけでなく、見守られていたのだと気づいたのだ。


「行きます。ぜひ一緒に行きたいです」


 澪の声に、決意が混じっていた。


「よかったわ。じゃあ、明日の午後はどう?」


「はい、大丈夫です」


 澪は、スマートフォンを取り出し、すぐにスケジュールを確認した。仕事の調整が必要だが、何とかなりそうだ。


「そうだ、お見舞いの品は何がいいでしょうか?」


 澪が尋ねる。


「そうねえ……小宮山さん、和菓子が好きだったわ。特に、あんこ系の」


「分かりました。素敵な和菓子を用意します」


 澪の目が輝いた。彼女の頭の中では、既に和菓子のイメージが膨らんでいる。


 その夜、澪は久しぶりにゆっくりとお風呂に浸かった。湯船の中で、彼女は小宮山さんのことを思い返していた。いつも元気に手を振ってくれる姿、鮮やかな緑色の服、そして優しい笑顔。


 風呂から上がった澪は、丁寧にスキンケアを行った。明日は特別な日。いつも以上に丁寧にケアをしよう。高級な美容液を顔全体になじませ、首筋にまで丁寧に塗り広げる。


 ベッドに横たわりながら、澪は明日の服装を考えていた。小宮山さんの好きな緑色を取り入れたコーディネートにしよう。そう決めると、彼女は安心して目を閉じた。


 窓の外では、夜空に星々が輝いていた。それは、まるで小宮山さんの元気な笑顔のようだった。澪の心の中に、新しいつながりへの期待が、静かに、しかし確実に芽生え始めていた。


(了)

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