「色彩の楽園」

 とある休日の午後、詩音は古くからある画材屋「彩雲堂」の扉を開けた。店内に足を踏み入れた瞬間、懐かしい木と紙の香りが彼女を包み込む。詩音は深呼吸をし、その香りを存分に楽しんだ。


 詩音は今日、特別なお出かけ気分で服を選んでいた。いつものラフなスタイルとは打って変わって、淡いブルーのワンピースを着ている。そのワンピースは、彼女自身がデザインしたもので、裾には小さな花の刺繍が施されていた。首元には、お気に入りの天然石のペンダントが揺れている。髪は、普段のまとまりのないウェーブを活かしつつ、サイドの一部を小さな三つ編みにして、可愛らしさをプラスしていた。


 店内は、様々な画材でぎっしりと埋め尽くされている。壁には無数の色鉛筆やパステルが並び、まるで虹のような景色を作り出していた。棚には、サイズや種類の異なるスケッチブックが積み重ねられ、その紙の白さが清々しい。


 詩音は、ゆっくりと店内を歩き回る。その足取りは軽やかで、まるで宝探しをしているかのようだった。彼女の目は、次々と現れる画材たちを熱心に観察している。


「わぁ、これ新しい色……」


 詩音が小さくつぶやいた。彼女の指先が、新作の水彩絵の具セットに触れる。そのパッケージには、彼女が見たことのない色の組み合わせが並んでいた。


「いらっしゃいませ」


 優しい声が聞こえ、詩音は振り返った。そこには、白髪の老店主が立っていた。


「あら、詩音ちゃん。久しぶりね」


 老店主の笑顔に、詩音も柔らかく微笑み返した。


「こんにちは、おじいちゃん。お元気そうで何よりです」


 詩音は、この店主を「おじいちゃん」と呼んでいた。彼女が幼い頃から通っているこの店で、店主は彼女の才能を見出し、励まし続けてくれた人物だった。


「ありがとう。ところで、最近はどんな絵を描いているの?」


 店主の質問に、詩音は嬉しそうに自分の作品について語り始めた。彼女の目は輝き、手振りも大きくなる。その姿は、まるで少女に戻ったかのようだった。


「そうか、そうか。素晴らしいね」


 店主は、詩音の話を真剣に聞いていた。そして、ふと何かを思い出したように言った。


「そういえば、君に見せたいものがあるんだ。ちょっと待っていてくれるかい?」


 店主は、奥の部屋に消えていった。詩音は、好奇心に満ちた表情で待っていた。


 しばらくして、店主が戻ってきた。彼の手には、古びた木箱が握られていた。


「これは、私が若い頃に使っていた画材セットなんだ。君に使ってほしくてね」


 店主が箱を開けると、中には年季の入った絵筆や、使い込まれた絵の具が入っていた。詩音は、息を呑むほど感動した。


「本当に、いいんですか?」


 詩音の声が震えた。


「もちろんさ。君なら、この画材たちに新しい命を吹き込んでくれるはずだ」


 詩音は、大切そうに木箱を受け取った。その瞬間、彼女の目に涙が光った。


「ありがとうございます。大切に使います」


 詩音は、心からの感謝を込めて言った。


 店を出る時、詩音の足取りは来た時よりもさらに軽やかだった。彼女は、木箱を胸に抱きしめ、幸せな表情を浮かべている。


 さくらハウスに戻った詩音は、すぐにリビングでスケッチブックを広げた。彼女の指先が、古びた絵筆を優しく撫でる。そして、ゆっくりと絵を描き始めた。


 その絵には、画材屋の店内風景が描かれていた。色とりどりの画材、優しい笑顔の店主、そして幸せそうな表情の詩音自身。それは、彼女の心の中にある「色彩の楽園」そのものだった。


 窓の外では、夕暮れの空が美しく彩られていた。詩音の心の中でも、新しいインスピレーションの種が、静かに、しかし確実に芽吹き始めていたのだった。


(了)

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