「偶然が紡ぐ三人の素敵な夜」

 東京の喧騒が少しずつ和らぐ夕暮れ時、さくらハウスの住人である鷹宮澪、小鳥遊詩音、月城にこの三人が、思いがけず駅前の雑踏の中で出会った。それぞれが仕事帰りの疲れた表情を浮かべながらも、互いの姿を認めた瞬間、その目には小さな喜びの光が宿った。


「あら、みんなここで会うなんて」


 にこが少し驚いたように声をかけた。彼女は淡いベージュのタイトスカートに、白のシフォンブラウスを合わせた洗練された装いだ。首元にはさりげなく、パールのネックレスが輝いている。長い黒髪は、緩やかなウェーブをつけて、大人の女性の色気を醸し出していた。


「にこに詩音! 珍しいわね」


 澪も嬉しそうに二人に近づいた。彼女は紺のテーラードジャケットに、同系色のスラックスを合わせたキャリアウーマンらしい姿。しかし、その足元には赤いヒールのパンプスを選び、女性らしさも忘れていない。


「わぁ、みんな! なんだか運命的」


 詩音が無邪気な笑顔を浮かべる。彼女は大きめのグラフィックTシャツにデニムのオーバーオールを合わせた、アーティストらしいカジュアルな装い。首にはカラフルなストールを巻き、その色使いが彼女の明るい性格を表現しているようだった。


 三人は互いの姿を見て、それぞれの一日の疲れを察し合った。にこの目元には、いつもより濃いアイシャドウが施されており、長時間の仕事で少し崩れかけている。澪の髪は、朝きっちりとまとめていたはずのポニーテールが、所々ほぐれている。詩音の指先には、イラストを描いた跡なのか、微かにインクの染みが見える。


「せっかくだから、一緒に帰りましょう」


 にこが提案した。その声には、一人で帰るよりも仲間と過ごしたいという願いが隠されていた。


「そうね。商店街を通って帰りましょう。ちょっとした買い物もしたいし」


 澪が頷いた。彼女の目には、仕事モードから解放された安堵の色が浮かんでいる。


「いいね! 私も晩ご飯の材料買わなきゃ」


 詩音が跳ねるように賛同した。


 三人は肩を寄せ合うようにして、駅前の商店街へと足を向けた。夕暮れの柔らかな光の中、彼女たちの姿は不思議と絵になっていた。


 商店街に入ると、三人はそれぞれの興味に引かれて足を止める。にこは化粧品店の前で立ち止まり、ウィンドウに飾られた新作コスメを食い入るように見つめた。


「ねえ、このリップ素敵じゃない? パリで見たのと似てるわ」


 にこが指さしたのは、シアーな発色ながら、唇の色を自然に引き立てる魔法のようなリップスティックだった。


「わぁ、確かに綺麗ね」


 澪も興味深そうに覗き込んだ。


「私にも似合うかな」


 詩音が少し不安そうに言う。


「もちろんよ。詩音の唇なら、もっと可愛く見えるわ」


 にこが優しく微笑んだ。


 三人は店に入り、それぞれの肌に合わせてリップを試してみた。にこは落ち着いたローズ色、澪はヌーディーなベージュ、詩音は少し大胆なコーラルピンクを選んだ。それぞれの個性が、リップの色選びにも表れている。


 化粧品店を出た後、今度は澪が八百屋の前で足を止めた。


「ねえ、この茄子、良さそうじゃない? 今夜の夕飯に使えそう」


 澪が手に取った茄子は、つややかな紫色で、まさに旬を迎えたばかりのようだった。


「いいわね。私も何か野菜買おうかしら」


 にこも野菜を物色し始めた。


「あ、私このミニトマト買おう。お絵描きのおやつにちょうどいいんだ」


 詩音が赤く輝くミニトマトを袋に詰め始めた。


 三人は、それぞれの生活スタイルに合わせて野菜を選んでいく。にこはサラダ用の葉物野菜を、澪は煮物に使えそうな根菜類を、詩音は彩りの良い野菜を選んだ。


 買い物を終えて歩き始めると、澪が不意に立ち止まった。


「ねえ、せっかくだから今日は外で食べない? 久しぶりに三人で」


 澪の提案に、にこと詩音の目が輝いた。


「いいわね! 私も賛成」


 にこが即座に同意した。


「うん、楽しそう!」


 詩音も嬉しそうに頷いた。


 三人は顔を見合わせ、くすりと笑った。それぞれの目に、仕事の疲れを忘れさせてくれるような期待の色が浮かんでいる。


「じゃあ、あそこの小料理屋さんはどう?」


 にこが通りの奥にある、小さな赤提灯の店を指さした。


「いいわね。雰囲気も良さそうだし」


 澪が同意する。


「うん、私も賛成!」


 詩音も笑顔で頷いた。


 三人は肩を寄せ合うようにして、小料理屋に向かった。店内に入ると、優しい照明と木の温もりが彼女たちを包み込んだ。


「いらっしゃいませ」


 年配の女将さんが、優しく迎えてくれた。


 三人は奥の小上がりに案内され、ほっと一息つく。にこは髪を軽くかき上げ、詩音はストールを外し、澪はジャケットを脱いだ。それぞれの仕事モードが、少しずつ緩んでいく。


「さて、何を頼もうかしら」


 にこがメニューを開きながら言った。


「私は、やっぱりお刺身かしら」


 澪が言う。彼女の目は、すでに美味しそうな料理を想像して輝いていた。


「私は、天ぷらがいいな。サクサクしたのが食べたい」


 詩音が少し子供っぽく言った。


 三人は顔を見合わせ、くすりと笑った。それぞれの好みの違いが、ここでも明確に表れている。


「じゃあ、みんなで少しずつシェアしながら食べましょう」


 にこが提案した。


 注文を終え、最初の料理が運ばれてくるまでの間、三人は今日あった出来事を語り合い始めた。にこは新しいブランドの企画会議での出来事を、澪は難しいクライアントとの商談を、詩音は締め切りに追われながらも完成させた新作イラストの話を、それぞれ生き生きと語る。


 料理が運ばれてくると、三人の目が輝いた。新鮮な刺身の盛り合わせ、サクサクの天ぷら、季節の野菜を使った小鉢など、どれも美味しそうだ。


「いただきます」


 三人で声を合わせ、箸を取った。


 最初の一口で、それぞれの表情がほころんだ。


「美味しい!」


 詩音が目を輝かせて言った。


「本当ね。この刺身、新鮮よ」


 澪も満足げに頷いた。


「ここ、また来たいわね」


 にこがしみじみと言った。


 食事が進むにつれ、三人の話題は仕事の話から、より個人的な話へと移っていった。


「ねえ、最近気になる人とかいる?」


 にこが、少しいたずらっぽく尋ねた。


「えっ! 急に何よ」


 澪が少し赤面しながら答える。


「あら、そんな反応じゃ、いるってことね?」


 にこが追及する。


「う、ううん、そういうわけじゃ……」


 澪が言葉を濁す。


「私はいるよ!」


 詩音が突然声を上げた。


「えっ! 誰?」


 にこと澪が驚いて声を上げる。


「うーん、まだ秘密」


 詩音が、少し照れくさそうに言った。


「この前話してくれたイラストレーターの後輩くん?」


 澪が興味津々で訊いてくる。


「あっ……」


 詩音はそこで言葉を切り、


「あの子とは相性悪かったみたい……」


 しょんぼりと項垂れてしまう。


「でもまあ、新しい恋が見つかったんならいいじゃない!」


 にこが詩音の肩をぽんぽんと優しく叩く。


 三人は顔を見合わせ、くすりと笑った。それぞれの恋愛事情が、ほんの少しずつ明かされていく。


 食事が進み、お酒も進むにつれ、三人の話題はますます赤裸々になっていった。仕事の愚痴、将来への不安、そして密かな夢……。普段は口に出せないようなことも、この空間では自然と言葆になる。


「私ね、実は……」


 澪が、少しためらいがちに口を開いた。


「独立して、自分の会社を作りたいの」


 にこと詩音は、驚きの表情を浮かべつつも、温かい目で澪を見つめた。


「すごいわ、澪。応援するわ」


 にこが真剣な表情で言った。


「うん、澪ならきっとできるよ」


 詩音も力強く頷いた。


 澪の目に、小さな涙が光った。


「ありがとう、みんな」


 三人は互いの手を握り合い、温かな絆を感じた。


 夜が更けていく中、彼女たちの会話は尽きることを知らなかった。それぞれの悩みや喜び、そして未来への希望を語り合う中で、彼女たちの絆はより一層深まっていった。


 最後の一杯を飲み干し、三人はほろ酔い気分で店を出た。夜風が心地よく頬をなでる。


「今日は本当に良かったわ」


 にこがしみじみと言った。


「うん、こういう時間、大切にしたいね」


 詩音も頷いた。


「そうね。これからも、こうして集まる時間を作りましょう」


 澪が提案した。


 三人は肩を寄せ合い、夜の街を歩き始めた。それぞれの胸には、明日への希望と、仲間との絆を感じる温かさが広がっていた。さくらハウスに向かう道すがら、彼女たちの笑い声が、静かな夜空に響いていった。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る