「時を超える女性たちの絆」

 さくらハウスのリビングは、柔らかな夕暮れの光に包まれていた。鷹宮澪、小鳥遊詩音、月城にこの三人が、大家のミチおばあちゃんを囲んでソファに座っている。今日は珍しく、ミチおばあちゃんの若い頃の話を聞く機会に恵まれたのだ。


 澪は仕事から帰ってきたばかりで、スーツの上着を脱ぎ、ブラウスの袖をまくり上げていた。髪は少し乱れているが、それでも洗練された雰囲気を醸し出している。彼女の隣には、大きめのTシャツとジーンズ姿の詩音が座っていた。髪を無造作にまとめ、素顔には軽いナチュラルメイクが施されている。にこは、いつものように完璧なメイクと髪型で、シルクのブラウスにスカートという上品な装いだ。


 ミチおばあちゃんは、年齢を感じさせない凛とした姿勢で座っている。彼女の着物は、昔ながらの柄でありながら、どこか現代的な雰囲気も感じさせる。


「さあ、何から聞きたい?」


 ミチおばあちゃんが、優しく微笑みかけた。


「ミチおばあちゃんの初恋の話が聞きたいです!」


 詩音が目を輝かせて言った。


「まあ、詩音ったら」


 にこが少し呆れたように言うが、その目には好奇心が光っている。


「私も聞きたいわ」


 澪も興味深そうに身を乗り出した。


 ミチおばあちゃんは、懐かしそうに目を細めた。


「そうねえ、私の初恋は18歳の時だったわ。戦後間もない頃で、世の中はまだ混乱していたの」


 三人は息を呑んで聞き入った。


「相手は、隣町から来た青年で、名前は健一郎といったわ。彼は、戦争で両親を亡くして、親戚を頼って私たちの町に来たの」


 ミチおばあちゃんの目が、遠い過去を見つめているかのようだった。


「健一郎さんは、どんな人だったんですか?」


 にこが静かに尋ねた。


「とても優しくて、真面目な人だったわ。でも、戦争の影響で、心に深い傷を負っていたの」


 ミチおばあちゃんは続けた。


「当時は、今みたいにおしゃれを楽しむ余裕なんてなかったわ。でも、彼と会う時は、母の着物を借りて、少しでも綺麗に見えるように工夫したものよ」


「へえ、ミチおばあちゃんも、おしゃれに気を使っていたんですね」


 詩音が感心したように言った。


「そうよ。今と違って、化粧品なんてほとんどなかったから、椿油を使って髪をツヤツヤにしたり、紅花で頬を染めたりしたわ」


 にこは、自分の愛用する高級コスメを思い浮かべながら、昔の女性たちの知恵に感心した。


「それで、健一郎さんとはどうなったんですか?」


 澪が、少し躊躇いがちに尋ねた。


 ミチおばあちゃんは、少し寂しそうな表情を浮かべた。


「残念ながら、私たちは結ばれなかったの。健一郎さんは、自分の過去と向き合うために、一人旅に出てしまったわ。二度と会うことはなかったけれど、彼との思い出は今でも大切にしているの」


 三人は、静かにミチおばあちゃんの言葉を受け止めた。


「でも、その後素敵な人と出会えたんですよね?」


 詩音が、明るい声で言った。


「ええ、そうよ」


 ミチおばあちゃんの表情が、再び柔らかくなった。


「私の夫、つまりあなたたちの大家さんのお爺さんとね」


ミチおばあちゃんは、目を細めながら静かに語り始めた。


「私が結婚したのは25歳の時でした。当時としては少し遅い方でしたね」


 ミチおばあちゃんの声には、懐かしさと誇りが混ざっていた。


「主人とは見合い結婚だったの。でも、初めて会った時から、この人となら一緒に歩んでいけると思いました」


 にこが身を乗り出して聞き入る。彼女の目には、純粋な憧れの色が浮かんでいた。


「結婚した頃は、まだまだ戦後の混乱が残っていて、毎日が大変だったわ。でも、二人で力を合わせれば何でも乗り越えられる気がしたの」


 澪は、無意識のうちに頷いていた。彼女の瞳には、強い女性への尊敬の光が宿っている。


「ファッションも、どんどん変わっていったのよ。結婚した頃は、まだ着物が主流だったけど、徐々に洋服が普及していって……」


 ミチおばあちゃんは、自分の若かりし日の装いを思い出すように、着物の袖を撫でた。


「最初は戸惑ったわ。でも、新しいものを取り入れることで、自分の世界が広がっていくのを感じたの」


 にこは、自分のデザインしたドレスのスケッチを思い浮かべながら、ファッションの持つ力を改めて実感していた。


「化粧品も、どんどん進化していってね。最初は『厚化粧は良くない』なんて言われたものだけど、徐々に『自分らしさを表現する手段』として認められるようになっていったわ」


 ミチおばあちゃんは、にこの完璧なメイクを見つめながら、微笑んだ。


「そうして、少しずつ貯金をして、このさくらハウスを建てたの。主人と二人で、一から設計して……」


 ミチおばあちゃんの声に、深い愛情が滲んでいた。


「大変だったけど、夢が一つずつ形になっていくのを見るのは、本当に幸せだったわ」


 詩音は、その言葆に深く感銘を受けていた。彼女の指先が、無意識のうちにスケッチの動きを模していた。時代を超えた愛と努力の物語を、線と色で表現したいという衝動に駆られていた。


「女性が外で働くことも、徐々に当たり前になっていったわね。私も、子育ての傍ら、パートで働き始めたの」


 澪の目が輝いた。彼女は、自分のキャリアを思い、そこに至るまでの多くの女性たちの闘いを想像していた。


「大変なこともたくさんあったわ。でも、一つ一つ乗り越えていくたびに、自分の中に新しい力が生まれるのを感じたの」


 ミチおばあちゃんの言葆に、三人は深く頷いた。それぞれが、自分の人生と重ね合わせ、これからの道を思い描いていた。


「そうして今、あなたたち若い人たちを見ていると、本当に感慨深いわ。私たちの時代には想像もできなかったような自由と可能性を、あなたたちは持っている」


 ミチおばあちゃんは、優しく微笑んだ。


「でも、忘れないでほしいの。その自由と可能性は、多くの人々の努力と夢によって築かれたものだってことを」


 三人は、身を乗り出すようにしてミチおばあちゃんの言葆に聞き入っていた。それぞれの胸の中で、過去から未来へとつながる大きな物語の一部に自分たちもいるのだという認識が、静かに、しかし確実に芽生えていった。


 にこは、ファッションを通じて人々に喜びと自信を与えたいという思いを新たにし、澪は、職場でより多くの女性が活躍できる環境づくりに貢献したいと決意を固め、詩音は、世代を超えた人々の想いや経験を、アートを通じて伝えていきたいと心に誓った。


 窓の外では、夕暮れの空が美しく彩られていた。それは、時代とともに変化し続ける世界の象徴のようでもあり、同時に、普遍的な人々の想いの美しさを表しているようでもあった。さくらハウスの中で、世代を超えた女性たちの絆が、より一層深まっていくのを感じられる、特別な夕暮れだった。


「ねえ、ミチおばあちゃん」


 にこが、真剣な表情で尋ねた。彼女の完璧に整えられた眉が、少し寄っている。普段は自信に満ちた表情のにこだが、この瞬間、彼女の目には若干の不安と、強い好奇心が混ざっていた。シルクのブラウスの襟元を、無意識のうちに指で触っている。


「今の若い女性たちに、伝えたいことはありますか?」


 にこの声には、僅かに震えが混じっていた。それは、長い人生を生きてきたミチおばあちゃんの知恵を、心から求めているという証だった。


 澪と詩音も、息を呑んでミチおばあちゃんを見つめた。澪は、普段の仕事モードとは違う、柔らかな表情を浮かべている。彼女のブラウスの袖は、まくり上げられたままで、その姿勢からは、ミチおばあちゃんの言葉を一言も聞き逃すまいという決意が感じられた。


 詩音は、膝を抱えるようにソファに座り、大きな瞳をさらに見開いていた。彼女の指先には、無意識のうちにスケッチの線を描くような動きが見られる。まるで、ミチおばあちゃんの言葉を絵に描こうとしているかのようだった。


 ミチおばあちゃんは、三人をじっと見つめた。その目には、長い人生で培われた知恵と、若い世代への深い愛情が宿っていた。彼女の着物の柄が、夕暮れの光に照らされて、より一層鮮やかに浮かび上がる。


 しばらくの沈黙の後、ミチおばあちゃんはゆっくりと口を開いた。その声は、柔らかでありながら、芯の強さを感じさせるものだった。


「そうねえ。時代は変わっても、自分らしく生きることの大切さは変わらないわ」


 ミチおばあちゃんの言葉に、三人の背筋がピンと伸びた。


「それと、困難があっても、希望を持ち続けること」


 にこの目に、小さな涙が光った。澪は、無意識のうちに頷いていた。詩音は、まるでその言葉を描き留めるかのように、空中に指で何かを書いていた。


「そして何より、あなたたちのように、女性同士で支え合うことね」


 ミチおばあちゃんの最後の言葉に、三人の間に目に見えない絆が強まるのを感じた。


 三人は、ミチおばあちゃんの言葉に深く頷いた。にこの頬には一筋の涙が流れ、彼女は慌ててハンカチで拭った。澪は、自分の両手を見つめ、何か新しい決意を固めたかのような表情を浮かべていた。詩音は、突然立ち上がり、ミチおばあちゃんに駆け寄って抱きしめた。


「ありがとう、ミチおばあちゃん」


 詩音の声は、感動で少し震えていた。にこと澪も、詩音に続いてミチおばあちゃんに近づき、三人でおばあちゃんを優しく包み込んだ。


 その瞬間、さくらハウスのリビングは、世代を超えた女性たちの絆で満たされた。夕暮れの柔らかな光が、この温かな光景を優しく照らしていた。


「ミチおばあちゃん、本当に素敵なお話をありがとうございました」


 澪が、心からの感謝を込めて言った。


「いえいえ、私こそ、こんなおばあちゃんの昔話に付き合ってくれてありがとう」


 ミチおばあちゃんが、優しく微笑んだ。



 その夜、三人は自分たちの部屋に戻った後も、ミチおばあちゃんの話について語り合った。


「ねえ、私たちって恵まれてるよね」


 詩音が、ベッドに横たわりながら言った。


「そうね。今の時代に生まれて、自由に自分の人生を選べるんだもの」


 にこが同意した。彼女は、化粧落としのコットンを手に取りながら、ミチおばあちゃんの若い頃を想像していた。


「でも、だからこそ責任も大きいわ」


 澪がしみじみと言った。彼女は、明日の仕事の準備をしながら、女性たちの長い闘いの歴史に思いを馳せていた。


「うん。ミチおばあちゃんたちが築いてくれた道を、私たちがさらに前に進めていかなきゃね」


 詩音が、新しいスケッチブックを開きながら言った。


「そうね。それぞれの方法で、でも互いに支え合いながら」


 にこが頷いた。


 三人は、それぞれの夢や目標について語り合った。にこは、より多くの女性が自分らしさを表現できるファッションを提案したいと語り、澪は、職場でのジェンダーバイアスに立ち向かう決意を新たにし、詩音は、世代を超えた女性たちの物語をアートで表現したいと話した。


 窓の外では、満月が優しく輝いていた。さくらハウスの三人は、過去から未来へとつながる女性たちの長い物語の中に、自分たちも確かな一歩を刻んでいることを感じていた。そして、互いの存在がかけがえのない支えであることを、心から感謝していたのだった。


(了)

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