「グラデーションの中で - 性と個性の境界線」

 さくらハウスのリビングは、柔らかな夕暮れの光に包まれていた。鷹宮澪、小鳥遊詩音、月城にこの三人が、それぞれリラックスした姿勢でくつろいでいる。


 澪は仕事から帰ってきたばかりで、スーツの上着を脱ぎ、ブラウスの袖をまくり上げていた。普段はきっちりとまとめている黒髪を、今はゆるく肩に垂らしている。


 詩音は床に座り込み、スケッチブックを膝に乗せている。大きめのTシャツとジーンズという、いつもの楽な格好だ。髪は無造作にまとめられ、顔にはほんの少しだけナチュラルメイクが施されている。


 にこは、ソファでファッション誌を読んでいた。家でもおしゃれを欠かさない彼女は、淡いピンクのシルクのパジャマに身を包み、首元にはパールのネックレスを着けている。


「ねえ、みんな」


 詩音が突然口を開いた。


「今日、面白い記事を読んだんだ。『性はふたつじゃない』っていう内容なんだけど」


 澪とにこは、詩音の言葆に興味を示した。


「へえ、どんな内容だったの?」


 澪が尋ねる。


「うん、性別って男性と女性だけじゃなくて、その間にグラデーションがあるって。身体的特徴も、心の性別も、もっと多様なんだって」


 にこは、ファッション誌から顔を上げた。


「そういえば、最近のファッションショーでも、ジェンダーレスなデザインが増えてきているわ」


「そう、私もそれに関連して考えていたの」


 澪が真剣な表情で言った。


「私たち、『女らしさ』とか『男らしさ』とか、無意識のうちに決めつけていないかな」


 三人は、互いの顔を見合わせた。そこには、この話題の重要性を理解する眼差しが浮かんでいた。


「確かに」


 にこが言う。


「例えば、ファッションひとつとっても、『これは女性向け』『これは男性向け』って区別してるわよね」


「そうだね。でも、最近はその境界線が曖昧になってきてる気がする」

「確かに、そうだね」


 詩音は、スケッチブックを手に取り、ページをめくりながら続けた。彼女の指先には、いつものようにペンのインクの跡が微かに残っている。


「例えば、この前依頼された児童書のキャラクターなんだけど……」


 彼女は、一枚のイラストを二人に見せた。そこには、短い髪をしたオーバーオール姿の少女が描かれていた。少女は木に登り、冒険心に満ちた表情で遠くを見つめている。


「この子は、典型的な『女の子らしい』キャラクターじゃないんだ。活発で、冒険好きで、ちょっとやんちゃな感じ。でも、それが魅力的なんだよね」


 にこが興味深そうに覗き込んだ。


「へえ、確かにね。でも、不思議と女の子って感じがするわ。それってどうして?」


 詩音は、少し考え込むように目を細めた。


「うーん、たぶん細かい表情とか、仕草とかかな。完全に『男の子』にしないで、女の子らしさもちょっと残してるんだと思う」


 澪も熱心にイラストを見つめていた。


「なるほど。でも、これって結構難しそうね。バランスが大切なんでしょ?」


「そうなんだ」


 詩音は頷きながら、別のページを開いた。


「こっちは、最近のティーン向け雑誌の挿絵なんだけど……」


 今度のイラストは、長い髪をなびかせた少年だった。彼は優しい笑顔を浮かべ、花を手に持っている。


「この子は、繊細で感受性豊かな男の子。でも、決して『女々しい』わけじゃなくて、むしろ強さを感じさせるんだ」


 にこは、目を輝かせながらイラストを見つめた。


「素敵ね。この子、ファッション誌に出てきてもおかしくないわ。中性的な魅力があるわ」


 澪も感心したように頷いた。


「確かに。でも、詩音。こういうキャラクターを描くとき、何か気をつけていることはある?」


 詩音は、少し考え込むように髪を掻き上げた。


「うん、やっぱりステレオタイプに陥らないようにかな。『男の子っぽい』とか『女の子っぽい』って言っても、それぞれの個性があるから。単に見た目だけじゃなくて、内面も大切にしているんだ」


 彼女は、さらにページをめくり、様々なキャラクターのスケッチを見せた。そこには、多様な姿形や表情を持つ人物たちが描かれていた。


「最近は、クライアントからも『もっと多様性のあるキャラクターを』って要望が増えてきたんだ。社会の変化を感じるよ」


 にこと澪は、詩音のスケッチブックに描かれた多彩なキャラクターたちに見入った。そこには、性別の境界線を超えた、個性豊かな世界が広がっていた。


「素晴らしいわ、詩音」


 にこが感嘆の声を上げた。


「あなたの絵を通して、多くの人が多様性の素晴らしさに気づくかもしれないわね」


「そうだね」


 澪も同意した。


「詩音の仕事は、社会の意識を変えていく大切な役割を果たしているのかもしれないわ」


 詩音は、少し照れくさそうに頬を染めた。


「ありがとう。でも、まだまだ学ぶことはたくさんあるんだ。これからも、もっと多様な表現を探求していきたいな」


 彼女の言葉に、三人は互いに頷き合った。詩音のイラストを通じて、彼女たちは改めて多様性の重要性と、表現の持つ力を実感したのだった。


 澪は、少し考え込むように言った。


「でも、そもそも『らしさ』って何なんだろう。誰が決めたの?」


 この問いかけに、三人は深く考え込んだ。


「社会が作り上げたものなのかもしれないわね」


 にこが慎重に言葉を選んだ。


「長い歴史の中で、『男性はこうあるべき』『女性はこうあるべき』という固定観念が形成されてきたのかも」


「でも、それって本当に正しいのかな」


 詩音が疑問を投げかけた。


「LGBTQの人たちのことを考えると、もっと多様な生き方があるはずだよね」


「そうね。私の会社にも、最近トランスジェンダーの方が入社したわ。最初は戸惑いもあったけど、一緒に仕事をしていくうちに、性別なんて関係ないって気づいたの」


 澪はそう言いながら、少し遠い目をした。彼女の表情には、その経験が彼女の価値観を大きく変えたことが如実に表れていた。


「最初にその方が入社したとき、正直、どう接していいか分からなかったの」


 澪は言葆を続けた。彼女は無意識のうちに、自分のブラウスの袖口をいじり始めた。それは彼女が緊張したり、深く考え込んだりするときの癖だった。


「その方は、戸籍上は男性だけど、女性として生きることを選んだ人だったの。入社の日、スーツではなくスカートスーツで現れたときは、オフィス中がざわついたわ」


 にこと詩音は、真剣な表情で澪の話に耳を傾けていた。


「でも、その方は堂々としていて、自分の性自認についてオープンに話してくれたの。『私は女性として生きることを選びました。でも、それ以外の部分では皆さんと何も変わりません。一緒に良い仕事ができることを楽しみにしています』って」


 澪の口元に、小さな微笑みが浮かんだ。


「最初の頃は、正直戸惑いもあったわ。どう呼びかければいいのか、どのトイレを使うのか、服装規定はどうするのか……色々な問題が出てきたの」


 澪は深呼吸をして、続けた。


「でも、会社全体でミーティングを重ねて、一つ一つ解決していったの。その過程で、私たち自身も学んでいったわ。性別って本当に多様で、簡単に二分できるものじゃないってね」


 にこが静かに頷いた。


「そうよね。ファッション業界でも、そういった認識が広がってきているわ」


「うん、アート業界でも同じだよ」


 詩音も同意した。


「そして、一緒に仕事をしていくうちに、気づいたの」


 澪の目が輝いた。


「その方は、素晴らしい能力を持っていて、クライアントからの評判も上々だった。プレゼンの時の堂々とした態度、緻密な分析力、チームワークの良さ……それらは全て、性別とは関係のないものだったわ」


 澪は両手を広げるジェスチャーをしながら言葆を続けた。


「気がついたら、私たちは自然とその方を一人の同僚として、一人の人間として見るようになっていたの。トランスジェンダーだからとか、元は男性だったからとか、そんなことは全く関係なくなっていたわ」


 澪の言葆に、にこと詩音は深く頷いた。


「その経験で、私は大きく変わった気がする。性別って、本当は仕事の能力とか、人間性とか、そういうものとは全く関係ないんだって。大切なのは、その人がどんな人間で、どんな能力を持っているかってことなんだって」


 澪は言葆を結んだ。彼女の表情には、その経験を通じて得た新しい視点への誇りが満ちていた。


「素晴らしい経験ね」


 にこが感心したように言った。


「うん、私も職場でそんな経験ができたらいいな」


 詩音も憧れのまなざしで澪を見つめた。


「私も、アーティストの世界では多様な性のあり方を見てきたけど、まだまだ社会全体では理解が追いついていない気がする」


 にこは、少し悲しそうな表情を浮かべた。


「ファッション業界でも、まだまだ固定観念は強いわ。でも、少しずつ変わってきているのも事実ね」


 三人は、それぞれの経験や考えを共有しながら、性別や個性について深く考えていった。


「でも、『らしさ』を完全に否定するのも違う気がするんだ」


 詩音が慎重に言葆を選んだ。


「例えば、私は女性として生まれて、女性として生きることに幸せを感じている。それって、否定されるべきことじゃないよね」


「そうね」


 にこが同意した。


「大切なのは、その『らしさ』を押し付けないこと。自分らしさを自由に表現できる社会が理想だと思うわ」


 澪も深く頷いた。


「そう、選択の自由が大切なのよね。男性らしく生きたい人も、女性らしく生きたい人も、そのどちらでもない生き方を選ぶ人も、みんな尊重されるべきだわ」


 三人は、この話題について深く掘り下げていった。そして、自分たちの中にある無意識の偏見や固定観念にも気づき始めた。


「私ね、実は昔、『女らしくない』って言われて傷ついたことがあるの」


 澪が、少し照れくさそうに告白した。


「仕事熱心すぎて、『男みたい』って言われたことがあってね」


「え、そうだったんだ」


 詩音が驚いた様子で言う。


「私も似たような経験があるわ」


 にこが言った。


「ファッションにこだわりすぎて、『女らしさ』を演じているみたいに言われたことがあるの」


「そっか……」


 詩音も考え込んだ。


「私は逆に、『もっと女らしく』って言われたことがある。絵を描くのに夢中で、外見にあまり気を使わなかったから」


 三人は、それぞれの経験を共有しながら、社会からの期待や圧力について語り合った。


「でも、考えてみると、それって全部固定観念に基づいた言葆よね」


 澪が気づいたように言った。


「そうだね。『女らしさ』や『男らしさ』って、本当は個人の中にあるグラデーションのようなものかもしれない」


 詩音が付け加えた。


「そうね。私たち一人一人が、そのグラデーションの中で、自分らしい位置を見つけていくのかもしれないわ」


 にこの言葆に、三人は深く頷いた。


「じゃあ、私たちにできることって何だろう」


 澪が、現実的な問いを投げかけた。


「そうねぇ……」


 にこが考え込む。


「まずは、自分の中にある固定観念に気づくことかな」


 詩音が提案した。


「そして、それを少しずつ解きほぐしていく。そうすれば、他の人の多様性も受け入れやすくなるんじゃないかな」


「それ、いいアイデアね」


 にこが賛同した。


「私の仕事でも、もっと多様性を意識したファッションを提案していきたいわ」


「私も、広告の仕事で、もっと多様な人々を表現していきたいわ」


 澪も決意を語った。


 三人は、それぞれの立場でできることについて話し合った。そして、個人的な行動から社会に向けた発信まで、様々なアイデアが生まれていった。


「でも、これって簡単なことじゃないよね」


 詩音が、少し不安そうに言った。


「うん、長年培われてきた固定観念を変えるのは、時間がかかるわ」


 にこが同意する。


「それでも、少しずつでも変わっていくことが大切だと思う」


 澪が力強く言った。


「私たち一人一人が、自分らしさを大切にしながら、他者の多様性も認め合える。そんな社会を目指していけたらいいな」


 にこと詩音は、澪の言葆に深く頷いた。


「そうね。完璧を求めるんじゃなくて、一歩一歩前進していくことが大切なのね」


 にこが言う。


「うん、そして、こうして互いに話し合い、理解を深めていくことも大切だよね」


 詩音が晴れやかな表情で付け加えた。


 この夜の話し合いは、さくらハウスの三人に新たな気づきと決意をもたらした。性別や個性について深く考え、社会の固定観念と自分の中の偏見に向き合うことで、彼女たちは自分たちの生き方や周囲との関わり方を見直すきっかけを得たのだ。


 そして、この経験は彼女たちの絆をより一層深めるきっかけとなった。多様性を認め合い、互いの個性を尊重することの大切さを、身をもって感じたのだ。


 窓の外では、夜空に星々が輝き始めていた。それは、多様な個性が輝く社会の未来を象徴しているかのようだった。さくらハウスの三人は、この夜の経験を胸に、新たな視点と共に明日を迎える準備をしていた。


 これからの彼女たちの人生は、きっと新たな気づきと成長に満ちたものになるだろう。そして、彼女たちの歩みは、多くの人々に希望と勇気を与える光となっていくに違いない。


(了)

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