「コンビニおにぎり論争」

 深夜0時を回ったさくらハウス。リビングには、疲労感漂う三人の女性たちの姿があった。


 鷹宮澪は、ノートパソコンを膝に乗せ、画面を食い入るように見つめている。大手広告代理店に勤める彼女は、明日のプレゼンの最終チェックに没頭していた。髪は乱れ、ノーメイクの素顔には疲労の色が濃く出ている。身に着けているのは、柔らかな素材のスウェット。グレーのワイドパンツに、同系色のゆったりとしたパーカーという、リラックスムード満点のコーディネートだ。


「はぁ……もう、頭が回らない」


 澪がため息をつく。


 ソファの上では、小鳥遊詩音が、スケッチブックを広げたまま、うつ伏せで眠っていた。フリーランスのイラストレーターである彼女は、締め切りに追われる日々を送っている。彼女の寝顔は、疲れを隠しきれていない。髪はぐちゃぐちゃに乱れ、頬には鉛筆の跡がついている。着ているのは、オーバーサイズの白いTシャツに、ペイントの跡が付いたジーンズ。その姿は、まるでアーティストそのものだった。


「ん……むにゃむにゃ……」


 詩音が寝言を漏らす。


 キッチンからは、月城にこの姿が見えた。アパレルショップの店長を務める彼女は、真夜中にもかかわらず完璧なメイクと髪型を保っている。シルクのパジャマの上に、ファーのルームジャケットを羽織っているのだ。ベージュとブラウンの配色が、上品な雰囲気を醸し出している。彼女は、優雅にハーブティーを淹れていた。


「あら、みんなまだ起きてたのね」


 にこが、ティーカップを持ってリビングに現れる。


「うん……でも、もう限界かも」


 澪が顔を上げ、にこを見る。


「私もよ。明日の新作チェックのために資料を見ていたんだけど、目が疲れちゃって」


 にこが言いながら、ソファに腰掛ける。


 その瞬間、詩音が目を覚ました。


「ん……あれ? もう朝?」


「ううん、まだ真夜中よ」


 にこが優しく告げる。


「そっか……あー、お腹すいた」


 詩音が起き上がりながら言う。


 その言葉に、澪とにこも反応した。


「そう言えば、私も」


「私もよ。夕飯食べてからずっと作業してたから」


 三人は顔を見合わせた。


「コンビニ、行く?」


 澪が提案する。


「賛成!」


 詩音が元気よく答える。


「仕方ないわね。たまにはいいかしら」


 にこも同意した。


 こうして、真夜中のコンビニ行きが決定した。三人は、それぞれの格好のまま家を出る。


 静寂に包まれた住宅街を抜け、24時間営業のコンビニに到着。ガラス戸が開くと同時に、明るい蛍光灯の光が三人を包み込む。


「さて、何を買おうかな」


 詩音が、ワクワクした様子で店内に入っていく。


「私はおにぎりにするわ」


 にこが言う。


「私も。でも、どれにしようかな」


 澪が、おにぎりコーナーの前で立ち止まる。


 そこには、様々な種類のおにぎりが並んでいた。塩むすびから、具沢山の変わり種まで、実に多様なラインナップだ。


「私は、やっぱり塩むすびかな」


 澪が手に取ったのは、シンプルな塩むすび。つやつやとした白米が、三角形の海苔に包まれている。パッケージには「厳選された国産米使用」の文字が踊る。


「えー、それじゃあつまんないよ」


 詩音が首を傾げる。


「私は、これにしよう!」


 彼女が選んだのは、「わさび明太子ツナマヨ」という斬新な組み合わせのおにぎり。赤、白、緑のコントラストが鮮やかで、パッケージからは刺激的な香りが漂う。


「まあ、それは……個性的ね」


 にこが少し引いた表情を見せる。


「私はこれにするわ」


 にこが選んだのは、「有機玄米と梅しそ」のおにぎり。茶色がかった玄米の粒々が見え、中心には鮮やかな紅色の梅干しが覗いている。パッケージには「オーガニック」「低カロリー」といった文字が並ぶ。


「へー、にこらしいね」


 詩音が感心したように言う。


 しかし、ここで問題が発生した。


「ねえ、みんな。一つずつじゃ足りないよね?」


 詩音が言い出す。


「そうね。でも、たくさん買うのもどうかと思うわ」


 にこが難色を示す。


「うーん、そうだけど……」


 澪も悩ましい表情を浮かべる。


 ここから、三人のおにぎり論争が始まった。


「やっぱり、基本に忠実な塩むすびがいいと思うんだ」


 澪が主張する。


「国産の良質なお米の味を存分に楽しめるし、シンプルイズベストっていうか」


「えー、それじゃあ面白くないよ」


 詩音が反論する。


「人生、冒険しなきゃ。わさび明太子ツナマヨみたいな、思い切った組み合わせこそ、新しい発見があるんだよ」


「でも、栄養バランスも考えないと」


 にこが意見を述べる。


「有機玄米は食物繊維が豊富だし、梅干しには疲労回復効果があるのよ」


 三人の議論は白熱し、コンビニの狭い通路で熱く繰り広げられる。店員や他の客が、困惑しながらも興味深そうに見守っている。


「でも、深夜に重たいものを食べるのはどうかと思うわ」


 にこが懸念を示す。


「そんなの気にしてたら、おいしいもの食べられないよ」


 詩音が反論する。


「それに、私たちみんな若いんだし」


「若いからこそ、健康に気をつけるべきよ」


 にこが譲らない。


「うーん、でも……」


 澪が言葉を濁す。


「たまには、美味しいものを楽しむのもいいと思うんだ」


 議論は一向に決着がつかず、三人はお互いの主張を譲らない。そんな中、店員が恐る恐る声をかけてきた。


「あの……お客様? 他のお客様のご迷惑になりますので……」


 その言葉に、三人は我に返った。


「あ、ごめんなさい」


 澪が謝罪する。


「私たち、ちょっと熱くなりすぎちゃったわね」


 にこが付け加える。


「そうだね。でも、楽しかった!」


 詩音が明るく言う。


 三人は顔を見合わせ、くすりと笑った。


「ねえ、こうしない?」


 澪が提案する。


「みんなで好きなの選んで、家で分け合おうよ」


「それ、いいアイデアね」


 にこが賛同する。


「賛成! こうやって、いろんな味を楽しめるなんて素敵」


 詩音も喜んで同意した。


 結局、三人は思い思いのおにぎりを数個ずつ選び、レジへと向かった。塩むすび、わさび明太子ツナマヨ、有機玄米と梅しそ。そして、議論の中で気になった他の種類も加えて、実に多彩な品揃えとなった。


 帰り道、三人は軽やかな足取りで歩いていた。


「ねえ、私たち、おにぎりのことでここまで真剣に議論するなんて、ちょっと可愛いと思わない?」


 にこが、少し照れくさそうに言う。


「そうだね。でも、それだけみんながおにぎりに対して情熱的ってことだよ」


 澪が答える。


「うん! これって、私たちの個性の表れかも」


 詩音が楽しそうに付け加えた。


 さくらハウスに戻ると、三人はリビングのテーブルを囲んで座った。それぞれが選んだおにぎりを並べ、まるでパーティーのように賑やかな雰囲気が広がる。


「いただきまーす!」


 三人で声を合わせ、おにぎりに手を伸ばす。


「あ、これおいしい」


「こっちも悪くないわ」


「へー、こんな味するんだ」


 様々な感想が飛び交う中、三人は互いのおにぎりを交換し、味を確かめ合う。それぞれの好みや価値観の違いを認めつつも、新しい発見を楽しむ様子が印象的だ。


「ねえ、こうやっておにぎりを食べながら話すの、なんだか楽しいね」


 詩音が嬉しそうに言う。


「そうね。たまにはこういう時間も大切だわ」


 にこも穏やかな表情で答える。


「うん。みんなで食べると、もっと美味しく感じる」


 澪が付け加えた。


 真夜中のおにぎりパーティーは、予想以上に盛り上がった。三人は、おにぎりの味の感想だけでなく、仕事の話や将来の夢まで、様々な話題で盛り上がる。


 気がつけば、東の空がほんのりと明るくなり始めていた。


「あ、もうこんな時間」


 澪が驚いた様子で言う。


「大丈夫、今日は休日だから」


 にこが安心させるように答える。


「そうだった。良かった~」


 詩音が安堵の表情を浮かべる。


 三人は、疲れた体を伸ばしながらも、満足げな表情を浮かべていた。この深夜のコンビニおにぎり論争は、彼女たちの絆をより一層深めるきっかけとなった。それぞれの個性や価値観の違いを認め合い、尊重し合うことの大切さを、おにぎりを通じて学んだのだ。


「ねえ、また今度やろうよ。今度は、お寿司で」


 詩音が提案する。


「いいわね。でも、今度はもう少し早い時間にしましょう」


 にこが笑いながら答える。


「うん、賛成。でも、こんな夜中に盛り上がるのも、たまにはいいかもね」


 澪も満面の笑みを浮かべた。


 こうして、さくらハウスの三人の「コンビニおにぎり論争」は幕を閉じた。しかし、この経験は彼女たちの心に深く刻まれ、これからの共同生活をより豊かなものにしていくことだろう。


(了)

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